こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
夏休みも終わり、いよいよ学校も始まります。
僕らはコロナ禍を1年以上乗り切ってきましたが、それでもまだまだストレスのかかることは多いです。
先生たちも「除菌作業からオンライン授業まで」と、あらゆる面で新しいことに挑戦しなければなりません。
今まで旧態依然とした学校運営を行なってきたしっぺ返しでもありますし、その負荷は相当なものです。
そんな夏休みが明けるという時に、ふと管理職から「担任、もっと頑張ってくれ」と、会議で言われました。
僕は、言い方1つでその人の「他人に対する姿勢や考え方」が決まると思っています。
今日は「言い方」について考えていきましょう。
言い方ひとつで、受け取る側の気持ちが決まる。
今日の会議での管理職の一言には、少なくとも僕は唖然としてしまいました。
というより「え?そんな言い方ある?」と呆れてしまいました。(※すずきは仏です)
まず始めに、生徒は年齢的にも精神的にも、まだまだ未熟なところがあるだけでなく、長い自粛期間にかなり辟易としてきています。
彼らを責めることはできないですし、多くの学校では、
- マスクの着用
- 黙食をさせる
など、先生たちにも難しい指導が求められています。
僕らの学校でもできる限り指導に不公平がないように、全職員が全力を尽くしているのは間違いありません。
それを知ってかどうかは判然としませんが、管理職は、
「今はかなり厳しい状況にあります。チームで一丸となって徹底していきましょう。そのためには担任の指導が特に大切です。しっかりとやってください」
と厳しい口調で言い放ちました。
みなさんなら、これを聞いてどう感じるでしょうか。
多くの方が、
- 会社員として仕事が大変な状況にありながらも、
- 無理を通して頑張り、
- 飲み会もせず粛々と、
- 一日一日をこなしている
はずです。
僕は残念ながらこの発言を、
「君たち、もっと頑張れるでしょ?ちゃんとやってよ」
としか、とらえることができませんでした。
「え…チームで1つに?
担任に『やってくれ』と全て押し付けておいて、自分は何もやらず、何がチームなんだ?
これ以上頑張れって、一体どういうことなんだ?」
学校では「健康観察」と言って、日々の体温や健康状態を記録するものを、生徒がデータで毎日送ることになっています。
- 学校によっては紙ベースのものあれば、
- 保護者が記入するようなケースもあります。
高校生ともなりますと、
- なんとなく健康であれば、記録を出さない生徒も出てきますし、
- 面倒くさがってやってこない子もいます。
もちろんこの状況下ですから、おふざけでやられても困ります。
言うことを聞かない生徒には、1つ1つ指導してゆくしかありません。
しかし果たして、
「生徒が指導に乗らなかったこと」=「教員の指導不足や厳しさの足りなさ」
なのでしょうか。
「それだったら民間の施設がやっているように、校門で検温をすればいいじゃないか?」
と、僕も何度も提案しました。
健康観察を自主的にやらせるより、確実なデータが取れるからです。
しかし、
「担任である君たちが、健康観察のデータを確実に出させる指導の努力をしてください」
の一点張りでした。
結果的には、声の大きな先生が立ち上がってくださり、検温が実施され始めました。
つまり、検温が面倒だからしたくないだけなのです。
管理職が大変なのもわかりますが、その「ストレス」が言葉の端々に出てしまっているなと、感じ取れてしまいました。
少し考えましたけれど、どう考えても現場の最前線で動いている人たちに対してかける言葉としては、不適切だとしか思えませんでした。
言い方ひとつだけでも、
- 自身の頑張りを認められておらず、
- 否定されているような気持ち
になってしまいました。
「言い方」は本当に大切です。
「自分はちゃんとやっている」と言わない
上司や管理職は立場上「後進を育てるため」に、時に部下に厳しい言葉をかけることもあります。
- 悪役になったり
- あえて厳しい態度をとったり
することは、ひとつの指導法でもあります。
しかし僕が思う「イヤな言い方」は、
「自分はできているのに、お前たちはできていないじゃないか」
という言い方です。
今回の言い方は、まさにこれでした。
管理職は厳しい気持ちでやっていたのかもしれませんが、実際に生徒指導をするのは担任や授業担当などの末端の先生です。
「お前ら、ちゃんと注意と指導ができていないじゃないか!」
と言わんばかりの言い方でした。
さすがに「その言い方はないだろう」と言いたくなりました笑。
まず、
- 現場で生徒指導をするのは教員たちのほうである。
- 生徒との信頼関係や個々の特性からも、厳しさに幅を持たせなくてはならない。
- 公平性は担保できず、生徒個人に委ねる時もある。
このことを知っておいてもらいたかったのです。
「力技」を使って、無理やり健康状態のデータを提出させることもできなくはありません。
しかし、最終的には生徒たちが自分で必要だと思って行動に移すかどうかが大切です。
