いつまでも闘い続ける戦士でいること【とにかく貪欲であれ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人教師たちや卒業生たちと一緒にダンスのイベントに参加しました。

僕は死ぬほどダンスが好きでして、

  • 頭が削れようが
  • 首を痛めようが

その情熱はずっと燃え尽きることなく、かれこれ15年間続けています。

昔から反骨精神旺盛で、何かと「組織」や「先輩/上司」と好戦的に交わってきた僕ですが笑、今となってはそんなキバも抜け落ち、平安に満ち足りた生活を送っています…

ええーい、しゃらくせぇ!!

そんな甘ったれた生活は、僕が一番キラいとしている生活であります笑。

もちろん、以前の「キバ」は抜け落ちましたが笑。

今日は、僕が「闘い続ける漢(おとこ)」でありたい理由を書いていきます。

いつまでも闘い続ける戦士であれ。その闘志は伝染し、情熱を与え、周りに同志を生む。

貪欲であることと謙虚さ

先日のダンスイベントでは、恐れ多くも「ジャッジ」として参加させていただきました。

それでも、

20代前半の若い子たちに恥じないように!

と意気込み、バカみたいに踊ってきました笑。

最後のコメントにおいては、

僕は34歳になる年ですが、こうして踊れています。だからみんなは、疲れたとか無理だとか、そういった言い訳はしないでください笑

と言いました。

Age is just a number.

年齢はただの数字に過ぎない。

いくら年をとったって、「できない」は言い訳ですよね。

もちろん、

僕のほうが年齢が高いのだから、若い君たちにできないなんておかしい

ということで、マウントを取りたかったわけではありません。

僕より年上でも、世界で戦っている人はたくさんいますしね。

ただ、それくらい情熱を燃やし続けて欲しいということを伝えたかったのです。

以前の僕だったら、

この年齢の割に、よく動けているだろ?

という気持ちが、少なからずありました。

ちょっとした「見栄」ですよね笑。

しかしそれは、本当の意味での「強さ」や「貪欲さ」ではないのだということに気づきました。

外側からの見え方を意識するのではなく、もっと内側から出てくる「強くありたい」という気持ちこそが、謙虚さに繋がるのだとわかったからです。

自分との闘い」に集中することで、結果的に人は謙虚になり相手を尊敬することができる「強さ」に繋がっていきます。

見栄はなくなり、生徒たちの頑張りに素直に「すごい!」と言えるようになりました。

俺のほうがうまい

という気持ちを持つことは、闘っていく上では確かに大切にすべき気持ちです。

一方でその気持ちが前面に出過ぎてしまいますと、謙虚さが失われてしまいます。

「貪欲であること」は、自分の成長に集中しながら人の成長を尊敬できることであり、そこに必ず「謙虚さ」が存在します。

それは、「お互い一所懸命練習している」という前提に立てるからこそです。

成長することに貪欲になり、人の成長にも敬意を表していきましょう。

貪欲であれ。そして自分に集中しよう。相手をリスペクトし、切磋琢磨していこう。

闘い続ける人はカッコいい

これはダンスに限ったことではありませんが、「闘い続ける人」は魅力的に見えます。

僕特有の発想なのかもしれませんが、「鍛えている自分」は自己満足だとしても満足度が高いです。

もともとオスどもは「ハンター気質」が高く、狩猟本能があるからなのか鍛えることを好む人が多いと思っています。

僕が「鍛えている自分」を理想として思い描くようになったのは実はとても遅い時期で、大学生〜社会人になってからでした。

え?逆じゃない?普通は高校生がピークじゃ…

たぶんそれが「正常な感覚」だと思います笑。

しかし年をとるにつれて、

  • 筋トレ
  • 食生活
  • マインド

など、様々な面からアプローチをかけるようになってから、学生時代よりもむしろ体と向き合えるようになりました。

自分の体を知るようになりますと、

ずっと維持したい。ずっと鍛えていきたい

と思うようになります。

「貪欲さ」も増しましたが、「誰かに打ち勝つこと」を目指すのではなく、「いつまでも自分らしくあり続けること」を目指すようになりました。

もちろん、

  • モテたい
  • カッコつけたい

という気持ちがあってもいいですし、僕もないわけではありません笑。

ただ、以前よりも「もっと深いところ」まで考えることができるようになったのです。

それは「外側からの目線を意識する」より、「自分の内面に意識を向ける」ということです。

説明するのが難しいのですが、脇目も振らずに1つのことに集中するというカッコよさですね。

別に異性を意識することは邪(よこしま)なことではありませんし、むしろ王道な動機とも言えます。

ただ、本当の本当に「自分を鍛えること(=内面に目を向けること)」だけに集中することで、僕は以前よりも心身ともに強くなれたと感じています。

邪念なく闘い続けているほうが、より自分の魅力が増すと感じたのです。

感じ方は人それぞれであり、邪念があろうがなかろうが魅力的な人もいます。

つまりは、自分なりの「軸」を定め、その軸をブラさずにひたむきになることがいいことなのだと思います。

僕はストイックにダンスの練習と向き合い、いつでも戦える「戦士」でありたい。

それが「軸」であるというだけです。

それぞれが考えて出した「理想像」であればそれでいい。

そこに向かって、あとは全力疾走するのみですね。

闘い続ける理由はなんでもいい。軸を定めてひたむきに頑張っていれば、魅力的になるのは間違いないのだ。

闘い続けることで同志を引き寄せる

ダンスに限らず、様々なシーンで闘い続けていれば、周りも「同じような意志を持った人」で溢れるようになります。

今回の練習会に参加した時、周りは若い子たち(全員オス笑)で溢れていましたが、誰もが闘志を燃やし、ひたむきに技の練習をしていました。

僕はこういうシーンを見るたびに、

なんてカッコいいのだろう!

と思ってしまいます。

「ダンス」という自分のフィールドだから「手前みそ」でカッコいいと言っているのではなく、どんな場でもひたむきな人たちが集まっていればカッコいいものです。

それなら「外」から見ているよりもむしろ、「同じ信念を持つ人たち」の中にいたいですよね。

闘い続けフィールドにい続けること自体が、僕にとっては楽しくて心地良いですし、側(はた)から見られることで、

まだ闘っているんだ?!

と思われるようになります。

するとその姿が、他の人にも影響を与えるようになります。

ダンスに限らず、「闘う姿勢」をマネしてくれる人が現れてくるのです。

生きていく上で、近い考え方の人たちが周りに増えていくことは、人生を豊かにします。

分野が違っても、切磋琢磨できる「仲間/同志」だからですね。

すると自分の成長にも磨きがかかりますし、みんなで生活を豊かにしていくことができます。

そのためにも、まずは自分が闘志を燃やし続け、闘い続ける戦士であること。

これからも鍛え続けていきましょう。

自分の闘志を燃やし続けることが、結果的に周りに人を集めて自分のためになる。そんな同志を増やして、人生をより豊かにしていこう。

おわりに

「鍛えること」に関して、様々な角度から記事を書いてきましたが、やはり「闘い続ける現役戦士」がカッコいいという結論にいたりました笑。

いろんな考え方がありますが、僕は体が動く間はトレーニングをしていきたいですね。

頑張り続ける人でありたいですし、もっともっと自分を磨いていきたいのです。

周りの人たちも筋トレで体を鍛え始めたり、食生活について聞いてきたりするようになりました。

そうやって切磋琢磨して、より豊かな人生にしていければと思っています。

まずは自分からですね。

それではまた!

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