こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、学校で球技大会が行われました。
ここ最近はコロナの影響で全くと言っていいほど行事がなかったため、先日あった東京遠足に加えて、みんな楽しそうにやっていました。
前に勤めていた学校でもそうでしたが、行事になれば生徒たちは熱くなります。
先生たちや大人からすれば「そんなに熱くならなくても…」と思うかもしれませんが、生徒たちは必死に取り組みます。
僕も若い頃は体育祭や球技大会で燃えに燃え、乱闘とまではいかなかったものの笑、勝ちにこだわりました。
今でもその気持ちは強く持ち続けていて、大切にしています。
「勝ち負けが全てではない」こともわかっていますが、「内に秘めた闘志」や「熱い心」をもつことは大切だと思っています。
今回はその闘志を持つこと、何かに熱くなることのメリットをお伝えしていきます。
ものごとに真剣に、そして熱くなる
僕自身が「熱い男」であることもありますが笑、ダンスやスポーツ、勝負ごとではできる限り本気と書いてマジでやります。
熱くなりますと、
- その時間を真剣に生きることができる。
- 見ている側も応援したくなる。
- これが本当のかっこよさ。(確信)
しかし一方で、こういう人もいるんですよ。
- 「そういう熱いの嫌いなんだよね」
- 「だるいから横で見てようぜ」
- 「めんどくせぇ…早く終わらないかな…」
- 「そういうのダサい」
僕はそういう態度でいるほうが格好悪いと思っています。言ってしまえば「ダサい」です。
しかし以前のすずきは、まさに「ダサかった」男でした。
ただ僕は、そういう生徒や大人に対して否定的であるわけでもありません。
僕がそうなりたくないだけですし、そういう人がいるおかげで「熱くなっている人」は目立つことができますしね。
いつか「何かに真剣に取り組みたくなる時」が、その人にもきっと訪れるはずです。
「真剣」とは、文字どおり木刀などの練習用の刀ではなく、命懸けでやり合う時に使う刀です。
そこから派生し、命を懸けて何かに取り組むという言葉となりました。
「人生は有限なんだよな…」と考え始めてからというものの、1日1日の練習や勉強、学びの時間でも真剣に取り組みたいと思うようになりました。
人生は刹那の連続、つまり点がつながっていって最終的に長い1つの線になると思っています。
だったら、毎回味わう体験や経験、学びを大切にするべきだと思ったのです。
全力で、真剣に、熱くなったほうが、その学びや経験を100%吸収することができるからです。
なんとなくやったことは身にならず、ただただ流れていってしまった経験がみなさんにもあるかと思います。
昨年流行りました「全集中」も、真剣に取り組むことに近い表現なのかもしれませんね笑。
少なくとも僕には、真剣に取り組んでいる人の顔はカッコよく映っていて、尊敬することができます。
勝ちにこだわる意味
教員としてコートの外から試合を眺めていますと、
- 「今のはゴールでしょ?!」
- 「出た出た!今線出てたって!」
- 「ファールだよ!審判どこに目ぇつけてんだよ!」
と、言われようのないことまで当たり散らしてきます笑。
僕は生徒たちのこのような感情の高ぶりを、幾度となく見てきました。
教員を始めたての若かりし頃は「うるせぇやんのか!」と、僕と生徒がケンカになるんじゃないかと思うほど、冷静さを欠いていました笑。あの頃は若かったですね。
今はそのように文句を言っている生徒の姿を見ても、「それでいい」と思っています。
それはなぜでしょうか。
なぜなら僕は、彼らの勝ちにこだわっている姿勢を見たいからです。
例えば、
- 「だりぃから手っ取り早く終わらせようぜ」
- 「別に負けたっていいよ。どうでもいいし」
- 「恥ずかしいし下手くそだからやりたくないな」
- 「端っこでじっとしていようっと」
と思っている生徒もいます。
そう思うこと自体は自由ですので別にいいのですが、熱くなることで「点が入った入ってない」だの「ボールに触った触っていない」だの、勝ちにこだわっている姿が大切なのです。
