こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕の好きな漫画ワンピースでは、ドレスローザという国で「キャベンディッシュ」というキャラクターが登場します。
白馬に乗る彼は、めちゃくちゃカッコいいものですから、
と思えば、めちゃくちゃ強いですし男らしい。
つまり「結構いいキャラ」なのです笑。
彼は当国で行われているコロシアムを見ていながらも、外から罵声を浴びせている観客を見てこう言います。
覚悟なき者の声など 世の雑音でしかない
僕も思うところがありましたので、今日は「コメントの選択」について書いていこうと思います。
発信しているとよくあること
昨年、僕がYouTubeを始めた頃、数百人しかいないはずの僕のチャンネルに、攻撃的or批判的なコメントがくることもありました。(本当に大したことないですのでお気になさらず)
先に言っておきますが、それは1000通に1通くらいのレベルですので、少な過ぎて「逆に」引っかかるというだけで、僕の精神衛生上は全くもって問題はありません。
最初の頃はドキッとしましたが、発信しているとどこからともなく変なコメントが飛んでくることはあります。
これを経験した人は、僕の近くにも何人かいましたし、「なるほどねー」と思っていました。
と思いましたね。
「発信する」とはリスクを伴います。
自分の顔を出すことだってありますし、率直な意見を言うこともあります。
Abema TV(討論番組)なんて顕著でして、あそこに登壇しただけで、多くの人の意見がコメント欄に書かれます。
真っ当なものもあれば、
と思えるものまで、その人のライティングや思考の能力が現れたりもします。
それは出演者にも言えることであり、あまりにもトンチンカンなことを言っていますと、それだけで一気に信用を失います。
ゆえに発信するということは、それだけでリスクなのです。
それでも発信したいのは、
という意味ではなくて、あくまで「僕の意見」を1つ提示することで、誰かの考える糧になればいいなと思っているだけだからです。
リスクを伴いますが、それ以上に「僕」という人間をお伝えすることができますので、僕は発信を続けていくのだと思います。
基本的に取り合わなくていい
YouTubeやSNS、こうしたブログでも、いわゆる「変なコメント」はたまにきます笑。
- 的を射ていない
- 理不尽で非論理的
- ただ攻撃的なもの
など様々あるかと思いますが、僕からすればどれも、
だと思っています。
YouTubeでもコメントを返したことがありますが、そうやってコメントをしてくる人はたいてい、僕のリプライになんて気づきもしません。
つまりただの「災害」でしかないのです笑。
これはまるで、カフェで僕と誰かが話していたところに、通りすがりの人が、
と言ってきているようなものです笑。
そういう場合、
ということがしょっちゅうです。
反論しようとしても、次の瞬間にはいなくなっていることでしょう笑。
僕の親しい友人たちからは、
- 的確なコメントが来たり
- 応援してくれるコメントが来たり
するものですが、それは何より「僕の人となりを知っている」からなのです。
日々僕の発信を読んでくれたり見てくれていたりする人は、「断片的な予想」から批判することはほとんどありません。
つまり、それぐらい僕らは芸能人やインフルエンサーに対して、「唐突なコメント」をしているということもまた、忘れてはいけません。
僕自身は別に悪い気はしていなかったので、一応コメントを返していましたが、そのあとはなんの音沙汰もなかったものでした。
と。
だから取り合う必要なんてないです。
ほとんど意味なく「批判/攻撃」をしているだけです。
昔から思っていますが、
と感心するレベルです笑。
そんな「ダサい大人」に落ちることなく、人のいいところを見ていけるような、そんな人で溢れて欲しいものですね。
「選択=都合がいい」というわけではない
こういうことを言っていますと、
と言ってくる人も出てきます。
そもそもみなさんも同じような立場に立った時に、見ず知らずの人からいきなり批判されて、
とは思いませんか。
その人がそもそも信頼に足る人物なのか。
叡智に富んでいて「なるほどごもっともだ」と言えるような人物であると、本当に思える存在なのでしょうか。
ここで先ほどのキャベンディッシュの言葉が生きてきます。
覚悟なき者の声など 世の雑音でしかない
自分が非倫理的な行動を取りまくっていて、注意を受けたのに無視を決め込むのであれば、その場合はその発信者にも責任があります。(それにそういう人は自然と失墜していきます)
ただ、
- そもそも顔出しもしていない
- 自分の人となりを知ってくれているわけでもない
そんな「リスクを取っていない人」から批判されたり余計なアドバイスをされたって、信頼がなさすぎて頼りにしようにもできませんよね。
発信している人ならわかるかと思いますが、コメントの温度感で、
とわかるはずです。
やはり「見ず知らず」という時点で、どうも僕には、
と疑ってしまうわけですね。
一方で、なぜ温かいコメントだけ受け取っていいのかといえば、それもまたコメントの温度感でわかるからです。
こうして「自分のために時間を割いてくれた人」からのコメントなんて、嬉しいに決まってるじゃないですか。
だから「覚悟なき者」の声は、雑音でしかないということなのです。
人を批判したい人というのは、大抵は「あなたのことを思って…」と言ってきますが、それは近い存在である家族や親友だけにとどめておけばよくて、言うならば「余計なお世話」です笑。
その時間がシンプルにもったいないですから、そんなくだらないコメントをしていないで、自己投資の時間に使えばいいのにと思ってしまいますね。
僕はこれだけ発信していますから、文字からでも大体その人の気持ちが伝わってきます。
そういう意味では「無意味なジャンクコメント」には、感情的になることはなくなりました。
「何も人の言うことを聞かないこと」と「コメントを取捨選択すること」は大きく違ってきます。
自分自身を守るためにも、
と思うものには、
- いちいち感情的になったり
- 長い時間をかけて反論したり
する必要はありません。
選ぶこともまた正しい姿勢です。
覚悟なき者の声なんて、聞く必要はないのですから。
おわりに
僕が発信が好きなのは、こうした「ネガティブ」な面よりも、断然「ポジティブ」な面が多いからです。
好きな人たちとワイワイやる時間の方が大切であり、どこからともなくやってきた「信頼性のない人」となんて、取り合っている暇はないのです。
「覚悟のない人」の意見なんて、彼らの自己満足か「砂をかけてやりたい!」という意思表示でしかありません。
僕にはもっと目を向けるべき大切な人が、周りに溢れています。
その人たちを大切にしていけるよう、発信していきますね。
それではまた!
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