こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
- 「散財」
- 「使う力」
- 「ものの価値」
- 「贈り物」
など、あれほど倹約家だった僕からはほど遠い単語たちが、このブログでも並ぶようになりました。
だいぶ「お金を使う力」が強くなってきたと、自負しております笑。
昔は「いかに自分のお金を溜め込むか」ということに執着すらしていたものですが、今は「いかにお金を使えるか」を基本のベースにして考えるようになりました。
僕の好きな筋肉ライオン(リベ大学長の両さん)が上げていた動画で、
「収入 − 支出 − 浪費 − 投資 = 0」ではなく「収入 − 支出 = 浪費 + 投資」の考え方にしなさいという式が革命的でした。
簡単に言いますと、浮いた(節約した)お金を浪費や投資に回そうという発想です。
この浮いたお金を「利益」と命名していたところも、また好きな考え方でした。
「利益」と置き換えることで、浪費(遊興費や贅沢な体験)のために積極的にお金を使っていきたいと思えるわけです。
こうして僕はお金を使うようになったのですが、経済も回り始めているので株の調子もよく、年間で大黒字となっています。
むむむ…。もっと使って経済を回さなければ。
そんな僕の、最近の心境の変化をお伝えしていきます。
値段を気にしなくなる
以前にも何回か「ものの価格ではなく価値に重きを置くようになった」という記事を書きました。
- 後輩や教え子と会ったり
- 職場の女性たちにお土産を買って行ったり
するときに、ふと昔の僕と全く違うところに気がつきました。
それは「価格を気にしなくなった」という点です。
これは、革命中の革命です。
気にしなくなったというより、もはや見ていません。
ただ、高級なものに手を出していないことが価格を気にしていない理由かもしれません。
つまり「まだ感覚はバグっていない」というわけです。
例えば「高級ホテル1泊なんと数十万。よし、贅沢しよう!」と考える時に「俺は値段を見ないぜ!」とイキっているわけではありません。
まだそのレベルまで自分が到達していないのです。
街中を歩きながら飲むカフェラテやお昼は、それぞれ500〜600円、1,000〜2,000円ですよね。
僕の中では一応、「常識の範囲内」です。
それらを頼む時は、もう全然値段を見ないようになりました。
「え?それって普通のことじゃないの?」と思われる方もいるかもしれません。
実は僕は以前から、
- 「お店で一番安いものを選ぶクセ」
- 「高いものはやめておこう…」
という考え方でずっと生きてきたのです。
つまり価値ではなく価格で、ものを見ていたわけです。
今はその考え方は真逆になりましたので、
- 安くて価値が低いもの(清涼飲料水やスナック、100円のアイスなど)は逆に買わないようになり、
- 街やお店で「食べたいな」「飲みたいな」と思ったものは、少し高くても気にせず払う
ようになりました。
これも「考え方」を変えたおかげだと思います。
とはいえ、これでもかなりコスパの良い生活だと言われますが。
またマネーフォワードという家計管理アプリを導入したことも大きいです。
クレジットや銀行口座、証券口座と連携しているため、ほぼほぼリアルタイムで自分の資産がどれくらいか把握できるのです。
それによって「資産が減っていないかな…」という不安が雲散霧消しました。
- 「毎週、毎月、毎年、これくらい使っているのだな」
- 「あまり使いすぎた月でも、まぁこれくらいの出費か」
と思えることができるようになったからです。
収入から支出を引いて出た「利益」を、こうしてストレスなく自分の「幸せ」のために使えるようになっただけで大きな一歩です。
今後は「少し自分の生活よりも贅沢なところ」にお金を使うときだけ、一度立ち止まって考えてみようと思います。
普段からあまりお金を使わないと思いますので「良い体験のうちの1つだ」と思って、お金を払う価値のある「質の良いサービス」を受けていこうと思っています。
無料に飛びつかなくなる
今読んでいます予想どおりに不合理という本は、人間の行動心理学の実験が数多く載っている書籍です。友人から勧められました。
本書に、子どもたちを対象にしたこんな実験が載っていました。
高級なチョコと安いチョコがあって、その額をどちらも数十セントさげた後、安いチョコに飛びつく割合は「額を下げる前とあまり変わらない」のに対し、安いチョコを「タダ」にした途端に、子どもたちはみんなワッとタダのほうに飛びついたそうです。
あくまで実験ですが、子どもでなくても「タダに飛びつく」のが普通だと思います。
ただこれは、市場で巧みに使われている手法でして、
- 「今なら無料で〇〇が付きます!」
- 「〇〇個買うと1つ無料です!」
など、実際は多くの場面で見かけることができます。
「安いもの至上主義」を貫いていた頃の僕も、そんな謳い文句に引っ張られていたことでしょう。
しかし、「ものの価格ではなく価値を見る」ようになってからは、そのような文言に惑わされなくなりました。
安いものに対しても「安いだけではなく、本当に『質の高いもの』なのだろうか?」と「安い」という点以外の部分にも注意を払えるようになりました。
例えば、
- 「相手におごる」と決めて食べたご飯。そのお会計が数千円かかろうとも、全然気にならなくなりました。
