若者たちに背中を見せる大人になろう【最後の卒業式を迎えた男は今】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、僕が2年前(2023年3月まで)に働いていた高校のダンス部の子たちが卒業するということで、以前勤務していた高校に出向いてきました。

これが最後の訪問となったわけですが、やはり卒業式とはいいものです。

涙することはありませんでしたが、彼女たちの晴れやかな姿を見ることができて、

この子たちにダンスを教えることができてよかったな

と思いました。

僕ら大人たちは、僕だけでなくみんな先を生きる「先生」です。

今日は、卒業式に行って感じたことを書いていきます。

今いる若者たちのために、大人たちが頑張っていこう。僕らにできることは、まだきっとあるはずだ。

卒業式を経て

卒業式とはいいものです。

春の陽気が近づく最中、暖かい空気の中で、

  • 3年間やり切った生徒たち
  • 高校生まで育て上げた保護者の方々

が一堂に会(かい)し、涙を流しながらその日を祝う。

学校の先生が辞められなかった理由は、卒業式にあったくらいです。

体育館の前で待っていれば、退場する生徒たちは泣いていて、ダンス部の子たちにもサプライズでお祝いに行ったものですから、

なんだよ!いるじゃんかー!

と言ってくれて、涙を流してくれました。

いよいよこれにて、僕が関わる公的な “卒業式” は最後となりました。

もう二度と会わない先生たちもいるでしょうし、その学校ももしかしたら、いずれは無くなってしまうかもしれません。

僕は卒業式がとても好きですが、それはひとえに「生徒たちが頑張り切った証」を見れるからだと思っています。

自分が現役の中高生だった時とは、「自分が頑張ること」が何か気恥ずかしいと感じていました。

というより、

なんでこの大人たちは、そんなに涙を流すのだろう?

と不思議に思っていたくらいです。

でも今、教育者となってわかるのは、

生徒の成長や成功が、自分ごとのように嬉しい

ということでした。

人間は、後世に何かを残したいと思う動物だからなのかもしれません。

僕自身が正しく、カッコよく生きればいい

これが回り回って影響を与え、多くの人の人生を変えてゆきます。

それは教育者である僕だけでなく、全ての大人に対して言えることです。

卒業してゆく生徒たちを誇りに思うだけでなく、

いつまでもかっこいい大人でありたい

そう思ったのでした。

卒業式で見る生徒たちは輝いていた。輝ける生徒たちを輩出できるように、僕ら大人たちもカッコよくなければならない。

若者たちに投資を

先日も話題に出しましたが、日本は今「岐路」に立たされています。

どんどん少子化は進行し、国が「若者への投資」をせずに、ヘンなところにばかりお金を回しているからです。

不正だのスキャンダルだのは信憑性がないので言うつもりはありませんが、すでに事実として国民に還元できていない現状があります。

卒業式を終えて、埼玉に帰ってきた僕は、高校生たちが帰宅する時間帯だったため、高校生たちの集団に遭遇しました。

すんませーん。ありがとうございます!

道を譲っただけの僕に、気持ちいいくらいの感謝を述べた青年。

みんながみんなとは言えないですが、とても純粋で真面目、何事にも一所懸命な彼らたちから、僕は教員時代にエネルギーをもらっていました。

なんとかして、こいつらの未来だけでも豊かにしてやりたい

コンビニで彼らが何かを買っているところを見れば、

もう…!代わりに俺が全部買ってやるよ!

と言ってしまいたくなるくらい笑、男女含めて若い子たちには、本当に幸せになって欲しいのです。

ただ、今の僕には、全くと言っていいほど力がありません。

僕が「プロフェッショナルに」できることと言えば、英語教育を始めとした「教育」くらいなのですが、それを粛々とやっていくしか方法がありません。

でもこれを4年間続けてきたことで、

  • X
  • ブログ
  • インスタ
  • YouTube

と、少しずつですが「影響を与えられる人間」になってきました。

先述した通り、僕だけではなく「みなさん一人一人」も影響力を持った人間であることを、忘れてはいけません。

今いる若者たちに自然と投資できるような、そんな社会にしていきたい

僕は今まで以上に燃えています笑。

それは政治だとかそういう類(たぐい)のことが絡んでいるタイミングだからではなくて、僕が根っからの「教育者」だからこそ、そう思うのですね。

若者たちの未来を明るくできるように、投資していこう。僕はそのうちのただの一人でしかない。でもそれはみんな一緒だ。大人はみんな、若者にとってのヒーローなのだ。

誇れる背中を見せていこう

僕が卒業式を終えて思ったのは、

式の後に、自分語りをしている先生はまだまだだ

ということでした。

もちろん最後の時間ですから、決して「そんなことするな!」と言っているわけではありません。

ただ、

僕は/私は頑張って教えました

とか、

(自分には)ツラいこともあったけど、3年間よく頑張った!(俺/私)

とか、そんな風に聞こえていたらダメなのです笑。

3年間頑張ったのは、“生徒たち” です。

もちろん、先生たちも褒められて然るべきなのでしょうけれど、そこで彼らが羽ばたいてゆく姿を見送ることができる先生こそ、

真の先生だなぁ

と思うのです。

僕がいつも思うのは、

先生にできることなんて、大したことはない

ということ。

僕ら教育者(≒ 大人たち)がやるべきこととは、「若者たちが生きやすい」世の中を作ってゆくことだと思っています。

だって、未来を作ってゆくのはいつだって「若者たち」なんですからね。

そのためには、まず自分が豊かになることだとも思っていますから、誰よりも頑張り続ける必要がありますが。

僕らができることとは、そうした具体的なことを始めとして、

  • 背中
  • 生き様

など、より抽象的なこともあります。

僕はずっと甘ったれていて、楽(らく)をしようということばかりを考えていた人生でした。

しかし、

本当にかっこいい大人って誰なんだろう?

と思って、お金や人生の勉強を始めた時に、

  • 起業家
  • 慈善事業家
  • インフルエンサー
  • 今は亡き偉人たち
  • 他者のために生きている人

たちのことを知りました。

若者の芽を摘もうとしたり、自分のことだけしか考えていないような、そんな大人になっちゃいけないんだ

そう思うようになったのです。

現代は「信頼」の時代であり、信頼のある人たちにお金が集まるようになりました。

僕もいろんな活動をしてゆく中で、多くの人から感謝の意をいただくこともありました。

いやいや、そのお金を他のことに使ってください

と断ったこともありました。

これが僕の目指していた「カタチ」だったのです。

いえ、事前に描いていたわけではなく、

  1. 正しいことを
  2. 正しくしていたら

自然と受け取れるようになったという、ただそれだけのことでした。

僕はいつでも若者、そして周りの人の幸せを願える、ドラえもんに出てくるのび太のような、そんな人間でいたいのです。

この姿勢は、必ず伝播(でんぱ)していきます。

まずは自分から。

バイタリティのある僕が、今自分にできることを最大限にやってゆくのです。

次の世代に見せることができるような、そんな背中を見せていこう。若者たちに与えられる、そんな大人になってゆくのだ。

おわりに

僕にとって教員として教えていた子たちは、これにて最後となります。

ただ、今でも老若男女に教育活動をしているように、これは一生続いてゆくものです。

大変じゃないの?

何言ってるんですか。

「継続の鬼」なのですから、死ぬまで一生やり続けますよ笑。

次の世代の、僕の周りの人たちの幸せのために、ね。

それではまた!

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