こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕は、昭和時代の人もびっくりな失敗をよくします。
以前は米を炊く時に水を入れ忘れたり、スープジャーを小爆発させたりと、なかなかの失敗をしてきたものでしたが、先日もやってしまいました笑。
以前であれば、
- 失敗したことを嘆き、
- 打ちひしがれ、
- 落ち込み、
- やる気をなくす。
という「完成された流れ」に沿って、テンションがガタ落ちになっていたものでした。
今となってはまるで見違えるほどに、失敗を失敗だと思わなくなってきました。
今日はそんな「失敗の後にどういう感情をもつべきか?」を、仕事の話とは別に雑談として書いていきます。
日常で失敗しない人などいない
僕もなかなかの「おっちょこちょい」ですが、普通に生きていれば失敗の1つや2つなんて当たり前です。
それさえわかっていれば、たまにする「失敗」なんて起こって当然なのです。
- 「あ!財布忘れた〜」
- 「エアコン付けっ放し?!」
- 「ご飯炊いたままにしてたー」
- 「電車で逆側に乗っちゃったよ!」
数え上げればいくらでもありますよね笑。
さて、そんな失敗ばかりの僕は「冷静沈着マシーン」という異名を持ちながらも、そんな失敗に遭遇した時は、
- 「嘘だろー?!」
- 「マジかよ…」
- 「ちょっと待ってよー!」(うなだれる)
など、大きいリアクションをしてしまいます笑。
しかし悟りを開く域にまで達してしまいますと、もはや「落胆」を超えた境地にたどり着くことができます。(ちょっと何言ってるかわからない)
先日もそんな失敗に見舞われましたが、人は誰しも生きているだけで失敗するものです。
「その後の気の持ちよう」が大切だということをお伝えします。
茶碗を割る
朝のオートミールをレンジでチンした後に、その悲劇は起こりました。
いつもどおり、ご飯茶碗をレンジから取り出して空中を平行移動させていたところ、途中にある「仕切り」的なところにぶつけたおかげで、
- 茶碗が重力に従って落下し、
- 床に傷をつけながら見事に割れ、
- 破片を飛び散らかしながら、
- 砕けました。
ここで一旦、僕の思考にストップがかかります。
「何が起こったのだ?」と。
しかし幸運なことに、なんとオートミールだけはある程度無事でした。
割れ残った茶碗のセンター部分に、オートミールの大きな塊がポツンと残っていたからです。
「モノは消耗品であり、いくら壊れても構わない。しかし食べ物を粗末にするやつはクズだ」
その信念に基づいて状況を把握してみますと、どうやら今回の僕は「クズに落ちぶれること」はありませんでした。とりあえず一安心です。
(もちろん、普段からモノも大切に扱っています)
- オートミールの無事を確認し、ひとまず安心。
- もう1つの普段使っていない茶碗に移し、
- 割れた茶碗の破片を紙袋に移して、
- 少し飛び散ったオートミールを、クイックルワイパーで掃除しました。
なんという「流れ作業」でしょうか。
幸い、茶碗が粉々に砕け散ったわけではなかったため、危険性も低く、
「茶碗を1つ失った」
という事実だけが残ったのでした。
以前の僕であれば、
- 「ふざけんなよ!」
- 「いい加減にしろ!」
- 「なんでこんな朝の時間に…」
- 「どうして俺がこんな目に!」
と当たり散らしていたと思います。
でも今は違います。
「失敗は誰にでも起こりうること」を認識できていたからです。
「こんなこと、よくあるじゃないか」と、冷静沈着マシーンの本領が発揮された瞬間でした。
その後、美味しくオートミールを食したのです。
米をぶちまける
米を保存容器に移動させる時に、僕は誤って米粒を飛散させた経験があります。
当時は、実家から送られてきた米をビニール袋から保存容器に移す時に、1Rの部屋全体にぶちまけたのでした笑。(全部拾いました)
そんな経験もあってか、今回も細心の注意を払っていたのですが、予想外のことが起きました。
ビニール袋に入っていたお米を容器に移動させる際に、逆さにして押し出そうとしましたら、米がビニール袋内にパンパンに詰まっていたために、破裂しました。
あまり大事には至らなかったのですが、再びクイックルワイパーを登場させる始末となり、「そりゃないだろ?」とグチをこぼしました。
それでも淡々と床を掃除し、「2口分くらいのお米」とさようならをしました。
今回は食べ物を粗末にしてしまったために、だいぶ凹みました。
しかしこれも仕方のないことです。
やってしまったものは、もうどうすることもできません。
「何杯分も無駄にしなくてよかったではないか」と、ポジティブに考えました。
洗濯用洗剤をぶちまける
これも先ほどの「米の小爆発」に似ています。
いつもなら失敗しないはずなのに、詰め替え用の洗剤を容器に移していたところ、悲劇は起きました。
詰め替え用のビニールの形が、注ぐ液体の勢いで横に曲がり、容器の口から外れてしまったのです。
