こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
ヨーロッパに来てから、以前にイスタンブールで深夜バスを経験しましたが、ここギリシャ(アテネ)からアルバニアまでも、格安の深夜バスを使うこととなりました。
インドの寝台特急でもそうでしたし、僕はこの旅で「もらうこと/受け取ること」が多かったのものでした。
そこで今回は、
- 一緒になった若い日本人の男の子
- 隣に座っていたギリシャ人のおじさん
に、お菓子をあげることにしました。
日本では「与えること」を意識していた(し過ぎていた)僕ですが、海外の生活が困窮していたために、なかなか与えることができていませんでした。
しかし今回「与えたこと」でとても幸せな気持ちになりました。
今日は「胸がいっぱいになった経験」について書いていきます。
どこにいても「与えること」は最強だ。幸せで胸がいっぱいになるからだ。
余裕ができたら与えてみよう
僕も決してそう思っているわけではありません。
旅を始めてみれば、やはり序盤の方はお金を気にしましたし、今だって贅沢な旅をしているわけではありません。
ただ「ずっと受け取ってばかりの旅」でしたので、
と、ヨーロッパの物価高をガン無視して笑、与えてみることにしました。
「いつでも与えること」なんて、なかなかできないものですからね。
会う人会う人にお金を配ることは、僕の信念に反しています。
大切なことは、自分に余裕があるかどうかということ。
僕は気持ちに少し余裕ができたために、今回こうして与えることができるようになりました。
そういった気持ちが、素直に出てきたのでした。
旅を始めていて、久しぶりに抱いた感情だったかもしれません。
そんな風に思っていたものですが、やはりこの旅で「受け取ってきた経験」が溢れてしまったために、「与えたい」という気持ちに変わったのだと思っています。
もちろん、今だって思いっきり余裕があるわけではありません。
ただ、自分がご飯を食べて満たされるよりも、お菓子をあげた時のほうがずっと胸がいっぱいになったのは事実でした。
たかだか安いスナック菓子かもしれませんが、切り詰めている僕にとっては微妙な出費となるわけです。
余裕が出てきたおかげで、いつの間にか与えることができるようになっていたのでした。
胸がいっぱいになった瞬間
やはり「与える」とは面白いものでして。
「若い日本人とともに一緒の深夜バスで、アルバニアに向かう」
と決まった瞬間に、
と思ってしまったのでした笑。
もう「あげるお菓子の額」なんて気にしなくなっていた自分には、本当に驚きましたね。(大した額ではありませんが笑)
日本にいた時も、若い子たちと飲みに行った時は基本「全額」払っていました。
自慢するわけではなくて、
と思っていたものです。
それくらい僕は、若い子たちには弱いのです笑。
自分の生活費や食費は切り詰めるだけ切り詰めるのに、「相手に与えよう」と思った途端に、額なんかどうでも良くなるのは、なんだか不思議なものです。
自分がしんどい時に、いかに与えることができるか。
確かに、気持ちに余裕が生まれていたことは間違いではありませんでした。
しかし金銭的にしんどいことは、旅を始めた当初と変わっておりません。
それでも「与えたい」と思ったのは、
その思いだけだったのでした。
バスで僕の後ろの席に座っていた小学生はギリシャ人だったのですが、少し英語がしゃべれたのでいろいろとやりとりをしていました。
すると彼は申し訳なさそうに、
と、翻訳サイトを使って聞いてきました。
たまたま充電器をフル充電していましたので、
となんのためらいもなく渡しました笑。
そう思うくらい、彼らの力になりたいと思ったのです。
僕は去年から「お金を使う力」がバグっており笑、目の前の人のためならその場でお金をバンバン使うようにしていました。
ケチだった時と比べたら、とんだ「激変」ですよね笑。
特にイヤらしい意味ではなくて(額もたかが知れてますし笑)、その場その場で適切に使っていました。
この旅でも、久しぶりにその感覚を思い出しました。
そして切り詰めていた時間よりも、ずっとずっと胸がいっぱいになりました。
かっこつけたいわけではありません。
そう思っただけだったのでした。
相手を思うことで満たされること
僕のお腹はいっぱいになりませんでしたが笑、その代わり胸はいっぱいになりました。
人に与えるとは、一見難しそうですが実は簡単なことなのかもしれません。
「要は気持ちの問題だ」ということ。
自分の現状の「ツラさ/しんどさ」と、目の前にいる相手を見た時に、後者のほうを取れれば、それだけでいいからです。
とはいえ、本当にツラい時はなかなか選択ができないと思います。
僕はそれでもいいと思っています。
ただ、今回はなぜか自然と体が勝手に動いており、
とルンルン気分になっていました笑。
お土産やプレゼントを選んでいる時、僕はとにかく「幸せ」を感じていたものでした。
一方で「こと自分への買い物」となると、日本にいた時でさえ十二分に気をつけており、徹底的に倹約していたものです。
- 自分の生活を切り詰めることで
- 余ったお金を使って相手に与えること
これもまた独特な手法ですが、僕が自然としてきたことでした。
海外にいても、「目の前の人の幸せ」を願うことができていたことに、嬉しさが込み上げてきました。
そんな風に思えたのですから、もはや無敵状態です笑。
もちろん、お金が全てではないですし、
と思ったこともありました。
でもここで大切なことは、「相手を思う気持ち」があるかどうかということ。
額やモノの価値の大きさが、大切なのではありませんよね。
自分のできる範囲で与えていくこと。
余裕がない時に与えられればそれもまた素晴らしいことですが、それがいつも正義だとは限りません。
- その時に
- その人が
何を思い、どう与えるかが大事ですよね。
その感覚を大切にして、今後も旅を続けていこうと思います。
おわりに
久しぶりに戻ってきた感覚。それは今までの旅の途中で、たくさん受け取ってきたからでした。
「ずっと与え続けること」は持続可能ではありませんし、今の僕が身を削ることはあまり良い判断ではありません。
ただふとした瞬間に、相手に与えてみたこと。
これがここまで僕を幸せにするとは思ってもいませんでした。
またことあるごとに、与えてみようかなと思っています。
それではまた!
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