- 旅の途中で買って帰るお土産代も、数千円かかっても気にならなくなりました。
だから「それを買いますと、無料で〇〇がつきます」と店員さんに言われても「いや、別に無料の〇〇もいらないですし、そもそもそれ自体も買うつもりはありません」と言い返すと思います。
もうおわかりですね。
僕にとって、価値がないものだからです。
「無料」の強さはいつの時代も、確かに半端ではありません。
「無料で何かつくなら買おう…」と思ってしまっていたら、要注意。結果的に「無料以上のもの」にお金を払っていることでしょう。
無料ほど高いものはない。
勘違いして「お金の損得」だけで生きていた僕にとっては、この感覚があることは今後僕の身を守ってくれる「大きな盾」となります。
市場の思う通りに「不合理な選択」を簡単にしてしまわないよう、いつでも「ものの価値」を見極めることが大切ですね。
市場規範と社会規範
話はズレますが、本書には他にもこんなストーリーがあります。
全米退職者協会がアメリカの弁護士たちに、
「1時間30ドルで、困窮した退職者たちの相談に乗ってくれないか?」
と頼んだところ、ほぼ断られたそうです。
「俺らの仕事はそんなに安いものじゃないんだぞ」と。
しかし、
「無償で相談に乗ってあげてくれないか?」
と頼んだ途端に、圧倒的多数の弁護士たちが首を縦に振ったそうです。
お金が絡んできた場合、自分の価値を市場規範にはめ込んで「自分の仕事の価値が、高いのか安いのか」を判断してしまいます。
一方「無償で」という言葉が入りますと、お金の考えは吹き飛んでしまい、市場規範から社会規範の考えへと変わります。
「人として」という倫理的な考え方が強くなるので、進んで頼まれごとを引き受けるようになるのですね。
僕はこれを自分の「ブログ」にも当てはめて考えてみることにしました。
もし自分が「お金をあげるから毎日更新してくれ」と言われたら、続けていただろうかと考えてみますと、それは無理だろうなと思いました。
その場合は「こういう記事を書いてくれ」と頼まれる場合があることが多いでしょうしね。
自分が好きでやっていることは「お金が支払われるかどうか」は関係ないですし、社会規範のほうを適用させて「誰か1人の役に立つため、誰か1人でも読んでくれるため」と思って書いているほうがやりがいを感じます。
自分が好き勝手書けるというメリットもありますしね。
これは自分の趣味においても一緒です。
みなさんの中にも「報酬のために趣味を続けているのだ」という人はいないと思います。(プロはまた話が変わってきますので、ここでは割愛させていただきます)
- 自分が好きだからやる。
- 好きだから続ける。
- 自分の楽しみのために続ける。
「趣味」であればこれだけで十分な理由になりますし、僕はSNSやブログで(無料で)発信して「誰かの何かの役に立てたらいいな」と思っています。
これによって「幸せを感じながら」趣味を続けることができるのです。
いずれ広告がつけば単純に嬉しいですので、つけてもいいかもしれません。
しかし基本は、
「自分の好きなこととして(誰かのために)続けること。お金を目的に続けないこと」
改めてそう考えていこうと思えた本でした。
営利目的がダメとは言いませんが、まず最初に立つべき位置は「誰かのために無償で提供すること」です。
結果的に利益が出れば、それはそれでいい。これは筋肉ライオンさんも言っています。
そういう「GIVEするスタンス」で続けていこうと思うと、「無償で続ける」「趣味として続ける」楽しさを、忘れないことができますよね。
それでも、成功者たちが結果的に稼ぐことができるのはなぜでしょうか。
いい意味で「無料ほど高いものはないから」だと、僕は思っています。
おわりに
ずっとお金の勉強をしていますと、初心者ながら多くのことを学ぶ毎日です。
- お金を学ぶということは、ものの価値を学ぶということ。
- ものの考え方を学ぶということ。
- 人生を考えるということ。
様々なことに繋がってくるのですね。
値段を気にしなくなったのは、「ストレスや不安がなくなった」ことが大きいのだと思います。
また、
- 必要だと思えるもの
- 本当にいいものと言われているもの
- 自分の人生で体験したいこと
- 興味として経験しておきたいこと
- 相手の喜ぶもの
に「お金を払うべきだ」と思うようになったことは大きいです。
すると「無料」であるものには違和感を感じ「本当のところはどうなんだろう?」と思うようになりました。
市場の惑わしか、はたまた本当に無償で提供してくれているものなのか。
ものを買おうとするときの「無料」は、前者のほうが多いイメージです。
YouTubeなどは無料であっても、僕の(筋肉ライオンさんの)考え方に近い人たちが成功しているイメージがあるので後者です。
一方でその後、オンラインサロンやサブスクに誘導することもありますけどね。
ただ、本当にいいものを誰かに届けようと思えば、自然とその価値は上がっていきます。
「そこにお金を払いたい」と思える人が出てくるからです。
僕にとってそれは、カフェやサウナ、美術館などです。
質の悪いものは淘汰され、本当にいいものだけが残っていく時代なのでしょう。
それらを見極められるよう、日々お金の使い方の勉強ですね。
それではまた!
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