こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
- 毎週8〜10km
- 毎日自重の筋トレ
- 毎週一日ダンスの練習
と、相変わらず「頑丈な体」を作るために筋トレをしている男です笑。
最近また、マインドフルネスを再開したということを記事にしましたね。
筋トレやランニング、ダンスの練習もマインドフルネスに近いところがあります。
もちろん、ランニング中にいろいろと考えてしまうことで、「マインドレスネス」になることもあります。
それでも、呼吸に集中することができますからね。
今日は「僕が運動する意味」について書いていきます。
僕が鍛える理由
僕はもともと体が弱くて小さく、小学生の時はよくいじめられていました。
中学生になってから器械体操を始めたのをきっかけに、高校でも体がめちゃくちゃ強くなっていました笑。
腕まわりは、今よりももっと太かったですね。
今はランニングをしていることもあり、以前よりシュッとしてしまいましたが、かなりバキバキになっています。
【2025年6月】
みなさんからは「痩せている」と言われていますが、今は日本国産米のおにぎりを食生活ルーティンに入れることで、かなり力もついてきました。
また、体を大きくしますとダンスができなくなりますので、筋肉マッチョになりたいわけではありません。
幼かった頃、僕は男として生まれたとは言いつつも、

と、ポケモンなどの丸っこいキャラクターが好きでした。
大学生の時に、友人から漫画ワンピースを勧められ、

と思うようになり、ダンスも始めて体力をつけて「かっこいい漢」を目指すようになりました。
そうです。
僕が運動を続けるのは、
- 強くて
- かっこいい
漢でいたいという、生物学的な「オス」としての本能からくるのです。
以前どこかで、僕は、

などと発言したこともありました笑。
いえ、別に体はそれぞれありますから、好きにしたらいいと思います。
ただ裏を返せば、それはそういう人たちが、
- 節制ができていない
- コントロールができていない
ということの裏返しでもあります。
だから僕は、シュッとしている人(=鍛えている人)には結構リスペクトがありますね。
僕自身に説得力を持たせるためにも、毎日鍛えておくのです。
いつでも戦えるように
すみません笑、物騒なタイトルですが僕は柔道や空手、ボクシングなどの格闘技(マーシャルアーツ)をしたことがありません。
だから「戦う=物理的なケンカ」という意味ではありません。
そうとも捉えられますし、間違ってはいません。
僕が教師をやっていた時も、ちょっと不良のやつらを黙らせるためには、体を鍛えておく必要がありました。
ある意味「牽制のための筋肉」とも言えるでしょう。(なんか面白い笑)
でもよく言うじゃないですか。
って。
みなさんも経験があるように、ゴリゴリのマッチョを前にした時に、
となりますよね。(なんだそりゃ笑)
僕はそこまでマッチョじゃないですが、
- 体力
- 筋力
- 敏捷性
でいえば、鍛えていない人よりは何かと戦えるほうだとは思います。(たぶん笑)
でもこれは、別にケンカをしたいからでもありませんし、マウントを取りたいからというわけでもありません。
実際にケンカになれば、僕だってボコボコにされる可能性はありますからね笑。(格闘技は素人)
ただ先述した通り、鍛えておくことで「鍛えていない人」よりは圧倒的に自信もありますし、どこかしらの運動能力で相手を凌駕することができます。
もちろん、”本当に強い人” とは暴力に頼ることなんてありません。
あくまで「牽制」するため。
これはジムに通ってベンチプレスをしたり、鍛えたりしている人なら、なんとなくわかるかと思います。
多少なりとも、
とはなりますものね笑。
今日本では、いろんな場所で「ヘイトスピーチだ!」と訳のわからないことを喚いて、選挙妨害をしている連中がいます。
そんなところで前に立つことができるかと言われれば、

と応えられます。

こう言えるかどうか。
毎日鍛えることで、そういう言葉が出るようにしています。
もちろん、暴力はなんの解決にもならないどころか、手を出したほうの負けですけどね。
年齢を言い訳にしない
僕もなんだかんだで30代後半です。
人間ですから、必ず体は衰えていきますしどこかで限界は来ます。
言いたいことはわかります。
しかしやらなさすぎれば、それはそれでどんどん免疫力も低下し、しょうもない体つきになってしまいます。
それでいいと言う人はそれでもいいのですが、僕自身はちょっと納得がいかないので笑、できる範囲でやっていきたいと思っています。
これが、全然痛くならないんですよね。
筋肉痛も少し(?)あるようなないような、そんなレベルでして。
やはり習慣化しておけるかどうかのほうが、年齢がいくつかどうかというよりも大事なようですね。
だから、
- 年齢が…
- 忙しいから…
- もうそんなもの必要ないし…
と言い訳をしないことです。
「鍛えること」には、僕なりには価値があると思っていますからね。
正直にいえば、
- 健康も
- 勉強も
- 筋トレも
「もう別に必要ないでしょ」と思い込めば、やらなくてもいい部類のものなのです。
でもそうしたら、
が答えとなってしまいます。
それではせっかくの人生が、つまらなくなってしまうのです。
あくまで僕個人の意見ですけどね。
- 言い訳はしようと思えばできる
- でも言い訳せずに鍛えていれば、説得力が出る
人生ではそういうことばかりです笑。
こうしたことに時間を費やせる人ほど、他の人より抜きん出ることができます。
正直、ダラダラとしていた若かりし頃よりも、こうして定期的に追い込んでいるほうがいいのです。
年齢とともに限界が来ることもわかっています。
体だって、命だって有限ですからね。

これが僕の思うところなのです。
追い込んでいる時は(男だからかは判然としませんが)、「生」や「若さ」を感じます。
息も絶え絶えにダンスを練習した先日は、

と感じられましたしね。(単純)
ランニングの最後の1〜2kmもしんどいのですが、やりきった後はやはり「強くなったぜ」と感じるのです。
だから年齢が上がるほど、

と、若い子たちに対して言いますね笑。
僕よりも上の人たちだって、バキバキにやってるわけですし。
まだまだ負けてられないのです。
おわりに
最近はほぼルーティンとして毎週、決まった曜日に鍛えています。
そのおかげもあってか、体はある程度説得力があると思っています。
もちろん、驕(おご)るために鍛えているわけでも、ケンカをするために鍛えているわけでもありません。
ただ自分を漢としての高みへ近づけるため。
それしか理由はないのです。
みなさんはどう思いますか。
それではまた!
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