いつでも飛び出せる準備をしておこう【モノを持たないことで得た人生】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、また地震がありました。

災害とはいつ起こるかわからないものでして、

いやいや、自分には関係ないから

と思っている人がほとんどです。

かく言う僕も、それほどしっかりと準備をしているわけではありません。

ただ、

  • モノを減らすこと
  • モバイル充電器を忍ばせておく
  • ローリングストック(買い溜めておくこと)

などをしているので、一応いつでも家を飛び出せるようにはなっています。

普段からモノもあまり食べなくなったので、実際の災害時にどこまで頑張れるかわかりませんが、空腹にも耐えられるように鍛えています。(?)

今日はミニマリストから派生させて、「いつでも飛び出せるようにしている理由」を書いていきます。

いつでも家を飛び出せるか。いつ自分が消えてなくなっても大丈夫なのか。考えておこう。

モノを持たないメリット

僕は引っ越しにかこつけてモノを減らしていったわけですが、それは現在、とても良い効果を生み出したと思っています。

特に「いざ!」という時に効果を発揮するのが、モノへの執着を持たない心です。

自分は裕福な家庭で育ったわけでもありませんから、実は「幼少期〜青年期」にかけて、「モノ」を持つことへの憧れがありました。

モノ持ちは良かったので浪費や散財をしていたわけではありませんが、どこか隣の芝を羨(うらや)むような、そんな気持ちはありました。

あぁ、〇〇があったらもっと幸せなんだろうな

と。

しかし公務員になり、離婚を経験して独身となりますと、生活する上で欲しいものはほとんど手に入るようになりました。

高級なものさえ望まなくても、「いい暮らし」は十分できるのが日本のすごいところですからね。

そうやって「要らないもの」を手放していったおかげで、人生に集中することができましたし、災害時にも最低限のものだけ持って出るか、あるいは最悪家が潰れても大丈夫なものしか持たなくなりました。

身の回りもスッキリしますし、お金の面だけはまだ親族に伝えられていませんが、

自分がいなくなっても、特に残るモノはない

という状況に近づけています。

本当に大事なものなんて、IT機器まわり(スマホ、パソコン、カメラ)のものくらいです。

大きいものですと、ベッドとかレンジ、自転車でしょうかね。(やっぱり少ない笑)

どこかに一泊しよう!

と思ったら、最低限の着替えを持って出るくらい。

なるほど。

ミニマルになると飛び出しやすくなるのですね。

モノを持たないと、思い残すものもなくなって来る。人生をスッキリ終えられるのだ。

終焉を考えておくこと

偉そうに言っておきながら、僕はまだ「終活」ができておりません。

本来であれば、何も残さずに死を迎えたいところですが、まだお金や株などを兄妹家族に伝えていないので、「どこかでやらなくては」とは思っています。

ただ、こうしていつも「終わり」について考えていますと、

やっぱりムダなモノは要らないんだよなぁ

と考えるようにもなります。

いつ来るかわからない「終わり」とは、

本をそっと閉じるようではなく、本を急に落としてしまうような感覚なのだ

と、医療現場で働いている友人から聞いたことがありました。(Xのラジオ

僕は30代という若さではありますが、不慮の事故で今年中に亡くなる可能性だってありますし、10年後に不治の病でこの世を去っているかもしれません。

ただ “寿命” という観点から見れば、

100歳前後まで生きたらすごいんじゃない?

というだけであって、どこで自分にそのタイミングが来るかはわからないということです。

そう考えれば考えるほど、モノに執着することもなくなれば、

今をどうやって生きていこうか?

と思うようになるわけですね。

ある意味、ミニマリストたちはこうした現世への執着を捨てた「世捨て人」とも言えます笑。

現代は昔に比べて、モノやサービスで溢れており、やりたいことのやれる時代となりました。

日本にいる限りではモノに関して不自由はないですし、

これ以上何を求めろと?

と思うくらい、物質で溢れている世の中です。

そんな現代であえて、

いつ終わりが来てもいいように

と考えておくことは時代に逆行しているようですが、いつの時代でも変わらない真理だとも言えます。

終わる時は、いつもあっという間です。

その時のためにできることは、

  • 貯蓄をすることでも
  • モノを溜め込むことでも

ないのです。(バランスは大事ですが)

災害時のための多少のストックと、いつも清貧な生活を続けていれば、僕は十分です。

みなさんも、たまに「最後」を意識してみてはいかがでしょうか。

終わる時とはふとした瞬間にやって来る。その時のことを考えると、今に集中できるようになるのだ。

いつでも飛び出せるように

大切なことは、「災害時にいかに適切に行動することか」ということではありません。

確かに、僕の周りには震災を経験した方々もいて、

いつ何が起きてもいいように

と準備されている方は多いですから、彼らは迅速に対応できるかと思います。

だから、「別に何も対策しなくていい」というわけではありません。

ただ僕には経験がない分、次にそうした被害に遭うとしたら、それは初めての経験となります。

どんなに準備していても、「初めて」ではいろいろと不備があるものです。

そのために訓練があったり、予行演習があったりするのでしょうけれど、やはり限界はあります。

じゃあ僕にできることはなんだろう?

そして思い出したのが、バックパッカーでの経験でした。

モノで溢れている日本と違い、

  • 水は出ない
  • コンビニも遠い
  • ランドリーもない

という、「プチ・サバイバル」を経験したことで笑、少し耐性がつくようになりました。

繰り返す引っ越しに加えて、バックパッカーでの経験も相まって、

  • 足るを知る
  • モノを減らす

といったところまでに至りました笑。

いつでも家を飛び出せる

こう思えることは、一種の災害対策とも見なせます。

当然、しっかりと準備している人や経験のある人には敵(かな)いませんが、そうした “準備” をしておくことで、「最低限の生活で生きていけるように」とは心がけています。

みんながみんなそうしろ

と言いたいわけではありません。

僕自身も、今の生活に至るまでにいろんな考え方や価値観に触れてきましたので、それらがあっての今だとも思っています。

モノへの執着がなくなったことや、足るを知れたことなどで、自分の人生の生き方はだいぶ変わりました。

ムダなことを省いていきますと、自然と「いつでも飛び出せる状態」となるものです。

もう失うものなんて何もない

こう思いながら過ごしていければ、それは素晴らしいことです。

いつでも飛び立てるよう、僕は今日も最低限の暮らしをしていきます。

何があってもいいように、いつでも飛び出せる準備をしておこう。それもまた1つの災害対策なのだ。

おわりに

今はモノもあまり持たなくなり、必要なものなんて仕事道具であるこのパソコンやスマホ、カメラくらいです。

ベッドや自転車は失うとなると残念ですが、まぁ最悪それも仕方ないでしょう。

でもそれくらい執着をなくしておきますと、身動きもとりやすくなります。

モノを減らしたら自由に近づきますし、いつでも出発できます。

みなさんはどうしたいですか。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました