こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
今日は山梨県立美術館に行ってまいりました。
とても広い敷地に「ミレー」の常設展、そして「穴山勝堂」という方の精緻な作品群…
圧巻でした。
ミレーの「種をまく人」はとても力強い作品で、なぜこんなにも影響力があったのか、見た瞬間に素人ながらわかりました。
農民の常識を覆した、素晴らしい作品でした。
さて鑑賞も終わってご飯を食べようと思って美術館の向かいにあった甲府ミュージアムハウスに足を運んだところ、なんと藤田嗣治の作品も見ることができました。
すごいと思ったのは佐藤正明の「ニューススタンド」という作品群です。
細かいわ緻密だわでお腹いっぱいです。
- そこに併設されていたカフェでしっかりとカレーを頬張り、
- アイスコーヒーを飲み、
- クリームあんみつまで食べきる
というノルマも達成しました。
なんと教え子が近くに住んでおり、
「先生今近くにいるんですか?!会いましょう!」
と連絡がきたのですが、タイミング合わず泣。
こういうことがあるので、SNSは(たまに)良い効果を発揮するんですよね。
そんな「山梨日帰りツアー」をしている途中で読み終わりました、ポール・タフさんの成功する子失敗する子。
本の最後のほうに、
「結局は学校の成績が良い生徒が、その後の人生において持続性がある」
というデータが、ひとつの参考として出されました。
今日はそれについて語りたいと思います。
勉強の功績
勉強をしていた僕にとって、
「勉強すること自体に意味があるかどうか」
を問うことは、とても難しいテーマです。
「義務教育の是非」をテーマに記事を書いたこともあるのですが、真正面から「勉強はそれ自体に価値がある」と断言できる自信がありません。
しかし本書を読んでみて、
「いかに前の段階の教育(例えば高校生なら中学生)での成績が良かったか」
が大切だということも明らかになったことで、勉強を肯定的に捉えることができるようになりました。
自分の経験からして、こうして継続したり努力したりするようになったのは他でもない「勉強のおかげ」でした。
- テストは範囲が決まっているため、
- それに向けて勉強すれば、
- おのずと点数は伸びてくる。
といったように、勉強はやったことがそのまま結果に直結しやすい性質を持っています。
僕は親に褒められることが気持ち良かったですし、何より負けず嫌いでした。
公平な土俵の上で一斉に戦うことのできる、いわゆる「テスト」というものに、ある種の楽しさを覚えていました。
ドラゴン桜でも「人間は意外にもみんな数字(点数)が好きだ」というようなセリフがあり、妙に納得したことを覚えています。
「何かに向けて頑張る」というとてもシンプルなものと、「点数」というこれまたシンプルな結果はとてもわかりやすいのです。
だからこそ、多くの人にとって下剋上をしやすい戦場なのだと思います。
わかりやすい結果がでることで、
- 成功・失敗の仕方
- 自分の能力を客観的に見るクセ
- モチベーション
- 悔しさ…
など多くのことを学べます。
また単純に知識がつき、様々な情報にアクセスできるようになり、知識欲も増していくのです。
勉強の価値
勉強には価値があるのか。
日本(だけでなくこの書籍ではアメリカ)の教育には、賛否があります。
- 「将来なんの役に立つのか?」
- 「結局中卒や高卒でも起業して社長やってる人もいるし…」
と、その是非は僕自身も決めることはできません。
その内容について語ろうとすると結論が出ずに終わってしまいますので笑、今回はわかりやすく「テスト」についてだけ議論していきます。
今の高校生たちを見ている立場としまして、テストでの自己実現は1つの解決策になり得ると思っています。
- 勉強で一度頑張ってみて、
- 成功まではいかなくてもわずかながら結果が出れば、
- 子どもたちにとっては一筋の希望になる可能性がある
からです。
これがスポーツや芸術、音楽や演技など「数字では測れないような分野」での戦いとなりますと、時間やお金もかかりますし、家庭環境や経済状況に左右されることもあります。
「テスト」の実施について様々な議論はあるものの、まず生徒が最低ラインの教育水準を超えることは、スポーツや芸術の分野より格段に「ハードルが低い」はずです。
もちろん、スポーツや芸術などの「厳しい競争」に身を投じて「ドン底から成功する」という、大スターやヒーローになるストーリーもありますが、ごくわずかな例だと思っています。
それに比べると勉強のほうが戦いやすいですし、結果が目に見えやすい。
高校3年生の子たちが部活を引退した後にグッと成績が伸びるのは、成果が目に見えづらい部活動で戦った後、「点数」で戦うシンプルな戦場に放り込まれるからかもしれませんね。
「なんだ。こっちのほうが楽だし、努力の結果が分かりやすいじゃん」
と感じるのでしょう。
部活のように体を酷使して勝負していく世界と違い、机に座って頭を使うほうが、彼らにとってはよっぽど楽なのかもしれません。
やり抜く力が身につく
「成績が良い」=「言われたことができる人間」という式について、皆さんはどう思うでしょうか。
自分の学生時代を振り返ってみますと、
「言われたことならできてたんだよなぁ。実力テストになるとてんでダメで…」
と悲観していたことが多かったものです。
