決して文句を言ってはいけないのか?【批判と文句の違いとは一体?】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は以前から、

グチや文句など、ネガティブなことはできる限り吐かないほうがいい

という記事を書いてきました。

それはあまりに非生産的であり、

  1. 誰も喜ばないどころか
  2. その人の品位を下げてしまう

からです。

すると、

じゃあみんなで批判的なコメントをし合ったりして、生産的な議論をすることは、誰が判断することなのか?

という質問も飛んできます。

確かに、そうした線引きとは一体どこなのでしょう。

今日は「批判と文句」について書いていきます。

生産的に批判することは良いことだし、自分の胸の内や思っていることを伝えたらいい。しかし文句を言って変わろうとしない場合は、ただただネガティブな気持ちが残るだけなのだ。

批判をするとは?

批判と文句は、もしかしたら紙一重なのかもしれません。

どんなに正しいことを言っても、受け取り方によっては、

私は/僕は否定されたんだ!

と思ってしまう人もいますからね。

では生産的な批判をしても、受け取る側が、

あなたの意見は文句でしかない!グチを言うな!

と言ったら、それはそれで正当なはずの批判は、不適切なものとして処理されるのでしょうか。

僕はそうは思いません。

二者間でのやり取りだったら仕方のないことですが、周りが見て判断し

いやいや、正当な批判でしょ

という数が多ければ、生産性のある問題提起だと言えると思っています。

ここにはその人の、

  • 感情
  • 態度
  • 言葉遣い

なども含まれます。

どんなに正論をぶつけたとしても、人間は感情的な生き物ですから、その人の意見の述べ方を見た際に、

それは感情的になりすぎ。不適切だね

と思われてしまったら、それは「文句/クレーム」として捉えられかねません。

「正当な批判だ」と思われるには、内容だけでなく言い方やそれまでのプロセスがあります。

あるいは、その人の人柄や人格なども。

いろんなことを総合的に加味した上で、「批判」とは成立するのではないでしょうか。

そこには、

  • ロジカルなのか
  • 感情的ではないか
  • ただただグチを言っていないか

という「審査」が入ります。

「数が多ければ良い」ということではありませんが、 “ある程度” 客観的に見てもらい、

それは正当な批判だと思う

と認定されれば、正当性があるということ。

人間同士のやり取りですから、こうした第三者による判断は適切だと思っています。

感情的にならず、真っ当に「批判」をしていきたいですね。

批判とは生産的な意見のことを言う。それを決めるのは当事者同士だけでは難しいこともある。客観的に見た際に、正当性があるかどうかも大事なポイントだ。

文句は言っちゃダメ?

では、みなさんの友人たちと「グチを言い合う」ということは、やはり生産的ではないことなのでしょうか。

もちろん、ケースバイケースではありますが、個人的にはオススメしません

僕も「グチっぽいこと」を多少なりとも言うことはありますが、その人や組織の直すべき点や課題を指摘することを心がけていますし、そもそも「その絶対数」をかなり少なくなるようにしています。

できる限り「グチの機会」を作らないことがポイントですね。

もし何か「モヤッ」としたことがあるのであれば、

  • その場で言う
  • 意見として発言する
  • 感情的に言わずに指摘する

など、まずは自分にできることをやってみましょう。

ある程度意見をした上でも、改善が見られなくて変わりようがない場合は、友人家族にグチっても仕方のないことかもしれません。

しかし例えそうだとしても、さらに言わせていただくと、

それだけ言っても変わらないのであれば、もうその人(組織や会社)は無理だよ

と、友人に返されてしまうのがオチではないでしょうかね。

段階として、

  1. 自分で言えること(やれること)をやる
  2. その上で相手が変わるかどうか様子を見る
  3. それでも何も変化がない場合は自分から離れる

こんな流れが良いのではないかなと。(ちなみに僕は、そもそも他人は変えられないという立場です)

こうすれば、最終的に「グチを言う」という行為までには行き着かないのかなぁと。

うまく行かなかった相手や会社、組織や出来事に対して、

こうこうこういうことがあった

と、順を追って話したり、

この点が悪いと思うから、それが自分がイヤだと思った原因なんだ

と説明をする分には、それはグチや文句にはならないでしょう。

ここでも状況が大事でして、聞き手から、

この人はただグチを言いたいだけなのか?

と思われているかどうかもポイントです。

普段からグチを言わない人が “グチっぽいこと” を言ったのであれば、それは単なる「指摘/批判」として捉えられる場合が多いもの。

「グチや文句を0にしろ」とまでは言いませんが、やはりそうした機会はできる限り減らしたほうがいいでしょうね。

特に自分が感情的になって、

この前、こんなことがあってさー!もう頭きちゃうよ!怒

というケースが多い場合は、最終的に周りからも愛想を尽かされてしまいますので注意したいところ。

「その状況による」としか言えませんが、回数が多い場合は気をつけていきたいですね。

人へのグチや文句は最終手段だとは言え、友人との会席でそれを発散していると人は離れていってしまう。また、自分が「感情的になって相手のことを否定しているだけではないか」と、客観的に見ることも大事なことだ。

自分を下げる行為はしないこと

批判だと思って言っていることも、一線を越えればグチや文句になりかねません。

それは感情的になった時によく出てきてしまうものであり、それで一番「損」をするのは「自分」であるということも知っておきたいところです。

先述した通り、ずっと悪口や批判とも取れる言動をし続けていても、

結局、こいつは何をしたいのだ?

とネガティブに捉えられてしまい、周りから見放されてしまいます。

たまにグチったり、現状の課題について報告し合ったりすることは百歩譲って「良い」とはいえ、それが続いてしまえば「自分の価値」を落とすことになりかねません。

人は聖人君子になることはなかなか難しいことではありますが、ツラいことがあっても、

  1. 真摯に受け止め
  2. 相手を貶めることなく
  3. それでいて我慢せずに伝える

といったプロセスを経ることはできます。

僕も教員時代(特に若い頃)は、いけ好かない先生や生徒のことを批判ばかりしており(この場合はグチにあたる)、自分は何も変わろうとしていませんでした。

今、客観的に思い返してみても、あれらは正当な批判と言うにはほど遠く、建設的ではありませんでしたね。

文句ばかりを言っている人とは、

生産的な批判をしている

と捉えられにくいものです。

これもまた抽象的で、明確なラインはありませんが、

果たして今自分がしている「批判」とは、「指摘」の域を超えて、ただの感情論によるグチになっていないか?

という客観性を養うことです。

特に、ある一つのことに対してずっとグチグチ言い続けることは、その人のポイントを下げることになります。

まずはそういうストレスの溜まる環境にいないように努めたり、自分にできることをしたりすること。

その上で、発言が “グチに聞こえる” ようになっていないか(自分を下げていないか)を、冷静に分析すること。

この試行(思考)をすることが大事ですね。

グチだと捉えられている場合、大抵はその人の価値は下がってしまう。だから他者を指摘、批判する時には、グチになっていないかと常に気を配ることが大事だ。

おわりに

人間同士ですから、

どこで批判と文句の線引きをするか

を決めることは難しいことです。

しかしそこには、必ずと言って良いほど「感情」も入り込んできます。

こいつはいつもグチばかり

と思われているということは、その人の意見がどんなに正論であったとしても、総合的にみて

  • 感情的であり
  • 生産的ではない

ということ。

そうならないように気をつけたいですし、予防していきたいですね。

それではまた!

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