「おいおいマジかよ!?」
と叫んでしまったのですが、液体洗剤は床にこぼれてしまう羽目に。覆水盆に返らず。
しかしそこにおいてもスピーディな処理が行われました。
ちょうど洗濯機を回そうとしていたため、洗うはずのタオルで床の洗剤を吸い取らせ、そのまま洗濯機に放り込みました。
これはルームシェアしていた時に、友人がやっていた方法でした。
結局「なにも…なかった…」ようで、若干洗剤のフレーバーが漂う結果となりました。
何かと「ぶちまける」のが好きな僕ですが笑、これもよくある失敗のうちの1つなのです。
大して気にする必要はなかったため、淡々と処理することを心がけました。
「小さなこと」だと割り切る
どうして僕は、このような「無」の感情を習得することができるようになったのでしょうか。
それは「大した失敗ではない」と思えるようになったからです。
大人になってきますと、そのような「些細な失敗」は少なくなってきます。
だからこそ自分が犯してしまった失敗に対して、
- ガッカリし、
- 腹が立ち、
- イライラし、
- 感情的になる。
と言った流れを生んでしまうのですよね。
しかしどんなに年を重ねようと、そうした些細なミスを経験することは避けられません。
いちいちミスに注目して反応してしまっては、もっと大切なことを見失ってしまいます。
- 茶碗を割った後に職場に向かったが、もう茶碗を割ったことなんてすっかり忘れていた。
- 米も処理をしたので、特に問題はなかった(ことにした)。
- 結果的にこぼした洗剤で洗濯もできたので、そこまで気にもならなかった。
これらがもし、
- 財産の大部分を失った。
- 人間関係を大きく損なった。
- 取り返しのつかないことをしてしまった。
と、事故や事件性の高い出来事をしてしまったのであれば、真剣に反省して今後の対策を練るべきです。
しかし今回の失敗は「取るに足らない」、本当に小さなことでしかありませんでした。
そこに一瞬反応してしまうのは仕方のないことですが、処理が終わったら忘れてしまってよいのです。
頻発するようなら不注意が過ぎますが笑、たまに起こることであれば「ちょっとした事故」でしかありません。
ある程度、いい意味で無視をして次の行動に移っていきましょう。
他人の失敗にも寛容になることができる
普段から自分の失敗も「あるべき失敗」だと思っておくことは、とても大切なことです。
このご時世ですと、他人の失敗を認めず、やたら攻撃や批判をしたくなってしまいます。
以前の僕もそうでした。
それは裏を返せば、自分自身にも優しくないということを意味します。
時は流れ、移り変わるものです。
1つ1つの失敗と向き合うことも大切ですが、
- ずっとその場に停滞し、
- 感情を爆発させ、
- 潰れるまで叩き続ける。
この状態が果たして生産的な時間なのかと言われますと、僕はそうは思いません。
どんどんと「次へ、前へ進んでいくこと」のほうがもっともっと大切なことであり、終わってしまったことにいつまでも後悔していては、もったいないのです。
- 茶碗を割ってしまったらまた買えばいいじゃないか。
- 怪我をしなくてよかったじゃないか。
- オートミールが食べられただけでいいじゃないか。
- お米を全部失わなくてよかったじゃないか。
- 洗剤なんてタオルに染み込ませて使うことができたじゃないか。
考え方もポジティブにしていきましょう。
そうすれば他人が何か小さな失敗をしてしまっても、寛容でいられることができます。
普段から自分のミスを責めすぎてしまう人は、意外と他人の失敗にも厳しく当たっているものです。
- 「人の振り見て我が振り直せ」
- 「他山の石」
- 「反面教師」
他人を指摘する前に、まずは自分に対して寛容になることができているかを問うほうがいいのかもしれませんね。
人生で失敗はよくあることです。
失敗の「後」にどのような感情が渦巻いているのかは、自分の態度を知るためにも客観的に見ておくべきことなのでしょう。
おわりに
ちょっとした失敗からも、「自分はどういう人間であるのか?」という形が意外と見えてくるものです。
以前よりも、だいぶ落ち着いて「失敗に対処すること」ができるようになってきました。
これも「余裕があるかどうか」なのだと思います。
余裕がない時に「失敗」していたら、ブチギレてモノに当たっていたでしょう笑。
もしかしたら個人が失敗した時というのは、感情のコントロールが試されている時なのかもしれませんね。
みなさんも失敗した時は、「すずきの失敗に比べれば、こんなもの笑」と笑い飛ばしてやりましょう。
そうやって利用してくださることで、世の中の悩みが払拭されれば幸いです。
僕も平静を保てるよう、感情を統制できるように訓練していこうと思います。
それではまた!
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