こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
ゆっくりと読んでいます予想どおりに不合理に、
「人は選択肢を多く持っていると、迷って決断しなくなってしまう」
というお話がありました。
- お腹の減ったロバを連れた男が、AとBの干し草がある場所で「どちらのほうが美味しいだろうか」と頭を悩ませている間にロバが餓死してしまうという、童話のようなお話。
- カメラを購入したいと思っていた友人が、AとBのカメラに悩んで1ヶ月後にようやく片方のカメラを買ったけれども、その間の1ヶ月で多くの写真が撮れただろうし、結果的に時間を無駄にしたというお話。
こんな2つの「選択肢」のお話があがっていました。
僕はこうして迷うことは、あまりないほうなのかなと思います。
できる限り、
- ルーティン化
- 習慣化
- 即断即決
をするように心がけているということと、それができるように考え方や環境を整えていることもあります。
みなさんもよろしければ参考にしてみてください。
悩むことで奪われる時間
上述した2つの例のように、「悩んでいたおかげで見えなくなること」は多々あるそうです。
それが「細かくて気づかないような小さな損失」です。
ロバのお話は結局死んでしまうという深刻な話でしたが、カメラ選びの例のほうは一見すると大したことのないように思えます。
しかしこの「小さいからこそ無視されてしまうもの」が、積み重なっていくことに気づくべきだと、本書を読んで思い知らされました。
「人生は選択の連続だ」なんて言われますけど、それにいちいち無駄に時間をかけていたら、その時は小さな時間の消費かもしれませんけど、積もれば大きな損失になりかねません。
まさにロバの例のように。
以前の僕であれば、
- 朝の時間
- 退勤して帰ってから見ていたテレビの時間
- 遅くまで飲み明かしていた時間
など、中には生産的なものあったかもしれませんが、総じて自己投資のために選択していた時間とは言い難いものでした。
その後少し改善をし、今はだいぶ生産的な時間に変えることができています。
あくまで僕自身の感覚ですが、今の時間の使い方のほうがよっぽど気持ちが良いですし前進している気がします。
また本書で触れられていたもので僕の胸に突き刺さったものは、選択肢に悩み過ぎて、本当に価値のあるものを見失ってしまっているという言葉でした。
ロバの例は極端ですが、まさに「選択する時間」の核心を突いていると思っています。
小さなことで悩んでいるうちに、
「僕にとって本当に価値のあるものや時間、人間関係などが失われている可能性もあるんだな…」
と、ドキッとしてしまいました。
今僕が悩んでいる選択肢は特にないですが(「〇年後にこれをやる」みたいなものはあります)、
- 「もしかしたら大事な機会を失っているのかも」
- 「無駄に悩んでしまっている選択肢はあるかな」
と考えるようになりました。
こうして自身の「無駄」を省いていくことは、人生の幸福度をあげるためには欠かせない行動です。
まずは一度立ち止まって考えてみましょう。何か無駄に悩んでいることが見つかるはずです。
「悩むこと」と「勉強すること/考えること」は違う
僕は昔、「貯蓄型保険」に入っていました。
- 「貯蓄や投資と、保険は一緒にするな」
- 「混ぜるな危険」
と今なら思えますが、その当時は持ち前の「即決即断力」を生かして「無駄な保険」に入ってしまっていました。
ここで「保険に入るかどうか悩む」ことについて考えてみますと、僕が結局保険をやめるまでに費やした時間は無駄ではなかったと思いました。
その時間では「なぜ自分に保険が不要なのか」と勉強して考えたからです。
(今思えば「もっと早くやめればよかったのに」と思ってしまいますが)
「投資」に関しても一緒ですね。
- 「どのような商品がいいのか」
- 「ネット証券で口座を開くといいのは、なぜなのか」
全くわからないまま「えいやーっ!」と始めてしまえば、保険に入った当初と変わらない感覚で「ものごとを選択していること」になってしまいます。
投資を始める時は、そこにじっくりと時間をかけ、自分が納得するまで勉強しました。
その時間は果たして無駄だったのか。もちろん”NO”です。
時に即断即決も大切ですし、悩む時間によって失われてしまうものもあると述べたばかりでした。
しかしそれは意味のないどうでもいい部分(AとBのどちらの干し草orカメラがいいのか)で悩むことに関してです。
本当に大切なこと(価値のあること、将来につながること)に対しては、勉強をして自分なりの答えを出すまでに、ある程度の時間が必要だと思うのです。
とても有名な話で、スティーブ・ジョブズは靴下やTシャツを同じ色で揃えて「選択する時間を省いていた」というお話がありますよね。
その分、自分にとって重要な決断(会社にとっての大きな決断など)に直面した時に、集中して選択することができるというものでした。
「なるほど。無意味なところに選択の時間を割かなければ、時間効率がいいな!」
という短絡的な考えをしていました笑。
ジョブズが言いたかった本質は、まさにこの本の内容と一緒で、自分にとって無意味な選択をしない環境を作り、本当に価値あるものを見失わないようにするという意味だったのではないかと思っています。
「効率の最適化」ではなく。
だからこそ以下の大切なこと、
- 投資や浪費
- 仕事や休暇
- 友人との時間など
