真の自由とは意外なところに【お金の前に考えること】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日から読んでいます「サイコロジー・オブ・マネー」。

本書では、「自由」について書かれていました。

自由とは、僕が一番に求めていたものだということに、最近になってようやく気づきました。

「本当の自由」とは、お金によって築かれるものだと思っていたものでしたが、実はそうでもないということが、本書に書かれていました。

そこに妙に納得した自分がいましたので、今日は「自由」について書いていきます。

経済的自由は確かにゴールかもしれない。しかし精神的に自由になることも、実は自分の判断でできるのだ。

精神的な自由を感じた時

結論から言いますと、「経済的自由」を否定しているわけではありません。

それに関しましては、いくつか記事を書いてきました。

では本書に書かれていた「自由」とはどういうものなのでしょうか。

ある友人が、起業家で成功したデレク・シヴァーズにインタビューをした時のことです。

僕が自由になったのは、22歳でミュージシャンを目指して仕事を辞めた時だ

なるほど。

よく聞く「自由」の話ですよね。

しかし友人は質問を続けます。

そうではなく、その後の話が聞きたいのだ!会社を売った時とかさぁ!

と。

すると彼はこう答えます。

だから言ってるじゃないか。僕がリッチになった、根本的に人生が変わったのは、22歳の仕事を辞めた時だって

この話の面白いところは、彼にとって「本当に自由を感じたタイミング」は、

お金を持ってからではない

という点でした。

ただ銀行の残高が増えただけだ、と。

おそらく、この話を聞いている何人かの方は、彼の友人と同じ疑問を抱いているのかもしれません。

ただ僕は、シヴァーズの感覚にものすごく共感しました。

僕も2023年2月現在では、3年生の担任業務も残すところ卒業式だけとなり、まるで身体が軽くなったような感覚を覚えているからです。

そして「3月には退職する」と考えるだけで、ワクワクが止まらないのですから。

もちろん、

サラリーマンや公務員なんて辞めたらいい

と言っているわけではありません。

ただ、彼の言う「自由」とは精神的なものであり、本来の人間のあり方として僕が求めていた形でした。

僕自身も、だいぶお金に余裕が生まれるようになりましたが、そういうことではないような感覚であり、何か「大きな肩の荷」が降りたような感覚だったのでした。

お金を手に入れることも1つの自由のあり方だ。しかし精神的な自由とは、何か大きな縛りから解放された時に感じるものなのだ。

自分に正直になる

本書のシヴァーズが自由を感じた瞬間があったということは、裏を返せばそれまでは「のようなもの」に縛られていたとも取れます。

僕自身の感覚に当てはめても、

そうだったなぁ

と強く感じざるを得ません。

これについてもまた「良し悪し」があるため、教員人生を否定しているわけではありません。

それでも、自分自身が納得していないままあと何年も教師を続けていたら、それこそ「不完全燃焼の人生」となって、最期を迎えていたことでしょう。

教員生活を9年も続けていましたが、初任の5年間には後悔もなく、

これがやりたかったことなのだ

と思い込んでいました。

いえ、それは全く悪いことではないのです。

ただ、知らなかった

それだけのことでした。

  • 投資や税金
  • 生き方や死生観

多くの本を読み、多くの人と出会い、多くの場所を訪れました。

今までしなかった経験もするようになり、視野が広がりました。

この1〜2年で気づけたことの中で、最も重要だったことは、

今まで目に見えていなかったストレス

を、僕自身が抱え込んでいたということでした。

本当の意味での自由とは、何もしないで悠々自適に生活することだけではありません。

  • 一度きりの人生でやりたいこととは何なのか
  • 何が自分にとっての幸せで、何が人生を豊かにするのか

これらについて深く考えた上で、日々の選択していくことが人生を自由へと導くのだと感じたのです。

もっともっと、僕は自分に対して自問自答してくるべきでした。

ただ、後悔してはいません。

こうして気づくことができたのも「今だから」でもありますし、タイミングが全てだと思うからです。

もしかしたら近い将来、友人から質問を受けたシヴァーズのように、

本当の自由を獲得したのは、2023年の4月でした。教員を辞めた時です

と言うかもしれませんね笑。

あぁ、これが本当の自由なんだな

と思えたのは、素直に自分の本能に従うことがきっかけだったのですね。

自分に素直になれていない?それなら自分と向き合ってみよう。自分の思っている以上に、あなたはストレスを抱え込んでいるかもしれない。

イメージの具体化は行動がカギ

実は教員を辞めるに至るまで、僕は少しずつですが、

自由とはなんなのだろうか?

と思うようになっていました。

異動した2校目から働き方が劇的に変わり、土日の休みが多くなったと思ったらコロナ禍に巻き込まれました。

その時期から最初に行き始めたのは、地方の美術館やサウナでした。

そうして土日をフル活用してはどこかに行き、まだ見たことのない景色を見ていたものでした。

職は辞めていなかったものの、丸々2日間を遠出に使っていますと「非日常」を感じるようになります。

ん?!なんだこの感覚は??

職に疑問を持っている中で、完全に全ての業務や人間関係を忘れて歩き、出向く新しい場所。

コロナ禍で一人孤独ではあったものの、そこにわずかながらも「自由」を見出していたのでした。

拍車がかかってきた僕は、

  • 2泊3日の旅をしてみたり
  • 人に会うために何度も遠出したり

と、土日祝日を目一杯楽しむようになりました。

このあたりからもう、「自由」への道を歩き始めていたのですね。

ポイントだったのは、「小さく始めたこと」でした。

まずは近くの〇〇に行ってみよう
まずは日帰りでもいいから〇〇に行ってみよう

こうして重ねていった「体験」の数々は、僕の人生を少しずつ豊かにしただけでなく、自分が本当に求めていたであろう「自由」へと導いてくれたのでした。

答えはそれぞれが決めることであり、旅や旅行が全てだとは言いません。

しかし僕にとっては、

  • 見るもの
  • 嗅ぐ匂い
  • 会う人々

どれもが新鮮であり、好奇心をくすぐりました。

自分の思考を深く掘っていくことも大切なことですが、やはり「行動すること」は実体験を与えてくれますので、とても強力なのです。

今でも、

「行ったことのなかった美術館やカフェ、サウナにお金をかけ始めた頃のこと」

を鮮明に覚えています。

お金を使っていく罪悪感にさいなまれつつも笑、自分の幸福度が上がっていったことが「経験/体験」として積み上がっていきました。

僕にとっての「散財」が、今まで押し殺してきた「自由」とは何かを教えてくれました。

お金を伴わなくても幸せになったこともありましたし、ちょっとだけお金をかけてわかったこともあります。

大事なことは、行動して自分が何を感じるのかを知ること。

それをひとたび知ることができれば、自分の求める「本当の自由」へと駆け出したようなものですから。

まずは、自分が幸せに感じることを行動で体験してみることだ。その積み上げによって、本当の自由を求めて行けるようになるのだ。

おわりに

僕自身の口から、

今、僕はもう十分幸せです

という言葉が出るくらい、求めていた「あるべき形」へとほぼ到達しました。

しかし人生が面白いのは、

これからも、何か自分にできないか

と考え、ワクワクしてしまうからですよね。

本当の自由は、精神的に解放された時に得られる。

これはある程度真実だと思っています。

僕もこれから、さらに成長していく自分に期待しかしていません笑。

みなさんも、自分を縛っているストレスについて考え、一度解放してみてはいかがでしょうか。

それではまた!

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