こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
言語学習の動画を撮り始めたり、朝活を毎日やったりしている僕は、
と言われることが多々あります。
僕が教育者としていつも思うのは、
ということです。
何より、頑張っている人を見ることが、僕にとって一番嬉しいことだからです。
しかし「人に頑張らせること」はとても難しいということを、みなさんはご存知でしょうか。
よく親御さんが、
と言っているのを目にしますが、僕は僕なりの答えを持っています。
今日は「人に頑張らせること」について書いていきます。
北風と太陽
教師とは「人に何かを教育すること」であり、知識や技術の伝達が主な仕事です。
その人を「頑張らせる」必要はないと思っていまして、
と、僕は信じているフシがあります。
だって、「やれ」と言ってやってくれるなら、
と言っているようなものだからです。
ただし、「人を変えることなんてできない」という考え方は、無責任であることとは違います。
やるかやらないかはその人次第だとは思っていますが、
- 自分も頑張る
- 定期的に投げかける
などのアクションをすることは、教師にとっても大切な要素だからです。
特に「話を聞いてほしい」というお願いを断ることはできませんね笑。
僕が思うに、もし「他人を変えたい」と思っている人がいるならば、なおさら他人に干渉しないことをオススメします。
「他人は変えられないから」です。
大切なのは、童話「北風と太陽」の『太陽』になることです。
風で無理やり旅人のコートを脱がすのではなく、その人が自然とコートを脱ぐように仕向けること。
これは「暑いか/暑くないか」の物理的な話ですので笑、
- 勉強をするかしないかとか
- ダイエットをするかしないかとか
そうした類(たぐい)の話と一緒くたにすることは、なかなかできません。
ただ、本質は似ていると思っています。
その人に無理やり頑張らせようとするのは、返って逆効果ですし、人はそう簡単に変わることはできません。
だから僕は、「太陽になること」のほうを選ぶようになりました。
すごく悪い言い方をすれば、
といった感じです笑。
よく親御さんたちも、ご自身のお子さんを必死で変えようとしますが(小さい頃ならまだしも)、中〜高くらいになってきたら自我もしっかりしてきますから、自分のやりたいようにやるようになります。
それを変えようとするのは、至難の業です。
無理せずに「太陽」となりましょう。
自分が頑張っていなければ何も言えない
ここで大切にしたいことは、
です。
と言われそうですが、「頑張る」にもいろいろな形があります。
- 仕事を頑張る
- 分析を頑張る
など、その人自身が現役のプレイヤーではなくても、何かしらの努力をしていなければ尊敬されることはありません。
となりますが、基本的には「無理だ」と思っています笑。(おい)
ただ、もしお子さん(あるいは僕でいうところの生徒たち)に勉強をさせたいのであれば、自分の背中を見せる必要があります。
特にご自身が「勉強を楽しそうに頑張ること」は、一番効果的です。
もちろん、これにも確証はなくて、
と言われても、仕方ありません笑。
何度も言うように、「人はそんなに簡単に変わらない」からですね。
ただ、だからと言って自分が何もしていなければ、やはり「説得力」はありません。
僕のケースですが、
- 勉強する
- ダンス練習をする
- 授業の準備をする
- 毎朝、朝活を行なう
など、「自分が率先してやること」を心がけています。
それを見て頑張れる人もいれば、「そんなもの自分には関係ない」と言って、なんとか自分の視界に入れないようにする人もいます。
「頑張らせること」が正義とは言えませんが、
- 親
- 教育者
など、人を頑張らせる立場にいるのならば、まずは「自分から」です。(子どもがまだ小さくなければ)
積極的に動いている人を見るからこそ、
と思ってくれますからね。
変わってくれない相手のことを考えるのではなく、自分に目を向けることからですね。
ロールモデルを目指す
僕がなぜこうして、
- 積極的に行動し
- 常に発信するのか
と言えば、僕が根っからの教育者だからです。
教育者とは、
- 学校にいる時
- 教壇に立っている時
だけが教育者ではないからです。
その人の教え方だけでなく、生き様や生き方を見せる「背中」もまた大事だからです。
若かった頃は、働き始めとはいえ、僕は家に帰っては自堕落な生活をしていました。
今ではサウナや会食を除いて、休憩がてらゆったりする時間(一日の数十分くらい?)はありますが、それでも生徒たちに誇れるような生活をするように心がけています。(もっと頑張れ)
と思っているからこそ、なのかもしれませんね。
生徒たちの「ロールモデル」になるように努力すること。
頑張れない人に無理やり「頑張れ」と声をかけるのではなく、
という “形” を見せることですね。
特に教員時代でも、勤務中や退勤後にリラックスすることはあっても、毎日何かしら行動はしていましたね。
今ほど自由はなかったので、公務員(=教員)にコミットしていましたが、
とは思っていました。
要は、「行動で魅(み)せること」を意識するようになっていたのです。
だから毎日頑張るのですが、だからと言って「頑張るオレって偉いなぁ」ではダメです。
自分の残りの人生についてちゃんと考え、毎日行動をすること。
そうして初めて、生徒や後輩、友人や子どもたちにも「あなたも頑張ってみなさい」と言うことができます。
人を頑張らせたければ、無理強いをせず、
と考えてみましょう。
「頑張らせたい人」が目指す姿に、自分はなれているのか。
あるいはコーチングの類(たぐい)であれば、その人が理想の姿になれるようにその人のために必死でサポートをしているか、ですね。
いずれにせよ、他人を頑張らせるとは簡単なことではありません。
いつでも動くことができるのは「自分」です。
まずはそこから、頑張りましょう。
おわりに
こうして僕が毎日ブログを書くのは、
という意図からではありません笑。
ただただ、自分が思うことを備忘録として残すとともに、
と思って続けています。
僕が頑張らなければ話にならない。
そう思い、今日もまたルーティンを続けていきましょう。
それではまた!
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