ただ教員として思うことは、中学校で成績が良かった生徒は、大抵の場合高校でも頑張ることができているということです。
逆に悲惨な成績をとって入学した生徒は、なかなか進級・卒業までこぎつけることができないのが現状です。
本書を読んでわかったことは、
「生徒にとっては、何でもいいからとにかくちゃんとやりきることが大事」
という、とてもシンプルなことでした笑。
- 長い学生生活を経て、
- しっかりと勉学に励んで、
- 最後にゴールテープを切る。
あまりにも簡単なように見えますが、これができない生徒もいます。(僕はなんだかんだで、やり抜くことができました)
これができるかどうかが、今後の人生にも大きく関わってくるようです。
特に「貧困層から抜け出せないような子どもたち」にとっては、重要なことだと言われています。
そんな子たちが勉強さえ頑張れば、一生モノの「やり抜く力」が身につくかもしれませんね。
自己肯定感が上がる
テストや点数、順位は「資本主義の最たるものだ!」と非難する人もいますが、意外と人は競争が好きな生き物です。
また他人と比べなくても、自分自身の中で戦い続けることもできます。
僕はどちらでも良いと思っています。
- 自己肯定感が増したり、
- 自信の糧になったり、
- 頑張るモチベーションになったり
するのであればなんでもかまいません。
例えば「小テスト」を見てみましょう。
「英単語を10個覚えてください」と言われた時、
- 暗記したり書いたり発音したりしてみる。
- 問題に答える。
- 点数が出る。
- できたところとできなかったところがわかる。
という「努力の流れ」があります。
しかし、これすらやろうとしない生徒がいます。
この「基礎的で地味な部分」をいかにやらせられるかどうかが、大きな課題です。
「努力をするプロセス」の中で「自分の力でやったのだ!」という確かな実感を持つことができれば、生徒にとってその経験が「大きく飛躍する力」になるのではないかと思います。
さらに時間をかければ、
- 負けたり勝ったり、
- 失敗したり成功したり
して、繰り返し経験を積んで、壁を乗り越えてゆけることでしょう。
成功に限らず、多くの「やりきった経験」を積むことだけでも、自分の在り方や存在意義を確立させる手立てになってくれるのです。
継続する力が身につく
僕はなんと言いましても、
- 継続の鬼
- コツコツ型
- 時間を身につけるタイプ
と、とにかく「微々たる積み重ね」をしていくことが大好きな人間です。
それも「勉強という土台」があったからだと思います。
勉強は積み上げ式ですからね。
もちろん勉強以外でも、長期間で取り組み続けられれば、それも良いことです。
ただ問題をすり替えて、
- 「そもそも自分に勉強なんて要らない」
- 「学校を卒業しないで他のことで成功すればいい」
と思ってしまうことは、もったいない考え方だと思っています。
勉強やテストは「持続する力を身につけるチャンス」だからです。
確かに学校がなくてもやっていける、稀(まれ)な例もあります。
例えば、学校という組織が合わなかっただけで、
- 他のことにものすごく興味があって起業してみたり、
- 研究に没頭して何かを開発してみたり、
- パソコンをいじりまくったり、
- 作品を自作して販売したり
するような人もいます。
学校「外」で技術が身につき、食っていけるようになるパターンですね。
彼らは結局、自分の好きなことを、狂ったように時間も忘れて続けられている人たちです。
それでも、その分野において「相当の努力」をしていることは間違いありません。
学校や勉強をハナから投げ出して諦めたり逃げたりすることをしていいのは、それくらい「他で頑張れる人」だけです。
投げ出す前にまずは続けてみればいいのかなと、僕はそう思います。
日本の公教育において、「勉強」は誰もが平等に挑戦しやすいものだからです。
もし勉強ができる環境下にいるのであれば、続けない手はありません。
そうして「継続する力」を、勉強から学んでいけばいいのです。
おわりに
勉強を「全肯定」してみました笑。
学校教育に賛否はあるのですが、やはり「学校の先の人生」のためにも、学校で身につけなければいけない力はあるのではないかと感じています。
- 勉強の良し悪しを問う前に、
- 教科の内容を問う前に、
生徒の性格や気質を育てることが大切です。
親や教師、近くの大人たちが「勉強なんて意味ないよ」と言わずに、もっと違うアプローチをしてみましょう。
「勉強でも何でもいいけど、君は何か続けていることはあるのかい?」
と聞いてあげることもいいのかもしれません。
倍率の高いスポーツや芸術の分野であっても、子どもたちが夢中になって取り組み、続けているのであれば、それを応援してあげるべきです。
また学校の成績が良い生徒に対しても、
- 「どうせ社会では役に立たない」
- 「お前は頭でっかちだ」
と言うことも違います。
大切なことは、
- 頑張り抜くというシンプルなこと。
- そしてこれを身につけさせること。
これもまた1つの解なのでしょう。
本書の内容はアメリカがもととなっており、日本と事情が違うかもしれません。
しかし、学ぶことは多くありそうですね。
勉強の価値を改めて見出せたような気がしました笑。
それではまた!
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