言語における正確性と寛容さのバランスについて【適当が一番危険】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、生徒さんと言語の正確性について話をしました。

僕がいつもお伝えしている通り、

言語の感覚とはバランスが必要で、「適当にしゃべってもいい」が横行してはいけない

ということは、言わずもがなです。

日本語においても、僕はいつも、

  • 姑息
  • 確信犯
  • 煮詰まる

などを例にあげては、

これらは誤った意味で使われていることがほとんど

と言っています笑。

半分冗談ですが、英語の学習に限らず、言語学習では「正確性」が大事です。

今日はその「正確性」と「寛容さ」について学んでいきます。

言語学習においては、寛容さもさることながら、ある程度の正確さも大事だ。それらをバランスよく取れるよう、変なアドバイスに耳を傾けないようにしていこう。

言語においては正確性が大事

なんだよ!英語を間違ってもいいからしゃべることは、悪いことじゃないだろ!

こうした意見を持っている人にはっきり言いますが、つまりその人は「勉強したくない」ということではないでしょうか。

図星じゃないですかね。

  1. 適当に勉強して
  2. 伝わればそれでいい

そう思っているのかなと。

しかし、『伝わる』というのは残念ながら、皮肉なことに勉強しているからこそ伝わるものです。

僕も、初心者の方々に英語を話すように仕向けてはいますが、

とにかく間違えてもいいから話そう!(ただしちゃんと家で勉強してきてね?)

という含意があります。

なぜ僕らは英語学習の時に、発音から過去形や未来形(意志や推量)、時制から活用までを学ぶのかを考えれば、自ずと答えは出てきますよね。

それは「伝わる英語」を学ぶためだからです。

よく他の生徒さんからも、

諸外国の人とチャットしていると、間違った文法ばかり使ってくる

というクレームがきます笑。

当然「言語を使っていくこと」それ自体は本当に素晴らしいことですし、それこそが言語学習の最短距離とも言えます。

一方で「伝える」ためには、

  1. 文法や語彙を勉強し
  2. ネイティブが使う正確さを把握する

必要があります。

これを、

蔑(ないがし)ろにしていい。どうでもいい

と言ってしまっている人は、気をつけたほうがいいと言っているのです。

要は「勉強をしたくない」ということですからね。

使うことはいいこと。

ただし、言語は正確性を元にして会話が成り立っています。

昨日のことなの?今日のことなの?

これを伝えるにも、時制や語彙、発音や語法などが必要なんですよね。

言語において正確性は外せない。間違えてしゃべってもいいけれど、しっかりと勉強していこう。

寛容さは程度問題

ではどこまで寛容になったらいいのか。

わかりました。せいじの言う通り勉強します。でもそれじゃあどこまで許容していいんだい?

こんな質問が飛んできそうですよね。

僕がお伝えするベースの考え方とは、

正確性を大切にしながらしゃべっていけば、それでいいよ

ということです。

僕が今でも、自分で間違った文法を使った際に言い直すようにしているのは、

あー違った違った。そうじゃないや

と、俯瞰して見ているからです。

この根元にある考え方とは、

間違ったまま進んではいけない

というものです。

え?それが日本の英語教育を妨げてきたのでは?

おっしゃる通り。

ただ、極端に「間違えなんて気にするな」が行き過ぎますと、結果的に「伝わらない」が出てきます。

その時は「話せて楽しい」と感じるかもしれませんが、本当の楽しさは「正確に伝えられた時」です。

コミュニケーションを取る上では、ある程度の「適当さ/寛容さ」みたいなものは必要だとしても、やはり「しゃべれるようになりたい」と思っている言語に関しては、きちんと「合っていたかどうか」を確認する必要があるということ。

その上で、毎回間違いを恐れることなく話してゆくのです。

話を戻しますが、

「確認なんてどうでもいい = 勉強なんてしたくない

ですからね。

この考え方はとても大事ですよ。

毎回、自分の間違いを訂正してくれる「優しい人」なんていませんからね。(僕は指摘しますが笑)

「程度問題」とお伝えしたのは、気持ちの問題だということです。

  1. これから英語を伸ばす気もないし
  2. 正直ジェスチャーだけで乗り切れるからどうでもいい

という人は、本当に適当にしゃべって大丈夫です。

ただ、みなさんが夢見ている「英語を自由に操れる人」になるためには、残念ながら毎日のように勉強をして調整してゆく必要があります。

頑張りたいと思っている人は、寛容になりすぎていてはいけません。

話す時はある程度間違えても大丈夫。

ただし、

この表現でよかったのかな?

と、自分なりに振り返る必要があるのですね。

言語学習において寛容であることは大事な姿勢だ。しかし本気で伸ばしたいと思っている人なら、適当になりすぎないことだ。

変な人の言葉を鵜呑みにしない

さて、SNSが強くなったこの世の中ですが、(僕も含めて笑)多くの人が好き勝手言っています笑。

昔と違って、

英語を話すには、日本の教育じゃダメだ!

とわかってきた人が多くなったとは思いますが、同時にそれは本質ではないということにも気づかなければなりません。

「集団で何かを勉強する」とは、そもそも会話練習においては圧倒的に非効率的ですから、そんな事実は「今わかった最新のこと」ではないのです。

実はそこが問題ではなくて、

  • 言語学習に対する姿勢
  • 正確性と寛容さのバランス

などを持ち合わせていれば、こうしてガッツリと中高で英語を勉強してきた僕でさえも、しゃべれるようになるということ。

結局、学校の勉強を離れても、

何か楽(ラク)な方法はないか?
オンラインで英語話していればOKでしょ?

と思っている人たちは、一生何も身につきません。

それは言語学習だけに限りませんね。

僕は学校の勉強を一所懸命やっていましたが、それは「学校の勉強が全てだ」と思っていたわけではなくて、

これをしないと身につかない

と思っていたからです。

今はYouTubeで調べれば、いろんな人が「楽(ラク)な方法」を提供していますが笑、大抵は「入り口」に過ぎず、その先では本当に地道な努力が必要です。

一方で「ちゃんと勉強をしなさい」と言ってくれているYouTuberさんも、何人かいらっしゃいますけどね。

僕自身が英語学習をやってきたからこそ、正しいことを忖度なく伝えたいとも思いますし、今は他の言語学習をしているからこそ、思うこともあります。

基礎もないのに、適当にしゃべっていいわけがない

とね。

少しずつ勉強し、インプットを地道にしていく中で、

  • 正確に
  • 時に大胆に

しゃべってゆく必要があります。

楽(らく)をしたがる人ほど、変な人の「簡単な方法」に乗っかり、

ありがとうございます!画期的な方法です!参考にします!

と言うのです笑。

そんなものは、この世に「ない」です。

何事にも時間はかかるものですし、その中で効率性を求めていくことが必要とされていること。

参考にしたり、とっかかりにしたりする分には構いませんが、それが全てではありません。

変な人の言葉に乗っからず笑、いつでも地道な演習を心がけていってください。

楽(らく)をしようとする人ほど、変な人の言葉に乗っかっては「新たな方法」を探そうとする。毎日の地道な努力ができないのであれば、ずっと適当に言語と向き合うことになるのだ。

おわりに

正確性を推しているわけではありませんが笑、多くの生徒さんから寄せられることは、

海外に行くとみんな平気で英語を間違って使っているけど、実際はマジで伝わらないからやめてほしい

という、感想ともクレームとも言えぬコメントでした笑。

だから「正確性を大事にする姿勢」は持っておきましょう。

もしみなさんが、本気の本気で英語を勉強したいのであれば。

それではまた!

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