自分にできることは高が知れている【でも自分だからこそできること】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先生を辞めてからも、まるで先生のように笑、

  • いろんな人に英語を教え
  • いろんな人の悩みを聞いて

毎日を過ごしています。

僕にできることはあまりなかったものですから、

一体どうやったら、自分の受け持っている生徒たちを救うことができるだろう?

と考え過ぎていたものでした。

実際は何もできることなんてないはずなのに。

でも今は、「そんな自分だからこそできること」を全力でやっている毎日です。

今日は「小さい存在である自分にできること」について書いていきます。

一人一人はとても小さい。でもできる最大限のことをしていけばそれでいいのだ。

大前提として何もできない

決してネガティブな意味ではありませんが、

僕には何もできない

という大前提があります。

それは「僕」と言う存在があまりにも小さいということを、誰よりも僕自身が知っているからです。

しかし、自分が「小さな存在」であるとはいえ、

それがとても大切な存在である

と気づけたのは、実はここ最近のことでした。

スヌーピー(ピーナッツ)にこんな名言があります。

この世界で君はただ一人の人間かもしれない。

でもある人にとっては世界そのものかもしれないんだ。

この名言は「恋/愛」への連想をしやすいと思いますが、広く一般的に捉えてもいいと思っています。

  • どんなに小さな人間で
  • どんなに力のない人間でも

誰かのためにずっと頑張っていれば、それが誰かを幸せにします

だから僕は、

僕はとても小さな存在であり、何も特別なことはできない人間なんだ♪

と思うようにしています。

そのほうが気楽ですし、それから人を喜ばすことができたら、期待以上の結果を得ることができるからです。

別に自身を卑下する必要はありません。

何もできないダメな存在だから、自分はダメな人間なんだ…

ではないのです。

単純に「そもそもそういう立場である」と言う自覚がありますと、なんでも一所懸命取り組むことができるようになります。

どんな些細なことでも楽しくなりますし、「ちょっとでも良いこと」ができたらそれで及第点だからです。

グッとハードルを下げておくことで、

今日は僕に何ができるだろう?

と、毎日考えながら生きていくことができます。

大前提として、自分は無力で何もできないと言うことを知っておくこと。そこから何ができるかを考えるのだ。

近くの人から幸せにしてみる

僕が先生の時に「無力さ」を感じたと同時に気づいたことは、

目の前の人ならいくらでも笑顔にすることができる

ということでした。

いきなり「全世界を救う」なんてことはできません。

そもそも、

  • 目の前にいる人
  • 自分を取り囲んでいる人

自分の世界は成り立っているからです。

それくらい、自分の一生をかけて作り上げる世界とは、狭いものなのです。

確かに、インフルエンサーや芸能人の方々は、多くの人と関わることがあるかと思います。

ただ本当の意味で「親密な関係」とは、そこまで大きいものではないのは一緒です。

だから、

いかに目の前の人に何ができるか

を常に考えることが、いつの時代でも大事なのでしょう。

僕が最近やっている授業も(事業も)、結局はとても小さな世界です。

それでも、そこにやりがいを感じることができるのは、

  1. 自分はとても小さな存在だからこそ
  2. 目の前の近くにいる人を幸せにすることができる

というマインドセットを持っているからですね。

こう考えられているかどうかで、仕事に対するアプローチの仕方も変わってきます。

とにかく広く、多くの人に!

と思っている時ほど、うまく行かないものです。

僕の英語の授業が、誰にでも刺さるわけではないように、必ず「ターゲットとなる人」がいます。

それが「近くの人たち」であり、その人たちを大事にすることができれば、自然と「自分が影響を及ぼすことのできる輪」が大きくなっていきます。

そこにもまた限界はあるものですが、まずは近くの人にフォーカスを当ててみることは、間違っていません。

近くの人を幸せにできる人は、結果的にきっと多くの人を幸せにすることができます。

まずは身近な人たちから。

それができてから初めて、「次」を考えていけばいいのです。

まずは、目の前の人に何ができるかを考えてみることだ。そこから徐々に視野を広げていけばいいのだ。

毎日、誰かのために

フリーランスになってからも、僕の人生はさほど大きくは変わっていません。

確かに、

  • 保障なり
  • 生活リズムなり
  • 付き合う人なり

いろんな部分で変わってきたこともありますが、全て「いい方向」に向かっていることは間違いのないことでした。

それはたぶん、僕の教師時代が終わりを迎える頃あたりから、

常に誰かのために何かできる人でいよう

と思い始めたからだと思っています。

教師時代の可処分時間はとても短く、

  1. 朝の30分
  2. 夜の4〜5時間
  3. 土日休日(部活動がない場合)

くらいでしかありませんでしたが、その間にできる最大限のことをしていました。(例えばオンラインでの文法授業、他校へのダンス指導など)

「自分のためにお金を使う」といった意味でも、

  • カフェ
  • 美術館
  • サウナ

に足を運んでは、交通費や施設、サービスにお金を使うようにしていました。

聞こえのいいことかもしれませんが、僕はこれも立派な社会貢献だと思っています。

せっかく稼いだお金なのだから、それを使わなくしては社会にとっても意味がない

特に公務員の時はできることが限られていましたので、できる限り投資や浪費、友人との交際費にお金を使うよう心がけていました。

本当に些細なことかもしれませんが、僕らにできることは小さなことでもたくさんあります。

バイトだって立派な社会貢献です。

お金のことを言い始めますと、バイトのような時間の切り売りはよろしくありませんが、それでも働いて誰か目の前の人を幸せにしていることは変わりませんからね。

僕らがご飯を買うことができたり、どこかの施設でサービスを受けられたりするのも、そこに「人」がいてくれるからです。

なんだ。僕も立派な社会の一員じゃないか

そう思えるようになったのは、教員(公務員)になったばかりの頃よりも、今のほうなんじゃないかなと思っています。

「スーツを着て学校に行っている自分」のほうが、一見すると立派な大人ですが、実際はそこに優劣なんてありませんでした。

むしろその中でも「適当に過ごしている人」であれば、社会への貢献度なんてもっと低いことでしょう。

僕が言いたいのは、

どんなに小さなことでも、人を幸せにできたら立派な仕事だ

ということ。

肩書きや自分が袖を通している服が、あなたを作っているわけではありません。

  • どこの大学に行くかではなく、大学で何をするか。
  • どこの会社で働くかではなく、その会社で何をしているのか。

このシンプルなことに気づけると、やはり「内容」が大切なんですよね。

僕も様々な資格を取り、いろんな経験もさせてもらいましたが、それは「努力の証」くらいにしか思っておらず、自分の権力を振りかざすためのものではないと思っています。

それをもとにして、一体何を与えることができるのか。

常にそうやって考えて生きていくことを、忘れてはならないのです。

毎日、誰のために生きているのか。自分のために、誰かのために生きているか。自分にできることはなんだろう。小さなことからでも始めてみよう。

おわりに

僕は自分に特別な力があると思ったことはありません。

ただ、

誰よりも命を削って毎日を生きることに関しては、もしかしたら才能があるのかもしれない

とは思っています笑。

日々、「誰かのために何かできないか」と考えて生きることは、とても楽しいです。

ただし、つまずいたり行き詰まったりしてしまったら、そんな時は自分のことも大切にしてあげましょうね。

それではまた!

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