つまり「価値のあること」には積極的に悩んでいい。というより、時間を使ったり勉強したりしていいと思えたのでした。
「自分の人生の無駄と思える部分の時間を省き、大切だと思う部分に時間を割く」
ということですね。
「いちいち最適化していたら、人生楽しくないのでは?」と僕も一瞬思いましたが、即却下しました。
時間は有限だから、です。
小さくて無駄な選択肢はルーティン化すべし
ジョブズがやっていた例は、典型的でとても試しやすい一例だと思っています。
以下僕なりの「無駄な選択肢の省き方」です。
僕も短絡的に朝の時間を効率化するために笑、靴下はほぼ黒一色です。
ワイシャツやスーツ、下着などは色が違いますが「左から順番に取っていく」というルール(習慣)を取り決めていますので、特に悩むことはありません。
テレビも売りましたので、チャンネル切り替えで悩むこともありません。
日常の生活はルーティン化してしまうのがオススメです。
- 6時半前に起きる。
- ワンピースのアプリを読めるように準備をする(広告を流しておく)。
- 雨戸を開ける。
- パソコンをつける。
- オートミールに水をかけてレンチンする。
- お昼ご飯の鍋を温める。…
というような僕なりの取り決めがあり、そのように動くことが一番最適化されて効率がよいのです。
いちいち「何着て行こう?」「何食べよう?」とはなりません。(前日に準備しておくのもよいと思います)
朝はルーティン化。これに尽きますね。
そのルーティン中に、YouTubeでお金や人生論、時事の討論などを流して聞くようにしています。
朝の40〜50分の中にも、ルーティン化したものとは別に「価値ある時間」を確保するのです。
実は1日の流れも、ある程度は決まっています。
- 学校の最寄駅のスーパーでSOYJOYとCalorie Mate(+水2ℓ)を買う。
- 職場に着いたらコーヒーを淹れる。
- ブランチを食べる。
- 昼には、朝温めたご飯と豚汁を11時半頃に食べる。
- お腹が空いたら「素焼きナッツ」を食べる。
- 帰る前にランニングかダンスの練習。…
こう見ると「習慣化の鬼」のように見えます笑。
ルーティン化、習慣化するのは、無駄な選択肢を省くことにうってつけです。
すると1週間の流れも、ある程度「ルーティン化」されてしまいます。
平日の5日間はだいたい上のような流れですが、一方で土日祝日は、
- 「どこに行こう?」
- 「何を食べよう?」
- 「友人と会うことにしよう」
など、選択に悩んだり、計画する時間に費やしたりします。
他にも、
- 投資先を考える時
- 職について考える時
- お金の勉強をする時
- 何を読むか、見るか決める時
- サウナに入っている時
- 遠方に旅している時
- ブログを書いている時
など、これらは僕にとって「大切な時間」です。「重要な決断」の場面ですね。
ここにはたっぷりと時間を割く。
僕自身が考えている「幸せな時間」とも密接な関係がありますからね。
だから、
「要は無駄なところは全部、ルーティン化すりゃいいのよ」
というわけではありません。
まずは自分の軸となる信念を固めることが大事です。
- どこをルーティン化、習慣化して選択肢を省くのか?
- そのルーティンは心地よいのか?続けられるのか?
- 浮いた時間を何に割きたいのか?
- その時間にできる価値ある行動とは何なのか?
などの疑問が湧いてきて、軸が定まってくるのではないかなと思っています。
つまり僕の「時間を省くための行動」は、僕がどうしたいのかがまず先にあります。
「無駄な選択肢を省こう!」がスタートではなくて、最初にやるべきは信念の確立なのです。
その上で「じゃあここは要らないよね」と効率化・最適化していくこと。
この順序を間違ってはいけないのです。
おわりに
三国志で出てきます「項羽」は、秦に攻め入るときに川から上陸した後、自らその船と釜と小屋を燃やして味方の退路を断ったそうです。
「糧を棄て船を沈む」という故事成語で、「決死の覚悟で挑む」という意味です。
現代はあまりにも選択肢が多すぎて、悩んだり迷ったりしてしまうことがあります。
それが全て「悪」なのではなくて、少し考えればそれは無駄だよねというところに時間を割くことが、考え直すべき「悪い点」なのです。
項羽のように「無駄なところは切って覚悟を決めろ」というのは行き過ぎた考えだという人もいますが、僕はどちらかというと項羽のやり方に賛成です。
- 自ら無駄な選択肢がない状態を作る。
- そもそも選択肢に惑わされない信念を持つ。
これらは、特別無理をしていることではないからです。
思い返せば、どうでもいいことに悩んでいた時間は、少し考えれば無駄なものが多かったですしね。
「それらをとことん無くしていこう」と思うことは、しっかりと自分の人生と向き合い始めた証拠だと思っています。
だから逆に「朝の洋服選びでテンションが上がるのだ!ここは譲れない。」という人がいれば、それはやったほうがいいのです。
その人にとって「時間をかける価値がある」と判断したものであれば、それはそれでいいのです。
自分と向き合って自分なりの「信念」を確立しておくと、有限である人生を最適化していくことができます。
不要な選択肢は省いて最適化し、価値ある選択肢とはじっくりと向き合う。
今後もこうしていけたら最高ですね。がんばりましょう。
それではまた!
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