こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
今日も朝、ふらっと近くの公園を通り過ぎたのですが、夏の匂いがして、

と、自分にいずれ訪れる「最期」について思いを巡らせていました。
こんな風に笑う人はいるでしょうか。
人生、何が起こるかわかりません。
明日にでも、
- 事故に巻き込まれたり
- 有事が起こって避難民になったり
- 美味しいものが食べられなくなったり
するかもしれません。
僕はいつも「終わり」を意識しています。
今日は「日本と自分の命」など、様々なことについて書いていきます。
朝起きたら奇跡に感謝する
モーニングルーティンとしてよく言われているのは、
と、自分に言い聞かすというものです。
僕はそこまで徹底してはいませんが、現時点(2025年5月末現在)で400日以上やっている朝活があるおかげで、朝からいろんなインプットをしながら、

と思って、一日を始めるようにしています。
毎日起きるということは、当然のことながら「毎日寝る」ということでもあります。
子どもたち、特に赤ちゃんは寝てしまう時に、
と聞いたことがあります。

ということも、可能性として考えておくということです。
これを意識すれば、毎日を平々凡々にでも生きていけているということが、どれだけ貴重かがわかります。
仰々しく「ありがとう!」だなんて言う必要はないのかもしれませんが、少なくともその「奇跡」には感謝すべきなのかなと。
特に僕が世界を回っていた時は、海外の夜なんて何が起こるかわかりませんでした。
- 日本という国に生まれ
- これだけ平和な世界を生きている
からこそ、みんなその「当たり前のこと」を忘れがちです。
毎朝起きられることも、すごいこと。
僕は毎日、朝起きてから寝るまでを、大切に生きようと思っています。
今の日本を考える=子孫を考える
今特に憂(うれ)いているのは、日本の現状です。
- 諸外国に水源や土地が買われ
- それを政府が良しとしてしまっている
というところに大きな問題があり、このままでは日本は日本でなくなってゆくことでしょう。
僕が毎日をこうして「幸せに生きることができる」のは、日本という稀有(けう)な国を作り上げてきた方々(先祖の皆様)がいるからに他なりません。
僕は「自分の生きる目的」についても、よく考えることがありますが、

と、以前のブログで書いたことがあります。
そのみなさんの子孫(子どもたちや若い世代)がずっと生き続けるのが、この日本であって、もう無関心ではいられないのです。
朝、こうして幸せな一日を過ごすことが約束されているのは、この「日本」に生きているからだということ。
この奇跡にもまた、僕らは感謝しなければいけないなぁと、そう感じるのです。

だからこそこのブログを始めましたし、常に「幸せ」を求めています。
現状をよりよりものにしてゆくということは、人間が文明を築いてゆく上で基本的なことです。

だったら、自分の住んでいる場所である「我が国ニッポン」について、真剣に考えるべきではないでしょうか。
みなさんも、
と、住居に対して様々な要求があるわけですよね。
これらのような要素を「国に求めること」もまた、僕らの生活を豊かにするためには大事なことなのです。
いい国でなければ、子孫の繁栄なんてできっこありません。
- 人生の幸せを求め
- 子孫の繁栄を願う
のであれば、僕らは、
- 政治に興味を持ち
- 今の職について考え
- 固定費や浪費を見直し
- どういう生活を望むのか
を考えるべきです。
普段ある毎日を過ごしたいのであれば、感謝しつつも社会の一員として他人のために生き、そしてこの国についてしっかりと考えることです。
そう考えている人は、結局自分の人生についてもろくに考えていませんし、
と楽観的に見ています。
ポジティブであることと、何も考えずに行動しない人生は全く違います。
みなさんは、毎日に感謝していますか。
そしてこの国について、しっかりと考えていますか。
毎日、終わりを意識する
- 朝起きられたことを意識し
- 生活や家族、そして国を意識する
僕は、深刻に落ち込むような感じで考えているわけではありませんが笑、常に「終わり」を意識するようにしています。
それは何より、亡くなった父のことを思い出すからです。

そう思っていますし、人間である以上は有機体ですから、いつかはこの世から消えてしまいます。
だから今しかできない、この貴重な毎日という時間を、ムダに過ごしたくないと思うのです。
僕はあっという間に、30代も後半に入りました。
- 今10代の人も
- 今20代の人も
年を取るごとに、より体感が速くなってきますから、
という言葉を鵜呑みにしてはいけません。
確かに、立ち止まったり考えたりすることも悪いことではありません。
ただ事実として、僕らの人生はあっという間に終わりを迎えるということを、知っておかなければなりません。
だからこそ毎朝に感謝するわけですし、

と考え、自分が関わっている人生、環境(国家など)に対しても真剣に考えてゆくのです。
僕の人生は、いつも「気づき」の連続でした。
でもそれは、終わりを意識しているからこその「気づき」だったとも思っています。

こう思えたコロナ禍では、ある意味コロナそれ自体にも感謝しています。
逆算するかのように、終わりを意識するからこそ、今を真剣に考えられるのです。
みなさんは終わりを意識することはありますか。
それだけでも、「今」に集中することができると思いますよ。
おわりに
人生の終わりを意識し始めますとより、
- 朝
- 今
- 国家
などに意識を向けることができます。
ひっくるめて「生」と言ってもいいでしょう。
毎朝起きて、誰かのために働き、外の匂いを嗅いで、

ということを実感しましょう。
そして今できることをしていきましょう。
それではまた!
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