こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
『嫌われる勇気』を読んでから、人との関わり方がだいぶ楽(らく)になった僕ですが、それは何より「人に期待しなくなったから」でした。
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特に教師をやっていますと、
と怒る先生がたくさんいます。
でも実際は、子どもに限らず大人だってなかなかできないこととは多いものです。
- 人に勝手に期待して
- そして勝手に失望する
こんなこと、「やられたほう」からすればいい迷惑です。
いつも逆の立場に立って考えることですね。
今日は「人に期待しないこと」について書いていきます。
人に期待するのは傲慢

僕も昔は、「人を変えよう!」と思っていたものでした。
教育者になるくらいですから、
という「淡い期待」を抱いていたものでした。
しかし残念ながら、それはほとんど意味のないものでした。
- 生徒
- 保護者
- 同僚の先生
に対して、実際は言葉にしなくても心のどこかで呆(あき)れており、
と思っていたことが多々ありました。
当時の僕は「傲慢だった」のだと思っています。
と思う人もいるかもしれませんが、要は「人に期待する」ということは、心のどこかで、
と思っているからです。
それって言葉を変えれば、「コントロールしたい/できる」ということにも受け取られます。
誰かに期待して「応援すること」それ自体は、悪いことではありません。
しかし、自分のコントロール「外」のことであるのにも関わらず、
というのは、あまりにも横暴すぎます笑。(ファンなどは少し違うかもしれませんが)
いろんな状況はあるにせよ、他人に期待するということは “基本的には” そういうことです。
だから人には基本的に「期待しないこと」です。
それで失望するのは、あまりにも「一人相撲」すぎますからね。
信じられるのは自分だけなのです。
期待しないことで生まれるメリット

僕は人に期待しなくなってから、とにかくメリットを享受できるようになりました。
まず、失望することがなくなります。
当然ですが、
という感覚から入っておけば、結果が散々でも「仕方ないか」程度で終わらせることができます。
むしろ「それ以上」の働きをしてくれたら、
と、相手を素直に褒めることができますからね。
さて、こういうことを言いますと、
と思う人がいます。
先述した通り、僕は「逆」だと思っています。
何度も言いますが、応援することそれ自体はいいことですし、
と、声をかけて慰めることも素晴らしいことです。
そうではなく、勝手に期待値を上げておいてしまいますと、跳ね返ってくる失望感が大きいということ。
「信じること」もまた近いものなのかもしれませんが、それにはリスクが伴うことも知っておかなければなりません。
時にはそうしなければならない場面(信じたものを選ぶ場面)もあるかもしれませんが、僕らは普段からこうした、
- 信じる
- 期待する
という行為を、やりすぎているのではないかと思っています。
基本のスタンスとして、僕は人に期待していません。
別にこれは、
というスタンスではありません。
というような、フラットな姿勢なのです。
一方で、
- あの人に好かれるだろう
- あの人だったら絶対やってくれる
- あの人なら自分のために働いてくれるはず
こういう思考とは、基本的に「他責思考」なのです。
これを続けていますと、最終的には相手に結論を委ねることになります。
人に期待しなければ、
という責任感を持つことができるようになるのですね。
個人的には、このフラットな考え方がとても大事なのだと思っています。
常に逆を考える

僕が最近、生徒さんと話していて思うのは、
ということです。
例えば僕はダンスが好きですが、それをいきなり「やめてほしいんだ…」と言われたら、意味がわかりませんよね笑。
逆に好きでもないスキーやスノボを、「なんとかしてやってほしい」と言われてもやらないでしょう。
他人に期待するということは、実は “これくらいの感覚” を含んでいると思っていていいのではないかと。
いえ、一体何が違うのでしょうか。
期待するとは、「変わってほしい」という気持ちがあるのでは?
「自分の思うような結果を出してほしい」という、どこかでコントロールしたい気持ちがあるのでは?
そういうことです。
だから僕は、
とふと思ってしまった時には、
と思うようにしています。
自分は勝手に期待する割に、逆に期待されますと、
という人は、意外にも多いですよね。
だから、あえて期待しないことです。
結局「期待する」ということは、身勝手な押し付けになりかねないからですね。
と考えてみることですね。
もちろん、「期待されることが嬉しい」と思える人もいるかもしれません。
しかし、そこに「失望」が伴ってきたらどうでしょうか。
と。
って思いませんかね笑。
期待には失望がついて回るものですから。
だから僕はたまにふざけて、
といった主旨を伝えることすらあります。
別に悪気があって言っているわけではないのです。
むしろその方が、相手に対して「フラットに向き合っている」と、僕は思うのです。
自分から相手に何かを望む場合は、どうしても自分のことばかりとなってしまい、相手の状況を考えられなくなってしまいます。
でも本当は、それではいけませんよね。
- 自分の要求は通したいが
- 相手からの要求は飲めない
これは「期待すること」で、よく起こり得ることなのかなと。
「期待」の中にはそのような強制力が、少なくともありますからね。
人との関係を良好にしたければ、実はそこまで期待しないほうが得策ですし、そのほうがお互い気楽でいられます。
「期待しないこと」というとネガティブに聞こえますが、僕はこの感覚は結構大事なんじゃないかなと思っています。
常に「相手の立場を考えておくこと」は必要ですね。
おわりに
人に期待しなくなってから、僕の人生はとても幸せになりました。
イラ立たなくなりましたし、いい意味で「そもそも期待していない」と言うことができるようになったからです。
これを意識してみますと、また「期待すること」に対して考え方が変わるかもしれませんね。
それではまた!
