めちゃくちゃ保守的になった男の末路【30代で靖国神社に初めて参拝】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

今、靖国神社に向かっています。

靖國神社
明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社。概要、年表、拝観案内。

僕は歴史にめっぽう弱くて、本当に興味がなく、

まぁそんなこと知らなくても生きていけるっしょ

と思って生きてきました。

英語に興味があったのも、そうした「海外への憧れ」が強かったからなのかもしれません。

しかしこの夏、熱い都議選や参院選を経て、

やっぱり僕は日本が好きなんだ

ということに気付かされました。

わざわざ足を運ぶ必要もありませんでしたが、

ぜひ行ってみたい

と思い、参拝することにしました。

【2025年8月15日 せいじ撮影】

今日は「保守的になった男」について書いていきます。

保守的になった僕は、靖国神社に参拝するまでになってしまった。それくらい、日本のことについて知ろうと思ったのだ。先祖代々のおかげで今の日本がある。その事実を忘れてはならない。

日本とはどういう国なのか?

歴史の先生でもありませんので、僕には付け焼き刃の知識くらいしかありません。

それでも世界を回ってきた僕からすれば、

日本とは稀有(けう)な国だ

と思わざるを得ないくらい、独特な歴史を持ち合わせています。

  • 皇室
  • 島国
  • アニメ
  • ファッション
  • 植民地化されたことがない

こんな独特な国は、世界を見てもありません。

それでもなぜ、僕らは日本を愛すことができなかったのか。

それは教育から来るものでもありましたし、政治が腐敗していたからでもあります。

僕らはどこかで、

今だけ、金だけ、自分だけ

という、資本主義の奴隷となっていたのではないでしょうか。

お金について勉強した僕は、逆説的に「足るを知る」ようになりました。

あれ?別にもう十分、豊かな生活をしているのでは?

と。

ずっと「浮世絵」などの「昔ながらの日本」の絵に取り憑かれていた僕は、

昔の日本人たちって、なんだかかっこいい

とは思っていました。

清貧(せいひん)で奥ゆかしく、他人の想いを慮(おもんぱか)る、素晴らしい民族なのだと感じていました。

江戸時代もそうですし、昭和の日本の風景も美しいものでした。

ノスタルジックに浸るというよりは、心のどこかで、

  • 日本人としての誇り
  • 日本人としての優しさ
  • 日本人としての武士道

があったのだと思っています。

僕らはこの国に生まれ、この国を生きてきました。

だからこの国を守ってきた人たちがいるということを、僕らはまた思い出さなければなりません。

歴史の解釈はそれぞれあることでしょう。

それでも、現代の日本人の人柄や立ち居振る舞いを見ていれば、日本人が極悪非道な人種だったとは、到底思えないのです。

だから僕は、先祖たちに敬意を払う意味があるのだと、感じざるを得ないのですね。

日本という国は、どこかで自虐的な文化が芽生えていた。今、保守的な人たちが増えているのは、もう一度、昔の日本を思い出している人が増えてきたからなのかもしれない。

先祖を大事にする男

さて、僕といえば「お墓参り」に対してあまり意識のない人間でした。

保守的な考え方に取り憑かれた僕は笑、

先祖代々、いろんな想いが繋がれてきて今の僕がいるのだな

と感じるようになりました。

浮世絵や昔ながらの日本が好きだった僕は、今「日本のインフラが整っていること」に対しても、知らないうちに感謝を表していました。

だったら、戦争で亡くなっていった方々にも、敬意を払う必要があるのではないか?

と思ったわけです。

恥ずかしい話なのですが、なぜ毎年「政治家が靖国神社を訪問すること」が問題になるのかということを、全くわかっていませんでした。

  • 公人としてか
  • 私人としてか

の意味もよくわかりませんでしたが、調べていくうちに「なるほど」と思うようになりました。

特に、石原慎太郎元都知事の言葉が僕の胸に刺さりました。

靖国神社参拝の記者の質問に対して、

公と個人の両方。

私の家内のお父さんもいるし、私の又いとこ2人も、

海軍の軍人で亡くなっていますからね。

それに公人として私人として

会いにいくのはどこが悪いんだね

と、ズバッと言っていたことに、

すごい愛国心だ

と、惚れ惚れしました。

人によってはこうした発言を切り取って、右派だのなんだのと言うのかもしれません。

でも、

  • 自分の国を愛し
  • 自分の故郷を愛し
  • 自分の家族を愛す

ことの何が悪いのでしょうか。

結論、何も間違ってはいないのです。

靖国神社には確かに、戦争に加担した(戦争を始めた)と言われている人が祀られているため、認識が違えば、そこに対する抵抗が生まれる方もいるかもしれません。

しかし特攻していった人たちが、果たして他国を侵略するために、無碍(むげ)に命を捨てに飛び立っていったのでしょうか。

いろんな資料や口伝を見聞きしていますと、どうもそうとは思えないのです。

命を犠牲にしてでも、自分の国を守ったのだ

と、考えてしまうのです。

だったら、その先祖たちを大切にしなければ

そうした気持ちが芽生えたのですね。

保守に回った僕は、先祖に想いを馳せるようになった。日本を守ってくれた人たちに、感謝しようと思ったのだ。

日本人としてカッコよく生きる

どんな外国の訪問者も、反日の思想さえなければ、

この国はとても美しく、人々も優しくて親切だ

と口を揃えて言います。

自慢するのではなく、僕は我が国ニッポンを誇りに思うのです。

もちろん、これは僕らの世代だけが作ったものではなく、守り抜いてきた人たちがいたからこそだと思っています。

今となっては政府は腐敗し、他国に日本を売り渡そうとすらしています。

僕を含め、多くの人がその危機に気づき始めて、気がついたら日本のここかしこで、誰もが「政治の話」をしていました。

僕は暴力や暴言には頼りたくないため、

いち日本人として、清貧に誠実に、鍛えて足るを知って、人を愛していきたい

そう思うようになりました。

それこそが日本人の気質であり、守り抜いてゆくべき「」でもあります。

何度も言いますが、だからと言って、

  • 日本が偉いとか
  • 他国が劣るとか

そういう比較をしたいわけではありません。

僕が神奈川や宮城(親の実家)に対する愛が深いように、それ以外の都道府県にも良さがありますから、他国には他国の良さがあります。

むしろ誇りと言いますか、精神と言いますか。

大和魂」を大切にしていきたいのです。

脈々と受け継がれてきた「魂」と「血」。

これを大事に生きることができているから、多くの諸外国から尊敬されるのです。

一つのロールモデルとして日本があるように、僕らは国民ですから日本を背負っていると言っても過言ではありません。

その意識をしっかりと持って、毎日を生きてゆくこと。

先人たちに恥じぬよう、毎日清く正しく、生きていきましょう。

我が国ニッポンに生まれ育ったのであれば、それを誇りに思って大切に育んでいこう。僕らの中にはまだ、大和魂が燃えているのだ。

おわりに

ふと決めた靖国神社参拝。

一昔前であれば、これを発信しただけで「思想が強い」だの言われていたことでしょう。

しかし今の日本人は、もう黙っていません。

正しいものは正しい

と、はっきりと言う人たちが増えてきました。

これはもう、止められない流れなのです。

さぁ、参拝してきますね。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました