少し斜に構えることで良かったこと【常に疑う姿勢も持っておこう】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

英語を教え、かつ言語の学習をしていますと、いろいろと調べることが出てきます。

この表現で合ってるのかな?

英語を20年以上も勉強してきた僕でも、いまだに「そんな言葉ある?」みたいに思うことが多いです笑。(勉強しろ)

僕は結構、「正しいこと」を突き詰める性格ですので、

ネイティブはこう言うけど文法的には誤り

とか、

文法的には正しいんだけど、ネイティブはこう言わない

ということを見つけることが好きですね。

今日は「情報の取捨選択」ついて書いていきます。

少し斜に構えているといい。ものごとに絶対的な正しいことなんてないからだ。その上で自分なりの答えを導き出そう。

懐疑心MAXの学生時代

僕は昔から勉強が大好きだったため、先生を試すようなこともしていました。(クソガキ笑)

もともと社会に反抗的な姿勢を持っていましたので、「学生」という身分をいい武器にしては、大人たちに食ってかかっていました。

それだけ “マジョリティ” が嫌いだったんですよね。

この集団の中にいればなんとか平静を保てる

という感覚を持っている人が、とても嫌いだったのです。

だから、

  • 大人
  • 社会

に対しても、あまり好意を示せていなかったんですよね。

今はだいぶ柔らかくなりましたが、20代でもまだまだトガッていまして笑、英語の話題になるとすぐに、

それは違うと思う

と言っては、好戦的な態度をとっていました笑。

弱さや知識のなさの裏返しでもありましたが、

とにかく自分なりの『真実』や『正義』みたいなものを突き詰めたい

という性格だったのです。

ネットが出始めた中高時代も、パソコンの前にかじりついては、高校から出される難しい問題について、何時間も調べていました。

いい意味で「先生のことが絶対だ」と思っていなかったため、いろんな資料をかき集めては「エビデンス」なるものを探し求めていましたね笑。

そうやって培った「疑う力」は、今にも生きています。

  1. 徹底的に調べつつも
  2. 自分が納得する按配で留めておく

という、バランス感覚を持てています。

学生の頃は疑う力がものすごかったのですが、同時に「これだ」と思うものには全力で取り組んでいましたね。(どっちだ笑)

ただ、今でもこの「疑う力」は大事だと思っています。

学生時代はいろんな人に対して懐疑的だった。今思えば、そのおかげで検索する能力も身についたと言える。

適度に疑うことはいいこと

今でもネットにはお世話になっていますが、それでも1つや2つ記事だけ見て「はい終わり」とはなりません。

いくつも記事を集め、

本当にこの言い回しであっているのだろうか?

と、

  • 目の前の資料
  • 自分の知識と経験

を突き合わせながら「自分なりの解答」へと向かいます。

専門的な知識がないものに関しては、適当に調べてさっと “答え” にしてしまいますけどね笑。

もちろん、書籍にもあたってみたり、「その道のプロ」である友人にも話を聞いたりする時もあります。

先日もYouTubeで、バイリンガルの人の「英語表現」について見たところ、ちょっと疑わしかったので下のコメント欄まで目を通しました。

すると、

この表現はこちら(イギリスやオーストラリア)では普通に使います

というコメントもあって、

やはり信じすぎなくて良かった

と思いました。

その後は調べていませんが、自分の知識や経験もベースにありましたので、自分なりに答えを出しました。

英語に限らず、討論番組を見たり記事を漁ったりするのは、学生時代にあった強い「懐疑心」からくるものです。

そうして疑うことで、「いろんな情報」を得られます。

特に、

  • 自分が経験してきたもの
  • 自分が勉強してきたもの

については、

うーん、そんな表現、見たことないけどなぁ

ときっちり「疑い」ます笑。

でもこの姿勢のいいところは、自分の中で「世の中に絶対の正解はない」という、ある意味での「真実」を理解できているという点です。

食や睡眠、勉強方法や考え方なども、真実はないと分かっていながら、自分の考えや価値観などにも疑いをかけつつ、自分なりに試していきます。

実際、食や健康については、自分でやって初めてわかることだらけでした。

全てを疑ってしまっては何も始めることはできませんが、なんでもかんでも鵜呑みにしてしまいますと、間違った情報を入れてしまうこともあります。

これが面白いところなのですが笑、

  1. 世の中に正解はないと思いながらも
  2. 同時に自分なりにちゃんと “正解” を求めていくこと

が大事です。

「間違った情報」については、あとでアップデートしていけばいいですが、調べるときくらいはそれなりの情報に触れておいたほうがいいですからね。

僕はいつまでも「少し疑う男」でいると思います笑。

多少の懐疑心は、自分なりの正しさへと導いてくれる。世の中に正解はないが、たくさんの資料と自分の知識と経験を合わせて “真実” を突き詰めていこう。

自分の糧になればOK

  • 疑いもなく鵜呑みにすること
  • 疑いすぎて全く行動に起こさないこと

は、どちらも正しいとは言えません。

いつでもバランスは必要であって、僕は以下の手順で真実を探します。

  1. 新しいことの発見
  2. ネットで簡単に調べる
  3. 本当にそうだろうかと友人に聞く
  4. YouTubeで話題になっているか調べる

ですかね。

そして自分が調べたこと、経験してみたことを友人に話してみます。

いろんな資料を見たんだけど(やってみたんだけど)、僕はこう思った

実はこれにも、とてもいい効果があります。

いやね、実際は違うらしいんだ

という、反論が来る可能性があるからです。

そうしますと、

え?!本当に?!まじで?ちょっと調べさせて!

と言ってスマホで調べられます。

もっと専門的なことであれば、英語やダンス以外のことではお手上げですので、専門家による書籍を読めばいいのですけどね。

要は、また自分の知識の確認になるのです。

そうした試行錯誤を繰り返していくことで、僕は自分の糧にしていきます。

仮に、

お前の言っていることは間違っている

と言われても構いません。

  1. 自分なりに徹底的に調べ上げて
  2. 実際に自分で体験してみて感じたこと

であれば、「自分なりの答え」が出ているからですね。

英語を教えていての経験ですが、長い時間をかけて勉強してきたものに関しては、間違っていたとしても微妙な間違いであることが多く、大きく外すことはありませんでした。

本質としては、

  • 疑うか疑わないかとか
  • 間違っているかどうかとか

という点が大事なのではなく、

自分の判断のための材料となればいい

ということです。

ただし先述したように、どちらか(鵜呑み vs 懐疑的)に極端に振れすぎてしまいますと、糧になるどころか、そのまま間違った方向に行ってしまいかねませんけどね。

適度に疑うことで、いろんな情報を得られるようになります。

それが回り回って自分の糧になると知っていますので、僕は今でも多少は疑っては調べ、意見を聞いては自分のモノにしていきます。

この繰り返しでつけた知識であれば、他の人がなんと言おうと大丈夫です。

その人が専門家ではない限り、あなたが調べた時間のほうが長いのですから。

少し疑って、自分なりの解釈を出そう。大丈夫。自分が徹底的に調べたのであれば、何を言われても大丈夫だ。

おわりに

学生時代から、

  1. 調べまくって
  2. 自分なりの答えを出す

ということはたくさんしていました。

そうしますと、

こうだと思うけどなー

といった「ちょっと調べた程度の人」の意見を聞いても笑、ブレることがなくなります。

いつでも按配が大切ですので、「自分なりの納得感」に向かっていけば大丈夫。

時に人の意見も「そうなんだ?」と聞きながら、比較して情報を取捨選択していきましょう。

それではまた!

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