今の自分にできることをしていくだけ【大きなことはしなくていい】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

こうして、

  • 毎日ブログを書いたり
  • 言語学習をして動画を撮ったり

している僕ですが、以前はこんな人間ではありませんでした。

ここ数年で考え方が変わったことは、このブログに書き続けてきたことでしたが、父の死を迎えて、より自分の人生が終わる時を意識するようになりました。

別に感傷的になっているわけではありません。

ただ、

毎日こうして自分の思い通りに動いている体も、いつかは自由が効かなくなるんだろうな

と思うようになりました。

今日は「今自分にできること」について、また深く書いていきます。

今できることを精一杯していこう。もう数十年後には、自分はいないのだから。ただ、大きなことではなく、目の前のことをしていこう。

何も考えていなかった若かりし頃

あえて最初に申し上げますと、

若い頃は目の前のことだけを考えて、突き進んでいけばいい

と思っています。

ある意味、もう猪突猛進くらいでいいです笑。

大人になると金銭的に余裕ができて、できることは増えてくるかもしれませんが、やはりリスクも高まってきます。

小さい頃は、

なんでもできる!

と思っていたように、若かりし頃は何も考えず、目の前のことに全力を捧げるほうがいいです。

今思い返せば、

  • 恋愛
  • 仕事
  • 体育祭
  • 球技大会

など、本当に全力で学校生活や社会人生活を送っていました。

イキっていましたし、大人たちのことを舐めてもいました。(今でも若干そう笑)

でも、若い頃はそれくらいのほうがいいのです。

大人になってなんとなく “社会” がわかるようになってきますと、

あぁ、ちょっとリスキーだからやめとこうかな

と、保守的になります。

社会の理不尽さを理解するようになるでしょうし、家族を持ったら責任も負います。

でも若い頃なら、「学生」という身分を使ってもいいですし、家族に養ってもらいながらできることも多いはずです。

それなら適切な範囲でリスクをとり、全力でやったらいい

そう思っています。

もちろん、今でも僕は「できる限りの範囲」で全力を出すようにはしていますが、

10〜20代の時のエネルギーは半端じゃなかったな

と、今でもそう思います笑。

若かりし頃は、いい意味で何にも染まらずに、自分なりに突き進んでいけばいいのです。

僕も何も考えていませんでしたが、多感だったからこそ多くのことを感じていた時代でした。

  • 年齢を重ね
  • 経験を重ね

人は成長し、よくも悪くも「大人」になっていきます。

だから「若かりし頃」は、何も考えずに突っ走っていれば、それで正解なのです。

若い頃は何も考えていなかった。でも若い時はそれでいい。とにかくできることを精一杯やっていけばいいのだ。

いつまで続くかわからない日々

しかしそんな僕も、

  • 離婚
  • コロナ

などを経験し、多くの書籍を読んでは人と出会い、世界一周もしました。

なるほど。若かりし頃と違って、いろいろと考えるようになったなぁ

そう感じた僕は、

じゃあ、だからと言ってそこにストップをかけていいのか?

と自問自答しました。

数年前から、

もう一日たりともムダにしてはいけない

そう思い始めた僕は、必死に毎日を生きるようになりました。

公務員(教員)の後半は、とにかく空き時間を使っては、

  • 英語を教えたり
  • ブログを書いたり
  • 休日に日本各地を飛び回ったり

して、忙しい毎日を送り始めました。

「その時にできること」を、精一杯やるようにしていたのです。

個人事業主になっても、この気持ちは変わりませんでした。

多くの人は、

何かすごいこと、難しいことをしなければならないんだ!

と思いがちです。

実は僕も、そんなことを感じていました。

でも世界一周をした時、

なるほど。自分のやりたいことを、できる範囲でやればいいんだ

そう思うようになりました。

今有名な方々も、昔は地道な作業をしては、大成するまでに時間を要した人が多いです。

すぐに何かをできるようになりたい

と思うことは幻想であり、毎日できることを淡々と続けてゆくことが、一番の近道なのです。

もちろん、

明日にでも!

と思うことそれ自体は、とてもいい意気込みですけどね。

少し矛盾しているようにも思えますが、

  1. いつ人生が終わるかはわからないけど
  2. 毎日できる小さなことを続けてゆくこと

が大事です。

とても難しいところなのですが、

よし!明日人生が終わるかもしれないから、今のうちに圧倒的なリスクをとってやろう!

と思うことは、筋違いだということ。

淡々と自分のできることを、毎日すること。

ある意味これが、

いつ死んでもいいように

という「思い」と、一致しているのではないかなと思っています。

いつかできるようになるだろ
適当にやっていたらなんとかなるだろ

と、何も行動に移さない毎日が続き、適当に続けている人は、いつまで経っても大成はしません。

僕はたくさん時間をかけてきましたが、まだまだだなと思うことばかりです。

明日死ぬと思うからこそ、自分のできることをやらなきゃ

これが今の僕にできる最大限のことなのです。

毎日を淡々と、できることをやっていこう。この日々がいつまで続くかわからないから。

精一杯生きるってなに?

以前より毎日を大切にするようになった僕ですが、

毎日を精一杯生きるって、何?

という質問もあるかと思います。

実は、30代も後半に差し掛かった今も、先述した「若かりし頃」のように、

とにかく目の前のことに全力になって、こなしていけばいい

と思っています。

以前の僕は、目の前のことに全力になることができていませんでした。

どこかで言い訳をし、環境や人のせいにして「できない理由」にしていました。

そうやって正当化することで、

自分はちゃんとやっている

と、言い聞かせていたのですね。

でも本当は、そんなことをする暇がないくらい、毎日を自分と誰かのために生きなければならなかったのでした。

最近は、朝日を浴びた瞬間から、

今日も一日を頑張らなきゃ。そうやって、生きていかなくちゃ

そう思うようになりました。

先述した通り、大きなことなんてしなくていい。

ただただ全力で、“その日” を生きられれば、それでいいのです。

難しいことなんてしなくていい。ただし全力で後悔のないように

自分に言い聞かせて生きてきたものでしたが、実際はそのほうが、他のことを考えている時間よりも「意味のある時間」となりました。

「自分のできる範囲」でいい。

その輪を少しずつ広げていけば、自然と「後悔のない人生」となることでしょう。

また、

  • 有名になったり
  • 偉業を成し遂げたり

することが、人生のゴールでもありません。

いつも思うことですが、

この道路を作ってくれた人がいるから、僕らは移動することができている

と思っています。

どんな仕事にも意味があるということ。

みんなが有名人を目指しているわけではないですし、トッププレイヤーになるだけが “成功” ではありません。

  1. 自分の好きなことを
  2. 自分のできる範囲内で

やってゆくこと。

それぞれの人生を、それぞれが後悔なく生きていくこと。

それこそが、豊かな人生なのではないでしょうか。

大きなことは成し遂げなくていい。ただ、自分にできることを精一杯、毎日できる範囲でやっていこう。

おわりに

毎日を必死に生きるとは、今の僕のテーマでもあります。

ただ、それを無理やり「大きなこと」に繋げる必要もないですし、「偉業を成した人が勝ち」でもありません。

多くの人のために役立てれば素晴らしいことですが、目の前の人を助けることでも、素晴らしいことです。

だから今の自分にできることを、淡々と続けていきましょう。

それではまた!

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