こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
生徒さんたちと話していますと「知らない言葉」もたくさん出てきます。
先日、Abeam TVで、
という討論を見ました。
僕が学生時代に「1時間弱」という言葉を調べた時は、

という記憶があり、確か辞書かネットかで調べて「1時間とちょっとだったはず!」という風に覚えていました。
しかし実際は「1時間より少ない」が正解であり、

と思いましたね笑。
当時は多分、間違った解釈のままネットに意味が流布していたのかもしれません。(自分の間違いを認めない)
そうした「誤った解釈」はかなりあって、
- 姑息
- 確信犯
- 煮詰まる
などが典型的ですね。
今日は「知らない言葉」について書いていきます。
「知らない」を前提にする
僕は以前にも、「知らないこと」をバカにしないことについて記事を書いたことがあります。
人間は間違える生き物ですし、大衆が使っている言葉は自然と「それが正解」となってきます。
例えば「姑息」という言葉は「卑怯」という意味ではありませんし、「確信犯」も「わかっててわざとやる」という意味ではありません。
また僕がブログで「一『所』懸命」というように「一生懸命」という言葉を使わないのは、そもそもは一所懸命のほうが正しいからです。
しかしご存じの通り、それを訂正しようとするほうが野暮であり、いちいち指摘する必要はありません。
お互いに意味がわかればいいからです。
よくここで出てくるのは、
という、「こんなことも知らないの?」星人です笑。
僕は以前、「新大阪」という駅を知らなかったことで、
と言われたことがありました笑。
みなさんもその人のしょうもない発言に笑ってしまうと思いますが笑、関東圏の人間からしたら関西の土地勘なんてありませんので、
- 知らなくてもいいですし
- 知らないことを恥じなくてもいい
ものだと思っています。(今は関西も詳しくなってきました)
ちなみに僕は日本の首相が変わった時も、人の話の中で「変わったらしい」ということに気づくレベルです。
みなさんは、そんないわゆる “常識” のない人をバカにしますか。
僕はしません。
自分にとっての当たり前は「当たり前」かもしれませんが、それは他人にとっての当たり前ではないからです。
常識?
あぁ、凡人が仲良く生きるためのルールか
僕はこのスティーブ・ジョブズの言葉が好きです。
そうやって誰もが、「常識」の中にいたいだけなのです。
逆に僕が、大好きなbboy(ダンサーのこと)であるRoxriteについて、

とは言いません笑。
当然ですよね。
それは「メジャーか/マイナーか」という問題ではないのです。
言葉についても同じことが言えます。
知らない言葉なんてたくさんあって、それぞれが「知らない」を補填し合いながら生きているのです。
その前提に立てない人のことを、僕は、

という目で見ていますね。
言葉は生き物
僕は先生は先生でも「英語の先生」ですから、言葉には「結構うるさいほう」です笑。
でも僕の生徒さんたちは、当然のことながら英語について知らない人が多いですから、それを丁寧に教えてあげることが、僕のお仕事になってきます。
そもそも僕にとっても英語とは「第二言語」ですから、僕にも知らない英語表現はたくさんあります。
日本語ですら、
- わからない言葉
- 説明のつかない言葉
があるのですから、それを第二言語でやろうとすると何倍も大変なわけです。
今回の動画で話題になっている「1時間弱」ですが、”正しい使い方” を考えるならば、50分くらいなのでしょうけれども、「1時間と弱」と捉えられなくもないですよね笑。
それくらい、言葉とは「曖昧」なものもあります。
言葉は生き物であり、多くの人が使えばそれが「正解」となっていきます。
上の動画内での、
- やばい
- 一生懸命
の例も1つで、それぞれが使っている言葉を追求していけば、”間違って” 使っている言葉なんていくらでもあるのです。
実はみんな、
と思って使っている言葉は、たくさんあるということですね。
辞書にも、「元は〇〇という意味が転じて…」という表記があるくらいですからね。
「意味が変わり始めている言葉」はテレビ番組などで取り上げられるかもしれませんが、すでに「意味が変わってしまった言葉」は、誰も気にとめておらず、
と言うことでしょう。
「変わったもの」に対して受容できない人は、柔軟とは言えません。
もはやこの発言のほうが「野暮」ですよね。
だから「1時間弱」と言われた時に、
と確認するのは悪いことではないのでしょうね。
「意味が移り変わりつつある言葉」は、いつか結局「多くの人が使うほう」で使われるようになりますから。
「知らない」を確認し合うこと。
それがコミュニケーションなのです。
知らないものは知らない
「知らない言葉」とは誰にでもあるものであり、多くの人が使うものが「正解」となっていきます。
「いつまでも知らない言葉」とはあるものでしょうし、すべての言葉の意味を知っている人なんて存在しません。
上の動画でもそうですが、若者たちに対して、
と言う意味がさっぱりわからないのです。
もっとずっと昔の人からすれば、
と指摘されてしまいます笑。
つまり、
- 若者言葉だろうが
- 昔の言葉だろうが
言葉とは変わっていくものという認識を持っていなければならないということ。
僕が思うに、知らないことを知ろうとすることは大切な姿勢ですが、全てにおいて「知らない」は存在するため、それが本当に大切なことであるかといえば、そうとは思えないのです。
それよりも、

と思うことのほうが、よっぽど大事なような気がしています。
今知らなければ知っていけばいいだけですし、そこでマウントを取ったり「僕は知っている」なんて言ったりする必要はありません。
知らないものは知らない。
ただそれだけのこと。
僕は今でも、

というのですが、その際に「みんな知ってるのに…」という反応をする人の意味がわかりません。
それは「自分は常識人である」と思いたいだけのこと。
そこに「僕が知る努力をすること」はあってもいいですが、必須(マスト)ではありません。
言葉の特性を知り、他人の「知らない」を認められるようにならなければいけませんよね。
おわりに
人には人の知識量がありますし、その人の趣味趣向によって運用している言葉にも違いがあります。
世代や環境によって相手の「知らない」を否定する人は、あまりにも視野が狭い人だと思っています。
特に「教師」という職業をしていたものですから、その辺りには敏感なのです。
言葉は変わっていくもの。
使い方だのなんだのといちゃもんをつける前に、「自分の知らない」について気づくこと。
まずは「無知の知」ですね。
元の意味も勉強しつつ、コミュニケーションの中で言葉を覚えていけばそれでいいのかと。
それではまた!
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