暴言を吐くのは良くありませんけどね。
その後「まぁまぁ落ち着いて」となだめにかかるのは、僕ら教員の仕事ですね。
では「勝ちにこだわること」の一体何が、いいというのでしょうか。
僕は勝ちにこだわる人ほど、成長してゆくと思っています。
上を目指していくということは、すなわち「自身の成長」が必須です。
それが例え球技大会であろうと、友人とのじゃんけんであろうと、
- 普段から勝ちにこだわる。
- だから真剣になることができる。
- 真剣に取り組めば、学ぶことができる。
- 負けた時に悔しがることができる。
- 何がダメだったのか、分析して次につなげようとする姿勢が身につく。
勝ちにこだわらないということは、つまり「勝負を捨てた」ということになり、その時間は無意味な時間となってしまうのです。
それではつまらない。
人生、楽しいほうがいいですよね。
おちゃらけた、ヘラヘラした態度で何かに取り組んだとしても、それは本当の意味での「楽しい時間」ではないのです。
人生を本気で楽しむなら、毎回の勝負ごとで勝ちにこだわる。
それで負けたのならそれでよし。そこから学ぶことがあればそれでいいのです。
だから楽しい。
人生はそうやって楽しむべきだと思います。
人生、勝ち負けが全てではないのでは?
「真剣に取り組むこと」と「熱くなること」は、みなさんもかっこいいことだと思うでしょうし、あまり否定する人はいないでしょう。
しかし「勝ちにこだわれ」というと、批判の嵐が巻き起こります。
そこでひとまず、僕の好きなあひるの空というバスケ漫画から、主人公の父の「車谷智久」の言葉を引用します。
毎日死に物狂いで練習してるのは勝つためじゃない
負けないためにやってるんだ
一見難しい言葉ですが「負ける時」というのは、「自分の弱さが出た時だ」という説明があります。
僕らにとって「負け」は想像もしやすいし、敗因もわかりやすい。
- 練習を怠った
- サボった
- 適当にやった
こんなことが続いた人やチームは、簡単に「負け」ることになります。
だからこそ強く勝ち続ける人やチームは、「負けない」ために練習するのです。
僕はこの言葉が大好きです。
「勝ちにこだわる」ということも言い方は違えど、結局は同じことを言っているのかなと。
何も、世界において勝者と敗者が分かれていて、勝者になれとか優劣をつけろという意味ではありません。
怠惰な自分になった結果、周りに負けてしまわないように、そして勝ち続けるために、日々自分を鍛えて磨いていく。
それ以上でも以下でもなく、結果的に勝っても負けても、自分そのものの価値はちゃんと上がります。
そして人としての高みに到達することができるのです。
毎日ブログを書くようになって、多くの時間を有効活用しようと思うようになり、「どんどん自分を磨こう。自己投資をしよう!」と努力できるようになりました。
(みなさんに読まれているという「見られている感」もありますしね笑)
確かに勝った負けたは結果論ですし、短いスパンで「はい、勝負がついたね」で終わってしまいます。
でも毎日そこにこだわっていれば、自然と人は成長できるのかなと思っています。
「継続の力」が後押しするからです。
他人と比べた「人生の勝ち負け」なんてどうでもいい。
目の前にある「自分との闘い」の中で、毎回勝負していきましょう。
そして負けてしまったら、次またがんばればいいのです。
おわりに
10代の生徒たちを見ていますと、自分が通ってきた多感な時期を思い出します。
その時期を通って、みなさんは大人になったのですよね。だからこれは一種の「通過儀礼」です。
やっぱり熱くなれるのって、若い時ですから…
いやいや、30代になってもバリバリ真剣になってじゃんけんをしますけどね笑。
いつだって、人は熱くなることができます。
そういうタイプが苦手であっても、それぞれで内なる闘志を燃やすことはできます。
そうして若い時に感じていた「喜び」や「悔しさ」を、大人になってまた感じることができるんですよね。
大人になっても、多くの感情を経験していきたい。
生徒たちに負けないように、僕も日々勝負していこうと思います。
それではまた!
コメント