こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
高校時代、なまじ勉強ができた僕は、
と言われたことがありました。
別に特別な感情はありませんでしたが、
と思ったことはたくさんありました。
だって、
- 勉強してきたから点数が取れて
- それなりに時間をかけて努力したから
頭が良くなった(?)ということを、僕自身が一番感じていたからです。
凡人である僕が戦うには、勉強しかなかったんですよね。
今日は「人を羨むことの意味のなさ」をお伝えしていきます。
戦う武器は勉強しかないと思っていた
当時の僕は(いや今でもそうですが笑)、
と信じ込んでいました笑。
テスト前1週間は家や図書館で追い込んでいましたが、何より普段の授業で頑張っていました。
別に勉強だけが全てではないはずなんですけどね笑。
凡人中の凡人である僕ができたのは、
- 継続
- ルーティン
だったのでした。
中学1年の1学期であまり「5」が取れなかった僕は、
と自分に宣言し、それ以降はほぼ全てが5という成績が続いて、最終的にはオール5になりました。
中学から高校に上がっても、普段の成績を維持するために、
- 授業をきちんと聞いて
- 提出物やテストで結果を出す
ことをしていました。
要は「めちゃくちゃやっていた」という、シンプルなものでした。
たまたま「勉強」が1つのフックとはなりましたが、
と理解しました。
中高時代に中途半端に器械体操をやっていた後悔から、大学でブレイクダンスを始めた僕は、基礎から徹底的に練習することにしました。
「勉強」は実は応用が効きます。
- ダンス
- ビジネス
- ランニング
など、基本的には努力をしなければなりませんが、一方で努力をした分だけちゃんとバックもあります。
学生時代に一所懸命勉強をしただけなのに、
と言われた時は、驚きを隠せませんでした。
と。
勉強が一番大切だなんて言い切るつもりはません。
ただ、
- 学生という身分であり
- テストでいい点を取りたいのならば
それなりに勉強して努力することは、当たり前のことなんじゃないのかなと思ったのです。
当時のせいじ少年は、そんな言葉を投げかけられるたびに、
と思っていました。
「努力はもちろんしました」
だからテスト前にある「会話」が、僕はあまり好きではありませんでした。
と聞かれたからです。
答えはもちろん、
でした笑。
なぜそう聞かれているのかもよくわかっていませんでしたが、要は彼らは、友達から「いや、全然勉強してない」という回答を受け取り、安心したかったのだと思っています。
別に僕は、
- 自慢するわけでも
- マウントを取りたいわけでも
ありませんでした。
純粋に、
と思っていたのです。
みなさんなら、この「質問してきた友達」の意図がなんとなくわかると思います。
でも僕は、この手の質問がキラいです。(だろうな笑)
「だからなんなんだ?」と思うからです。
テスト期間なんだから、勉強をしてくるのは当たり前であり、仮に僕が「勉強をしてこなかった」と聞いて、その人は一体何になるというのでしょうか。
やり取りが鬱陶(うっとう)しかったため、「もちろん勉強してきた」と胸を張って言っていましたね。
逆に聞きたかったのは、
ということです。
「言葉のあやじゃないか」と思う人もいるでしょうし、「学生あるあるだろ?」と言う人もいるかもしれません。
でもしまいに、
と言われた時には、さすがに怒ろうかと思いました。
違うのだと。
それなりに時間を割いて、君たちが授業中に寝ている間に理解しようと努力し、毎日何時間も勉強してきたのだと。
僕が言いたいことは、「努力した僕ってすごいよね」じゃないのです。
と、半(なか)ばその人の言い方に腹が立ったんですよね。
と。
だからテスト前もテスト後も、僕ははっきりと「自分は頑張ったのだ」と言いました。
頑張らずしてテストでいい点なんて獲れないのだと、一番わかっていたからです。
人を羨んでも仕方がない
そんな僕だって、人を羨(うらや)ましいと思うことは多々ありました。
ただ、口にすることはありませんでした。
それは自分の努力を否定することであり、自分が頑張っていないことを認めることになるからです。
例えば僕がダンスを始めた頃、
と思ったことが何度もありました。
でも実際に大切なことは、僕自身がそこに到達できるように努力することなのだと、すぐにわかりました。
彼らは僕になることはできませんし、僕も誰かに取って代わることはできないからです。
先ほどの友人たちのように、羨(うらや)んでいたところで何の生産性もないどころか、自分が努力していないという事実をひけらかしているようなものでした。
と、いつも自分に言い聞かせていました。
テレビやネットでニュースを見たり探したりしなくなったのは、それだけ「世間/他人のこと」に注目している時間がムダだと感じ始めたからでしょう。
人を羨むことは「人と比べること」であり、焦点が「他人」に移ってしまっています。
僕だって、
- 英語は話せないわ
- ダンスはできないわ
- ランニングのタイムは遅いわ
と、できないことばかりでした。
それでもシンプルに努力して、できるようになったことばかりでした。
というよりも人生って、そうやってみんな努力してきたはずなのです。
それなのに、「すごい世界」を一度でも見てしまいますと、
と言い始める人がいます。
でも本当は、その「すごい人」自身にも、努力してきた背景が必ずあるはず。
それを知っていれば、
と思えるのではないでしょうかね。
だから先ほどの友人たちの質問や意見に、僕は嫌な印象を持つのだと思っています。
もちろん、その人のキャラクターにもよりますし、その人が努力していると知っていれば、その発言も冗談なのだろうなとは思います。
ただ、頑張っている人はあまり人のことを気にしたり、「いいなぁ」と羨(うらや)んだりすることもありません。
羨むということは人と比べているということ。
僕はその時間を、自分のための投資に使いたいですね。
おわりに
僕は自分がまだまだ未熟だと思うからこそ、
と思っています。
そうやって毎日努力していけば、結果もついてくると思っているからです。
時に空回りしてしまうこともありますが笑、それもまた1つの経験です。
人を羨むのではなく、どうやったらそこに到達できるのかを考えること。
僕の旅はまだまだ続きます。
それではまた!
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