30代が積み上げた経緯を語ります【100記事達成】

幸せ

こんにちは。

いよいよ今回の記事をもって100記事目となりました!

いやぁ始めた当初の4月は100日間連続で投稿するなんて無理だろうと思っていたのですが、そんな無理無理という煽りに一番奮起していたのは自分でした笑。(自分で煽るスタイル)

今後どこまで続くかは僕ですら予想できませんが、次は200記事、その次は300記事、その次は1年間と上を目指して毎日更新していきますのでよろしくお願いいたします。

今日は節目ということで過去の経験談と、続けてきて感じたことをお話ししていきます。

積み上げノート

小学校時代に先生から「積み上げノート」と呼ばれるA4の用紙をもらいました。パンチで穴が開けられているため、ファイリングすれば結果的に日記になるという寸法です。

縦の線が何本か入っていてちっちゃな四角が隅にあるため、絵日記のような要素を持ち合わせていました。

始めた当初、うろ覚えですが確か「〇〇行目までは書く。毎日書く」と小学生なりに自分ルールを決めて書いていたと思います。

今でも覚えている日記は「カラスが低空飛行してきて焦った。」というしょーもない日記です笑。

とにかく毎日なんでもいいから書き続けるという気質は、どうやら小学生の頃から持ち合わせていたようでして、確かずっと続けたおかげでファイルがものすごく分厚くなった覚えがあります。

積み上げノートの場合、とにかく目に見えて(質はどうあれ)自分がやったことが積み上がっていくため、コツコツ続ける楽しさを感じることができていました。

このブログも実はその積み上げノートが深く関わっていて、自分なりにルールを課してブログを書き始めたのも、その当時の考え方そのままだと思います。ルールはいたってシンプルでして、

「毎日更新する。3,000文字くらいは書く」というものです。

文字数はあまり関係ないはずなのですが、4月に比べるとだんだんと文字数が増えていることに気づいてしまいました。

3,000文字が平均値となってしまっていたため「なんか2,000文字台だと少ないかな…」と謎の疑念を抱いてしまったが最後、3,000文字前後までいかないと納得できない体質となってしまいました。

ここでブログのイイところに焦点を当てますと、自分の思考や考え方が一日一日残っていくことじゃないかなと思います。

最近はヒカキンさんが10周年を迎えましたが、彼も「いつか自分の孫が自分の若かりし頃を見返すと思う」とおっしゃっていて、それをしっかりと実行しているんだなぁと思ってなんて変態なんだろうって思いました笑。

僕が大学時代にmixiというSNSで毎週日記を更新していたのも、あとあと見返した時に当時の自分の考え方を生で感じることができたという利点があったからでもありました。

このブログは毎日更新していることと文字数が多いので、全然振り返る時間があまりないんですけどね笑。

それでも自分のブログのページ数が増えていくのが面白いっていうのは、昔に夢中で書いていた「積み上げノート」に近い感覚があるからだと思います。

続けることで得られたこと

たかだか100日なのですが(一応少なくとも3年くらいは続けようと思っている)、ちょっと始めてみた初心者なりの感想を書いていきたいと思います。

時間を有意義に生み出す

ブログを書くのもルーティン化させました。

朝に書く人もいらっしゃるのですが僕はこうなんと言いますか、どうしてもブログに割く時間が安定しないので「それならば夜の時間に書くことが性に合っている」と思い、帰宅してから書くことに決めました。

基本は部活や自主トレーニングのダンスやランニングが終わってから、帰宅して19時半〜20時半くらいから書き始め、夜の22時前後まで書いています。所要時間は約2〜3時間です。

その時間を確保するために、できる限り「夜遅くに帰宅してしまう予定」を組まなくなりました。

逆に夜に予定が入ってしまう場合は、日中や隙間時間に書いておくことにしました。

やはり毎日更新すると決めた自分に嘘はつきたくない

そう思って時間を捻出するようになりました。

僕はサウナに美術館にと外出が多いのですが、どうやったらその時間までに帰られるかを計算した上で出かけるようになりました。

あまりにも遅くなりそうな場合は移動中の電車内で下書きすることで、帰ってから続きを書くだけという楽な気持ちで始められるように工夫してみたりもしました。

なんとなしに始めたはずなのに、なぜか一日の中心にポジショニングし始めたブログという存在。

でもそのおかげで時間の使い方がよくなりましたし、何よりその時間は集中したいためゴールデンタイムにテレビを一切見なくなりました。

その他にも良い点がいくつかありました。

アウトプットできる

いろいろ本を読んだり投資やランニング、マインドフルネス等を始めたことで、自分の考えを友人や同僚に話すことが多くなりました。

どんなに頭の良いすずきでも(やかましいわ)、いざ話すとなると一貫性のない突貫工事のような話が多かったものです。

しかしこうして推敲しながら一記事一記事書いていると、その話題になったときにある程度すでに整理された話をすることができるようになりました。

また記事を書くためにインプットする材料を探してみたり、インプットしたことを衝動的に早くアウトプットしたくなったりと好循環が生まれ、結果的に自分の思考が良いサイクルで回るようになりました。

これは感情にもいい影響を与えました

ブログを始めた当初は、何を書こうかとメモしてはそれらを順番に記事にしていたのですが、最近だと〇〇論争とか教育現場、その場その場で感じたことについて書くようになりました。

自分が教育に対して、時事問題に対してどう思っているかって、意外と自分でわかっていなかったりするじゃないですか。

すずきは自分の思考を客観的に見ることができていない典型的なパティーンでして。

よって自分がふと疑問に思っていることや物申したいことをその日の自身のブログの話題にすることで、自分の感情や思考とうまく付き合えるようになったと思います。

アウトプットというかアウトレットというか。ちょっとした捌(は)け口的な使い方にもなっていると思います。

得てしてそういう時の感情的な記事のほうが、熱がこもってたりするんですよね。

幸せになる

幾分か抽象的ですが、一日にあったことや自分の考えていることを一日の終わりに文字に起こすという行為は、自分が今どのような気持ちで、今どのように考えているのかを整理する時間であると思っています。

よく「日記を書きなさい」と言われますけど、あれに近い感覚です。

そうして嫌なことだけでなく感じたことや嬉しかったこと、幸せに感じられたことを率直に書くことは、恥ずかしくもありますが「毎日」という自分の生としっかりと向き合えていることに他なりません。(僕のブログは日記ではないのですが)

書いていて足りなかったことがあれば、今度はその穴を埋めるためにまたインプットしたり、または行動に移したりしてみる。

こうやってわずかながら自分の人生を、軌道修正し続けることができます。

実際に試してみてよかったのか、悪かったのか、どっちでもなかったのかという感覚は、その時のリアルな場面で感じたものが一番伝わります。

一方で文字に落とし込んでいく作業でいくらか冷静さも追いついてきますので、多少なりとも客観性も伴ってきます。そう、冷静と情熱の間というわけです。(?)

こうして自分の人生の指針を少しずつはっきりとしたものにしていくことは、「幸せ」という抽象概念を具体的なものにしていく手助けになるのかなって思います。

自分の思いや試行したものを記録として残していった結果からというより、その過程の中で自分自身で「幸せってなんだろう」って気づくことができ始めている、そんな感覚です。

おわりに

100記事書いてみたのですが、特別何か感じたかと言われると実は特に何かというものはありません。(おい)

意外と書けちゃうもんだなと思ったこともあれば、意外と書くことがないなと思った日もありました。

僕的にはまだまだ規模が小さいというか、もっともっと大きくしないと多くの人に気づいてもらえないだろうと思っています。

まだ序の口です。

昔やっていた積み上げノートのことをふと思い出すと、すずきってほんと昔から続けると決めたことはとことん続けるよなーって思いました。我ながら。

中高生の時には挫折や失敗、一発屋みたいな部分もあったのですが、大学で・離婚で・コロナで考え方が変わり始めて、大昔にあった持続性と勤勉性が強くなって戻ってきた気がします。おかえり!

「継続は力なり」っていう言葉がありますけど、ヒカキンもイチローも尾田栄一郎も、何年も続けた先に到達したのかなって思います。

質は彼らの方が僕の2那由他倍くらい高いのですけれど、すずきもパンピーなりに「続けた先の景色」というのをお見せできたらいいなと思っています。

まだまだこのブログも始まったばかり。

ずーっと続けていけるよう、一方で続けることが目的にならぬよう、日々自分と対話しながら書き続けていこうと思います。

それではまた!

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