こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、元同僚の先生たちと横浜で飲みました。
僕のビジネスの話から、それぞれのこれからについて話に花を咲かせました。
僕はこの前「35歳」になりましたが、今のところ、
と思っています。
- 大学院進学
- 9年間の公務員
- 結婚と離婚を経験
- 世界を一周して視野を広げる
と、最初こそ「典型的な日本人」としてのマインドセットを持ち合わせていた男でしたが、いつの間にか世界を渡り歩いていました笑。
今日は何度も伝えてきた「人生は一度きり」という明らかなことについて書いていきます。
自分の人生は自分でデザインする
彼らと一緒に話していて改めて思ったことは、「自分の人生は一度きりしかない」という、僕が掲げているテーマそのものについてでした。
僕がずっとこの話をするのは、自分への戒めでもありますが、
という言葉を、僕の生徒たちに向けて投げかけたいからでもあります。
自分の人生は自分で作っていかなければならない。
こんな当たり前のことに気づけなかった僕は、たくさん本を読んでいく中で、
と目からウロコが落ちたものでした笑。
それだけ視野の狭かった僕ですから、世界を旅したことでその視野の広がりに拍車がかかります。
公務員(=学校の先生)になったことは決して後悔していませんし、その時だからこそ学べたこともたくさんありました。
そういった意味では、自分なりに自分の人生はデザインしてきたほうなのだと思います。
決して裕福な家庭に生まれたわけではありませんでしたが、
といった、「雑草魂」はありましたね。
人から言われて勉強をしていたわけでもありませんし、結果的にあの時勉強していた「英語」が、今こうしてめちゃくちゃ役に立っているわけでして笑。
人生何が起こるかわからないものですね。
僕は僕の人生を自分でデザインしてきましたし、これからはもっともっと自由に描いていくのでしょう。
当時は後悔するようなこともありましたが、今となっては、
そう思えています。
自分の人生を描けるのは自分自身。
- ポジティブになることも
- 人とたくさん出会うことも
自分で決めて、自分でできるようになるのです。
人生は一度きり
僕は世界の旅を終えてから、自分が日本に生まれたことを、とてつもなくラッキーだったと思うようになりました。
豊かな家庭ではなかったのですが、ここまでインフラが整っていて、なんでもそこらへんで手に入る国なんてそうそうありません。
しかもクオリティーが高いときています笑。
もちろん、日本には文化的にも政治的にも課題があって、それがイヤで日本を離れていった人たちとも会ってきました。
大切なことは、「いろんなオプション(=選択肢)がある」という事実を知っておくことです。
それを知っているのと知らないのでは、人生の広がりが大きく変わってきます。
日本に生まれたというその時点でいろんな選択肢があるはずなのに、どこかで「そんなものはない」と言い聞かせられて、踏みとどまっている人たちを見てきました。
僕もそのうちの一人でした。
「選択肢が無数にある」とわかってからは、日本という国に生まれたことがいかにすごいことなのかということに気がつきました。
先日、同僚の先生は、
と言っていたことが印象的でした。
僕も「自分の人生」を考え始めて、ここ数年間はずっと突っ走ってきました。
たくさん失敗したと思っていたのでしたが、失敗を失敗と捉えることもなく、なんやかんやでここまで来られました笑。
果たしてそうでしょうか。
人生、いつパッと終わるかなんて、誰にもわかりません。
だったら、この一度きりの人生、
- 恥をかきまくって
- チャレンジしまくって
生きていきましょう。
- 今でも
- 明日でも
そう言って僕は、人生を終えたいですね。
後悔はないか?
と僕はこの数年、特にこの2年間(2022〜2023年)は必死に生きてきました。
後悔ばかりの人生でしたが、いつでも自分の人生に責任を持って生きてきたことは間違いありませんでした。
途中、笑われたり貶(けな)されたりしながらも、人との関わりを大切にしながらここまできました。
何人かの友人や生徒さんにはお伝えしたのですが、
と思っています。
いろいろとやりたいことはやってきましたし、夢の世界一周もやってしまいました笑。
だから後悔はしていないのですが、一方で、
という気持ちはたくさんあります。
そこにブーストがかかったのは、世界を見てきて「自分にはなんでもできる」と思うようになったからでしょうか。
これは決して「自信」ではありません。
先述した通り、
- 日本の豊かさ
- 人生は一度きり
といった「いろんな事実」を、総合的に加味してから感じたことでした。
そう思えるようになったのは、30代に入ってからでした。
他の人と比べたら、かなり遅かったほうなのかなと思っています。
そうとも思っています。
年齢はただの数字ですからね。
人が言う「20代の時は〇〇しとけ…」は当てになりません。
僕は僕なりに、人生を必死に生きてきました。
その時その時では後悔をしたかもしれませんが、今はもうここまでやり切れましたので、何も後悔はありません。
みなさんも同じように感じていますか。
そんな人生ですか。
毎日を必死に生きること。
こんな…こんなちっぽけで当たり前なことが、僕の「しょうもない生活」にずっとずっと、必要なことでした。
これは毎日考えるべきことなのです。
やることのない一日なんて、2022年からはありませんでした。
毎日を「僕は生きている!」と、そう思えるようになりました。
もう後悔はありません。
一方で、僕の人生の第二章は始まったばかりでもあります。
後悔はないけれど、やりたいことはまだまだたくさん。
毎日を生きて生きて、生き抜いてゆくのです。
おわりに
毎日を生きること。
これは当たり前のことのようで、実は奇跡の連続なのだと、多くの人が言っています。
僕のじいちゃんばあちゃんや、友人の教授が亡くなっていったように、僕らだっていつどうなるかわかりません。
そんな毎日を、いろんな問題や環境によって、幸せに生きることができていない人だって、日本にも世界にもたくさんいます。
少なくとも僕は恵まれていました。
それなら、その毎日に感謝して、誰かにまた幸せを与えられる人でいたいですよね。
それではまた!
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