30代なりの写真の整理術【何を残すべきか】

幸せ

こんばんは。

さてブログ更新頑張りましたweekということで、今回は自分の「体験」についてフォーカスしていこうと思います。

すずきはこの1年で「生」でできる経験や人生の大切な時間をどのように使うかに重きを置いてきました。

例えば時にお金をかけていいサービスを受けてみたり、時間をかけて秘境にいってみたり。

これまでの「貯蓄する」という縛りに縛られまくった末路は「家で何もせずに過ごす」でした。なんという悲しさ…

もちろん運動やサウナなど結構コスパのいい趣味が多いので、そもそも論そこまで浪費してはいないのですが、やはり昔は体験にお金をつぎ込むことに抵抗がありました。

節約というよりかはケチです笑。

そんなすずきが変わって行く中でふと「写真でも趣味にしてみたら?飛び回ってるんだし」と言われたのですが、実はそこにもわずかながら抵抗があります。抵抗しまくり笑。

大した抵抗勢力でもないのですが、どういった経緯でそうなったのかをお伝えしていこうと思います。

景色を撮る意味

最初に言っておきますが、写真を撮ることが嫌いだとか、写真は「偽」であり真実はその目でしか獲得することはできないとか、そんなことは一切思っておりません。

なんなら写真好き過ぎて東京都写真美術館にも行ってますしね。

むしろ学生時代は景色の美しさを撮ることが多くて、夏に遠くに見える積乱雲の写真だとか、冬の澄んだ空とかガラケーの写真フォルダに入りまくっていました。

しかしそれをふとやめてしまいました。

一眼レフとかで撮るのとは訳が違うのもそうなのですが、フォルダが景色で埋め尽くされたところでなぜかあまり見なかったからです。

そしてここ最近も「ここはいいところだなぁ。感動するなぁ」と思ってスマホで写真を撮ったのですが、結論から言って人間の目には勝てないと思ってしまい、すぐに要らないやと思って消しました。

たしかに僕は素晴らしい景色の写真を見ることはよくありますが、自分はそれを撮る側ではないという謎の確信があります笑。

何より今現在感じているその場の空気感や景色をこの肌や目で感じていたいと思うようになったのです。

そう思ってからというもの、もう携帯で景色を撮ることはなくなってしまいました。

建物とか場所で言えば、自分のアーカイブ用にサウナや美術館、他にもカフェや本などの写真を撮ってはいるものの、SNSに載せた後にカメラロールからすぐに削除してしまっています。

だって人の目ってホントめちゃくちゃすごいんですよ。

僕のスマホでの撮り方が悪いのかは分かりませんが「この景色を画面越しに100%共有することはできないな」と毎度写真を撮るたびに思ってしまい、写真を残す気力がガクンと失せてしまうのです。

人との時間は残す

この前行った群馬県の高崎市美術館で映画「浅田家!」の元になった写真家・浅田政志さんの展示を見た時、これだなって思いました。

彼は家族を被写体にして「もし家族が〇〇だったら」というシチュエーションの写真を撮るという、斬新でクスッと笑える作品を創っていました。

昔こそ風景の写真ばかり残していたすずきですが、今となっては現在の写真フォルダには人と一緒に写っている写真がほとんどです。

そうやって人との思い出になるような写真の方が見ていて思い返しやすいのと、エピソード記憶が思い出されるため、こういう写真は残しておこうと感じたわけです。

景色の写真と違って「目には敵わない」とか風景の綺麗さでの勝負ではないですからね。

単純に「みんなで集まったね」とか「どこどこ行ったよね」っていうほうが僕にとって大切な思い出なので、これは写真として残しておく価値があるなと思いました。

ですから、すずきはソロ活動として行った場所や空間ではできる限り目に焼き付けることに注力し、その代え難い時間と空気感を優先しています。

人と会う時もその時間と空間を大切にしつつ、みんなで写真を撮ったら残すようにしています。

別に写真を撮る撮らない、残す残さないなんて人それぞれでいいと思います。

しかしすずきはだんだんと自分の行動パターンを客観視し始め、結果一番幸せだと思える写真の残し方を選ぶようになりました。

ちょっとしたこだわり程度のものかもしれませんが、自分にとっては大切な価値観です。

ここを詰めておくだけでもだいぶ自分の軸がしっかりしますし、その時に邪魔するノイズに惑わされずに楽しむことができます。

無理に共有しない

SNSも使いようではありますが、すずきは特に「映え」には強い嫌悪感と吐き気を催します。冗談ですごめんなさい。別に何とも思っていません。

そこんところどうなんでしょう。最近は「映え」を優先する傾向は減ってきたのでしょうか。

よく食べ物とか撮って「どこどこいます♬」と載せていて、あれはあれで僕がやっている美術館やサウナのアーカイブと変わらんのでいいと思いますが、大切なのは自身の内にある目的なのかなと思っています。

とても悪意のあるリストなのですが、

  1. ただ「いいね!」が欲しいだけなのか
  2. 映える画像で自分のページを埋め尽くしたいのか
  3. 俺/私、今楽しんじゃってる感を出したいのか

これに関しては言わせていただきますと、上記の要素が絡んできたら真っ先にすずきは強い拒否反応を示す体質となっております。

これも人それぞれですのでとやかく言う必要はないのですが、もし自分が写真をUPするなら「この上記のリストが絡まないように」と常に注意はしています。

「目的」が変わってきてしまうと中毒っぽくなってしまいますので。

もちろんSNSとうまく距離を保って付き合って行くことができていれば、情報を発信したりメッセージをやりとりしたりすることができるという利点もたくさんあります。

しかし世の中には「お前のスタバ情報なんか要らねーよ!」という人もいれば「お前のサウナ活動なんかしらねーよ!」という人もいるわけです。

そう思われるような投稿は意外と分かってしまうものです。

大事なのはやはり自分の近況の押し売りをしないことだと思います。

すずきなんて「僕の発信を誰一人として見ていない」と自信を持って言えますし(悲しい)、投稿したこと自体を忘れていることもあります。

反応やいいねを期待するために写真を撮るのは僕の中ではご法度。

目的をしっかりと定めた上で活用していきたいものですね。

今後もSNSに翻弄されずに、うまく付き合っていきたいと思います。

おわりに

再三申し上げますが、写真を撮ることやUPすることを全否定しているわけではございません。多くの美しい写真に感動させられてきましたし。

ただ自分自身を考えた場合、どのような目的をもってその場その場を生き、写真におさめているのかを考えることは大切だと思っています。

共有することは楽しいですし、そこから思いがけない出会いや発見も生まれます。

しかし今のすずきにとってはひとつひとつの体験がとても尊いため、本当の意味で大切にしたいのです。

だったらその場で感じられる景色は目に焼き付けておきたいですし、じっくりとその時間を過ごしたい。

景色を写真に収めたほうが記憶に残るんじゃないかと思ったことは何度もあります。

しかしよく考えてみると「新しい場所や映える場所では写真は撮らないようにしよう」というネガティブな考え方ではなく、「今はこの目で体で感じる時間にしよう」というポジティブな考えでいられるようになりました。

僕にとってはそれが一番しっくりきたので、今後もたぶんそんなパシャパシャと景色・風景の写真を残していくことはないと思います。

いいキャメラを買ったら話は変わると思いますが、うーんでどうでしょう。

自分が一眼レフで写真を撮っている姿はあまり想像はできませんね。

マインドフルネスとかぶる部分もありますが、その場その時はその瞬間しかありません

「写真撮らなきゃ」と思う前に、その瞬間を存分に味わうことを僕は続けていこうと思います。

それではまた!

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