どうやって「いい先生」を目指すのか【教育者になるためのマインド】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は根っからの「教育フリーク」でして。

本当に、教育が好きで好きでたまらないんですよね。

中高生の時から友人に教えるのが好きでしたし、その時点でもうすでに先生になることを決めていました。

結果的には、

  • 予備校5年間
  • 非常勤講師3〜4校(中高)
  • 県立高校教員2校(計9年)

という経験をもとに、現在は、

  • オンライン講師(授業1万回以上)
  • 個人事業主(グループレッスン数ヶ所・個別指導10名以上)

と、経歴が積み重なってきました。

今日は教育観を語るというよりは、その背景にある「思い」について書いていきます。

教育者になるためにはいろんな要素が必要だった。公平に、そして生徒たちの未来のために、身を削って黒子となれるかどうかが大切だったのだ。

主役は生徒

若かった頃の僕は、

先生も目立ってなんぼ。チヤホヤされてなんぼ

だと勘違いしていました笑。

まぁ、確かに当時は若かったですから、

そんな時期(承認欲求?)もあるだろう

と、今となればそう思っています。

その後、職場にきた若い先生たちも “僕と同じ感じ” でしたので笑、「生徒たちと年が近い」ということは、

  • 親近感もあれば
  • 勘違いもするもの

だということが、後々になってわかりました。

本来はそうではなくて、学校(あるいは教育)において大事なこととは、

子どもたち、生徒たちが主役である

ということを、忘れないということです。

先生たちは教壇に立って授業をしますから、ちょっと慣れてきますと「脚光を浴びている!」と勘違いし始めます。

そうではなくて、彼らの青春を全力でサポートすることが、僕ら先生(=教育者)たちに課せられた使命なのです。

  1. 彼らの成長を見守り
  2. 彼らが主役の学び舎を提供すること

これが大事ですからね。

当然ですが、僕らが楽しむために学校があるわけではなくて、

彼らの能力をいかに伸ばし、どうやって青春のような学校生活を送らさせることができるか

を考えることが第一ですね。

担任をやって3年間の成長を見た後は、本当に感動したものです。

僕らはあくまで「黒子役」。

『いい先生』とは、いかに裏方で彼らのサポートができるかどうか、なのです。

学校現場、教育現場では常に生徒たちが主役だ。自分が目立つためにやっている先生は、二流・三流だと思っていていい。

公平に接する

これは以前にも取り上げましたが、特に「公教育」という場においては、公平性は担保されるべきです。

先に申し上げますと、

  • 担任のクラス
  • 担当の部活動

などから、多少なりとも関わりの度合いが変わってくる生徒もいます。

矛盾しているようにも聞こえますが、生徒との関わりにおいて「完璧な平等」は無理です笑。

僕にも、覚えている生徒もいますし、今はすっかり記憶にない生徒だっています。

例えば「男女」がまず当てはまるでしょうし、他にも学年や相性、趣味などからも、

  • 話しやすい生徒
  • 話しにくい生徒

などもまた、一定数存在します。

お伝えしたいこととは、

どんな生徒にも、公平に接すること

なのです。

我ながらよかったなぁと思っていたことは、退勤した後は学校のことを一切考えていなかったことでした。

ちなみに今でも、オンライン授業が終わった直後から生徒と話したことは吹っ飛び(おい笑)、

さーて、今日自分のやるべきことは…

と切り替えてしまいます笑。

そのおかげもあってか、生徒たちのことをフラットに見ることはできました。

これができない教育者が、どうやら「非常に多い」ようなのですね。

  • 生徒に好かれようとしたり
  • 人気を得られるように振る舞ったり

した場合、軸がブレてしまい公平性が保てなくなるのです。

現場で自分のやるべきこととは、これこれこういうことだ

と、やるべきことを把握していて、かつしっかりとした教育観を持っていますと、そういうことが起こらなくなってきます。

生徒ごとに差をつけ始めてしまった場合、先生としての信頼も失いかねません。

関係性の度合いや深さにまで、公平性を持ち出すことはできませんが、現場に立っている間は生徒に忖度することなく、

自分はこうだからこう。この生徒は特別ということはない

と、はっきりと言える先生でありたいですよね。

教育現場、特に公教育では公平性はとても大事なスタンスだ。しっかりと軸を持って生徒たちと接しよう。

未来を創れるか

何より、生徒たちとは日本の未来でもあります。

その未来を担う若者たちを、正しく導いてあげることが、教育者たちの役割です。

生徒たちが主人公であるということは、彼らの「未来を創る手助け」をしなければなりませんし、それは回り回って「僕らの未来」を創ることでもあります。

なんでせいじは、先生になろうと思ったの?

と聞かれますと、それは「教えることが純粋に好きだ」ということもありますが、何より彼ら若者たちに「」を感じるからです。

僕らが子どもたちを見て「かわいい!」と思うのは、そこに本能的な “未来” を感じるからなのではないでしょうかね。

教育者として大切なことは、

  1. 自分が主人公になったり
  2. 自分がみんなに好かれる先生になったり

することが本意ではないということを、自覚しておくこと。

むしろ、

  1. 彼らが明るい未来を描き
  2. それをサポートをしてあげること

「これが仕事なのだ」と、理解しておくことです。

ちょっとカッコつけて言えば、先生たちは身を粉にして働き、自分の時間の犠牲の上に自分たちの未来を創ることなのです。

あれ?自分を大切にできなければダメなんじゃないの?

大前提として、自分を大切にすることは大事です。

3年B組金八先生のような教育は、美化され過ぎていますからね。

それでも、

こいつらの未来のために、教育に身を捧げたい

と思えるかどうか。

この気概がなければ、自己中心的な教育観念を持つことになり、それはもはや「教育」と言っていいのかも怪しいくらいです。

  1. 自分の身を削って憔悴するわけではなくて
  2. 若者や生徒たちの未来のために自分の時間を使ってゆく

この「絶妙な感覚」が必要なのではないかなと。

教育とは、未来を創る仕事ですからね。

そこには、自分の「多大なエネルギー」を注ぎ込まなければならないという使命感もあります。

教育事業に携わっていますと、ずっと未来を考えることになりますので、とてもやりがいはありますけどね。

一生をかけて、子どもたちや、学んでいる大人たちの役に立っていきたいと思っています。

教育とは未来を創る仕事だ。そこに全力で自分の身を投じることができるかどうか。それが教育者に求められている姿勢だ。

おわりに

「いい先生」とは、決して人気のある先生であればいいというわけではありません。

  1. 子どものことを考え
  2. 未来のことを考え
  3. 黒子となって公平に支援できるか

これができなければ、教育者としてはまだまだなのだと思っています。

とはいえ僕も、まだ発展途上です。

日々学びながら、より「いい先生(教育者)」を目指していきます。

それではまた!

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