先生たちの教育的な指導とは「大リーグボール養成ギブス」みたいに笑、生徒をパワーでねじ伏せるわけではありません。
この手のやり方にはいつか限界がきますし、やりすぎれば生徒との信頼関係が破綻しかねません。
学校がうまく回らないことを、
- 生徒の深刻さの欠如
- 現場の教師陣の怠慢
という批判に置き換えるのは、お門違いもいいところです。
職場のストレスに、さらに拍車をかけてしまう恐れすらあると思っています。
「自分は厳しくやっているのに、なぜ君たちはそんなに指導ができないんだ」
と言われている気しかしませんでした。
この言い方は経験上、どの人/どの場面でも相手を不愉快にします。
「俺はやっている。お前らはやれていない」
という言い方は、
- 自分は仕事ができていると過信し、
- 相手を認めずに否定すること
しかしていないからです。
ではどのような言い方がスマートなのでしょうか。
他人の頑張りや行動をまず認めてあげる
僕は管理職とは同じ立場には立てませんし、その大変さもひしひしと伝わってきています。
大きなストレスがかかっていることは、分かっているつもりです。
ただ僕は、
- 「自分は頑張っています」
- 「あなたの頑張りは足りてません」
ということは、絶対に言わないことにしています。
まず「1」においては「知ったこっちゃない」と思われるのが関の山でしょう。
本当に頑張っている人は、常日頃から尊敬されていますので、自分から言葉にする必要がありません。
「2」におきましても、「相手がどこまで頑張りきれているのか」ということは、当人とずっと一緒にいない限り、簡単に分かるものではありません。
今回のケースでは、
- 仮に「1」の「自分は頑張っている」という言い方はなかったとしても、
- 明らかに「2」の「頑張りが足りていない」という言い方をして、
全職員に対して言葉を投げていました。
- 「そんなこと言われたくない」
- 「言われなくったって精一杯やってる」
と感じた教員が多かったのではないかと思っています。
ここでは、まず「労いの言葉」が必要だったのではないかと思います。
- 「こんな状況下で生徒指導に当たってくださって、言うことを聞かない生徒の対応も大変かと思います」
- 「しかし先生方の日頃の努力のおかげで、ここまで止まらずに学校が運営できています」
といった形です。
別に「僕ら教員は、大変な中こんなに頑張ってますよ」というアピールをしたいわけではありません。
僕は、頑張っている先生方を見てきていますので、
「他校では大変な状況になっている中、生徒と日々向き合って指導されている先生方には本当に感謝している」
という趣旨を伝えて、現場への感謝を伝えるのが筋(すじ)だと思ったのです。
そうすれば先生たちの頑張りは認められ、その後の活力へと繋がるはずなのです。
それでも、足りていない部分や課題は確かにあります。
しかし相手に感謝をして初めて、
「自分も今後、変わらず積極的に生徒指導をしていきますので、ワンチームで頑張っていきましょう」
と発言ができると思うのです。
普段から自分の身を削っている人に言われるのであれば、僕ら最前線の教員たちも「一緒に頑張りましょう!」という気持ちになれますからね。
「生徒がいうことを聞かなくて、うまくいっていないのは、お前らのせいだ!」という言い方は、シンプルによろしくないです笑。
「物腰は柔らかく」という意味で「言い方に注意したほうがいい」という意味ではなく、
- 相手の気持ちや置かれている状況を汲んだ上で、
- 配慮しながら「言い方に気をつける」こと
が大切だと思うのです。
相手をしっかりと見て考えて、相手の立場に立った上でかけられた言葉には、温かさがあります。
たとえ厳しい言い方をしたとしても、相手の行動や実績を認めた上で「もっと頑張って欲しい」と頼まれてしまえば、「やってやろうじゃないの!」という気持ちになるものです。
おわりに
僕は言い方ひとつで、その人に対する態度は決まると信じています。
先ほどお伝えした通り、「柔らかい口調を心がけよう」という意味ではありません。
そのような「表面上のこと」ではないです。
「言い方」は、
- 相手のことをどう思っているか
- どう考えているのか
- 立場に立てて考えられているのか
によって、
- 相手を不愉快にすることもあれば、
- 鼓舞することもできる
と思っています。
だからやっぱり、「結局は『言い方』だよね」と思うのです。
相手を本当に思うからこそ、発言には気をつけます。
今回は、職員のことを本当に思いやっていなかった気持ちが、出てしまっただけなのです。
こういう有事の状況では、「人の本性や本質」が垣間見えることがありますからね。
極度の緊張状態が異常な長さで続いており、生徒どころか大人たちも疲れ切っています。
だからこそ相手を思いやり、ほんのすこしの想像力を持って、言い方に気をつけること。
これだけで、ワンチームとなってこの大きな壁を乗り越えていけるのではないかと思います。
お互いの思いやりを大切に。
それではまた!
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