グローバルな人材を作るためにはまず自分から【僕は一体誰なのか】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先ほど、友人から借りていました、

なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!? 

を読み始めました。

とても面白くて、ついガンガン読み進めていってしまいました。

自分が「教育者の塊」であるため、

著者との考えが一致しているかどうか

など、こと細かに読もうと思ったのですが、もう読み始めてすでに、

な、なんて考え方が似ているのだろう!

と思ってしまいました。(調子に乗るな)

そこには「まずあなたが誰であるか」を語れるかどうかという、教育理念が出されていました。

今日は「自分が開拓していくこと」について書いていきます。

グローバルな人材を作るなら、まずは僕からだ。

自分が何者であるかを語れるか

僕はコンプレックスの塊でした。

英語もしゃべれませんでしたし、ましてやブレイクダンスなんてしたこともありませんでした。

今と比べて幼少期は運動神経も悪く、あまり筋肉質でもありませんでしたし、目立つような存在でもありませんでした。

その後先生となったおかげで、若さや部活動(ダンス部でしたので)によって、チヤホヤされたことはありました。

それでも、やはりどこか「中途半端」な自分がいて、それがずっとネックでした。

何か…何か変わらなきゃ

今思えば、そう思えた過去の自分がいて、本当に良かったと思っています。

そこから英検やTOEICを受けたり、無償で英文法の授業をしたりし始めました。

食生活や睡眠も改善し、何に幸せを感じるのかも考え始めました。

終いには公務員を辞めて、世界一周に出るという体たらくっぷりです笑。

しかしそれは全て、「過去の自分から変わる」という信念をもとに、行なってきた数々の行動だったのでした。

今となっては、

経験がモノを言うのだ

と思っていることで、世界一周の経験や英語の試験勉強の仕方、英語の習得方法など、自分がした「挑戦/チャレンジ」については、堂々と語れるようになったのでした。

大事なのは、自分が何者であるかを語ることができること。

僕は僕であり、その経験を奪うことは誰にもできません。

もう僕は、昔のようなコンプレックスの塊ではないのです。

自分を語るために、僕には経験が必要だった。今は自分が何者であるかを語ることができるようになった。

自分がグローバル人材になることが先だった

僕が教育者になりたいと思ったのは、中学1年生の頃でした。

なまじ勉強ができた僕は、「人に教えて感謝されること」に快感を覚えていました。

それでもなかなか自信が持てなかったコンプレックス野郎は笑、ついに去年の2023年に世界に飛び出します。

僕には、日本の教育を憂(うれ)う前に、やっておかなければならないことがあったからです。

それが「自分の目で世界を見ること」でした。

先生になる

と意気込んだせいじ少年は、教育現場で「教育者とは何たるか」を、まざまざと突きつけられたわけですね。

世界を見ることで、「本当の意味での教育者」を目指したのです。

ただ、こうして世界を回った一方で、僕のエピソードや動画はあくまで僕目線のものでしかなく、それが全てというわけではありません。

先日見たAbema TVでの討論でも、

教育格差は、各々のエピソードではなく統計で見るべきだ

という意見があったくらいで、僕のエピソードはあくまで「個人のレンズ」を通したものに過ぎません。

ただ僕は、「決して統計だけではわからないこと」を目にしたという自負があります。

いえ、単なる「経験」と言ってもいいでしょう。

教育格差については割愛しますが、そもそも「グローバルな人材の育成」を謳っている人が、世界のことを知らなければ話になりませんよね。

僕はそのようなモットーを謳っているわけではありませんが笑、やはり教育者として(しかも英語)、

世界を見たことがあるかどうか

という経験は必要不可欠でした。

仮に統計論的に、

日本の教育格差も大変なのだから、発展途上国と比べることは違う

と言われたとしても、実際に何十ものホステルを回って多くの国々の人たちと議論を交わしてきた僕にとっては、

いや、やっぱり日本は恵まれてるって笑

と思ってしまいます。

このように(その是非は置いておいて)、「世界について語れること」が、日本で教育を行なうための第一歩となったことは、間違いのないことでした。

僕が日本で教育事業を行ないたいのであれば、僕自身が「そういう人間」になる必要があったのです。

決して海外の大学を出たわけではありませんが、

  • 英語の通じない場所を経験し
  • 世界各国の人々と繋がりを持ち
  • 多くの国々の土地や文化に触れた

ということは、今後のための大きな説得力となりました。

いい人材を育てたいなら、僕もそれ相応の人間にならなければ!

この思いがあることで、僕の教育は「強さを増す」のだと思っています。

グローバル人材を育てるためには、僕自身がグローバルな人間になる必要があった。

体現していく人であり続ける人

僕は「リーダーとしての資質」を備えているとは、これっぽっちも思っていません。

先導するというよりは、僕自身がずっとプレイヤーであり続け、挑戦していく「体現型の先生」でありたいと思っています。

生徒に自分の経験を伝えること(見せること)で、行動を誘発するような、そんな先生でありたいということです。

おかげさまで、少しずつ「元生徒たち」に刺激を与えていられるようでして、

これはこれで、1つの教育の形になっているようだな笑

とも感じています。

自分が「グローバルな視点」を持つことができるようになって、今は心底嬉しいのです。

  • 英語を教えることで、一体生徒に何を成し遂げて欲しいのか
  • 世界基準で戦えるようになるために、生徒たちに何をして欲しいのか

など、「グローバル」を目指す生徒たちを作るために必要だった地盤。

それが今、僕自身の中で少しずつですが固められてきました。

「グローバル」とは、決して英語をしゃべれることを指すわけではない

と、本書でも言及されていました。

僕もそれには激しく同意します。

英語がしゃべれるだけではなくて、

  • ものごとを多面的に見たり
  • 世界の知見を持っていたり
  • 柔軟に考えて行動に移したり

そんな「力」が、日本の僕らにも若い世代にも、必要なのです。

僕は世界一周という1つの夢を叶えましたが、それでも前を走っていく(あるいは伴走していく)ために、まだまだ行動していかなければなりません。

僕がグローバル人材になれたかどうかは別ですが笑、「世界に通用する人材」を作るには、僕自身が頑張ることは大前提です。

常に行動していくのです。

グローバル人材を育成するなら、僕がそれを体現する人である必要があるのだ。

おわりに

世界で戦えるような人材を作るなら、僕がまずそのお手本になること

ある意味コンプレックスを克服していくことで、経験豊かな人間になることができているのだと思います笑。

これからの日本を担う若者育成をするなら、説得力のある人間でいなければなりませんよね。

行動し、経験を積んでいきますね。

それではまた!

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