ずっとしてきたことは必ず自分に返ってくる【情けは人のためならず】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、電車に揺られてジョードプルからムンバイに向かっていますと、インド人のご夫婦からお菓子やらバナナやらたくさんもらいました。

僕は日本人としてただ旅をしていただけですが、

これも食べなよ

と、どんどんいろんなものをいただきました。

日本でも、同様のことは起こりますよね。

全然知らないおばちゃんからお菓子をいただいた経験なんて、多くの人がしてきたことでしょう。

今日は「自分のしてきたことは回り回って返ってくる」ということについて書いていきます。

情けは人のためならず。人に優しくしておけば、必ずそれが回り回って自分に返ってくる。

僕がしてきたこと

僕が去年の2022年にしてきたことは、「与えること」だったと思います。

何かあればお菓子を買ったり、お土産を買ったりしていたものでした。

「お金を使わずして与える」ということにも、積極的に取り組んでいました。

一方で「自分の生活は最低限にする」という修行僧っぷり笑。

去年は結構、与えまくったはずだったのですが、その資産はなかなか減らず、

与えることにもまた、限界があるのだなぁ

と思ったものです。

さて2023年は「消費の年」になってしまうことを想定していましたが、何回か記事にしているように、いろんな人の温かさに触れて、なんやかんやで頂きながらここまでくることができました。

なぜそんなに受け取ることができるのだろう?

そう考えてみますと「僕が昨年にやってきたこと」が、少しずつ自分に返ってきているのだと実感するようになりました。

直接外国にいる方々に優しくした覚えはなくても、日本でしてきたことが回り回ってきているのだなと。

僕が以前のような「Taker」だったら、こうして「もらうこと」はできなかったと思います。

こればっかりははっきりと証明できるものがないのですが、ずっと前の僕よりも明らかに「受け取ること」が多くなったと思っているからです。

スピリチュアルな話になってしまいがちですけど、僕は去年、

与えれば与えるほど、受け取ることができる」

ということを悟りました。

ここは日本ではないですし、「与えた人から直接何かをもらう」といったやりとりがあるわけではありません。

それでも、

僕のしてきたことが、今ここで返ってきている

と思えることは、なんだか気持ちのいいものでした。

世界にいても、

  • 発信をし続けたり
  • 現地の人と交流したり

することで、まだまだ与えていくこと。

形は違えど、巡り巡って返ってくるものなのですね。

過去に自分のしてきたことは、どこかで返ってくる。そう感じておくことは、悪いことではない。

何もできなくても

「旅人」とは、弱い存在でもありまして。

「オンラインで働きながらノマド生活をして、数ヶ月同じ国に滞在する」

みたいなものではなく、本当に「」を続けている僕からすれば、

  • お金もない
  • 頼りもない

という、文字通りの「孤独」でした笑。

旅の最中は、

誰かのために何かを!

ということはなかなかできず、旅を続けていくそれだけのことで精一杯です。

それでも「旅人である」というその事実に、現地の人は優しく手を差し伸べてくれます。

自分が豊かだった去年は、「与えること」にそれほど抵抗がありませんでした。

本来であれば「豊かでなくても与えること」が今の僕の課題ですが、去年与えていたことが巡り巡って、今に返ってきているとは思っています。

では今、何ができるか。

それを考えることも大切だ

と記事にはしましたが、やはり現地でも「人に優しくすること」が大切なのだとわかりました。

  • 笑顔でいること
  • 優しくいること

これらはどの国に行っても、一番大切なことだと思いました。

情けは人のためならず」とは有名な言葉であり、

「人に優しくしていれば、それが巡り巡って自分に返ってくる」

という教えですよね。

去年僕がしてきたことも、少なからず今に繋がっているとは思っていますが、旅の最中でも人に優しくしておくことで、

あぁ、この人には何かをあげたいな

と思ってもらえるものです。

今の僕の手元には何もなく、旅を続けている「ただの一般男性」です。

しかも「外国人」であり、なんの役にも立ちません笑。

それでも僕が生き生きと旅を続けることで、周りの人が気にかけてくれるようになるもの。

何も与えるものがなくても、人に優しくしておくことは大切なことだということですね。

情けは人のためならず。旅の最中でも人に優しくすることを大切にしていこう。

優しさと「情け」は別モノ

11ヵ国を回ってきましたが、誰もが優しいとは限りません。

心が貧しい人にも会いましたし、生活が困難な人々も目にしてきました。

基本的に僕も「仏のような心」で接してあげたいものですが、

  • 何度言ってもわからなかったり
  • そもそも育ってきた環境が違ったり

といった人もいます。

「情けをかけること」や「優しく接すること」で、自分が消耗してしまうような関係なら、すぐに関係を断つことが大切です。

時にその優しさにつけ込んで、もっとモノやお金を欲してくる人だっています。

本当の優しさとは、そこに「思いやり」があります。

「情け」とは「かわいそう」から来る言葉に聞こえてしまいますが、この「文字通りの情け」をかけ続けていますと、

自分が上で、相手が下

という構造が出来上がってしまいます。

その「かけた情け」が自分に回り回ってくるとは、僕は到底思えないのです。

大切なことは、目の前の人のことを本当の意味で思いやることで、相手に与えてゆくことです。

つまり「受け取る側」にも心構えが必要なのです。

特に僕は、旅の途中で「物乞いをしているわけではない」ということ。

それでも相手が僕のことを「思いやって」何かをしてくれているんだ…

そう感じるような「GIVE」を、たくさん受け取ってきました。

かわいそうな人だ

と思って僕に与えてくれた人なんて、今までいなかったからです。

  • 与える側も
  • 受け取る側も

余裕のある中でやりとりするからこそ、情けは人のためならずと思えるのです。

その線引きは難しく、僕の意見はあくまで1つの意見でしかありません。

ただ両者のバランスが崩れた時は、人間の本性が出てしまったり、痛い目を見たりするかもしれませんね。

自分にとっての「優しさ」とはなんなのか。

その点を突き詰めた上で、人に優しくありたいですね。

文字通りの情けをかけるようでは、自分に戻ってくることはなく消費するばかりだ。そうではなく、お互いに思いやりを持って、与え受け取っていこう。

おわりに

今までの自分と、今の自分。

状況は明らかに違っても、やることは変わりません。

やれることにも限界がある「今」ではありますが、そのスタンスさえ崩さなければ大丈夫。

思いやりを持って優しく接していくことで、僕自身のためになっていくことでしょう。

世界のどこでも、情けは人のためならず。

それではまた!

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