こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕がダンスや英語をやっていますと、決まって「すごい!」と言われます。
とても嬉しいことではありますが、一方でふと疑問に思うこともあります。
実はこれは誰にでも起こりうることであり、自分が好きで続けてきたことが、意外にも「他の人にはすごく映る」というものです。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、「好き」についての名言やことわざはとても多いです。
今日は「好きを貫いていくこと」の大切さについて書いていきます。
好きなものなら続くし、強くなる。
とことん「好き」を求め続けることはとても楽しいだけでなく、必ずと言っていいほど続きます。
僕の場合は英語の先生であり、ダンスも好きですから、それはもう楽しくてどちらも10年以上は続けています。
みなさんの中にも「好き」で仕方ないものが、きっとあるはずです。
それらを魅力的なものにするには、とにかく徹底的に磨くことが大切だと思っています。
- ダンスを始めた頃は、当たり前のことですが見せられたものではありませんでしたし、
- 英語を学び始めて数年経っても、全くと言っていいほどしゃべることはできませんでした。
でも、その時に思い描いていた理想は、
「いつどこであっても、人前で見せられるスキルにしたい」
という想いでした。
- ダンスなら「踊って」と言われたら最高のパフォーマンスを。
- 英語なら「しゃべって」と言われたら最高のスピーキングを。
と思っていました。
どちらも始めた当初はお世辞にも「うまい」とは言えず、周りから言われる「すごい!」という声かけは、それこそ本当に「お世辞」だと思っていました。
ただ、そこに打ち込む姿が輝いていたことは間違いなかったと思います。
周りの友人たちも、その姿に対して「すごい」と思っていたのでしょう。
しかし当の本人は「もっとうまい人たち」を知っていますので、
と思っていました笑。
そうして続けていますと、当然ながらスキルも上がってきますし、またさらに続ける姿に「すごい!」と思う人も出てきます。
今の僕のダンスや英語のスキルは、10年以上にも渡って培ったものです。(レベルはさておき…)
みなさんにも、ずっと続けているものはあるでしょうか。
そうですね。
必ず何かしら続けているものがあると思います。
野球?サッカー?将棋?ピアノ?ゲーム?
それは僕からすれば、太刀打ちできないほど魅力的に見えるものです。
ただし、何ヶ月も何年も磨いてきたものである必要があります。
徹底的にスキルを磨いたものは、どう転んだって魅力的でしかありませんからね。
今も続けているものであれば、なおさらです。
そのまま大切にしていきましょう。
好きは仕事になるのか?
以前、YouTuberのキャッチコピーで、
好きなことで、生きていく。
というものがありました。
当時の僕の思考は単純で、
というマインドでした笑。
でも今ならはっきりと「好きなことで生きていくこと」のほうが、人として正しい生き方なのだなと感じています。
人生は一度しかないと、強く感じているからです。
と言われますと、たしかにその通りだとも思っています。
ただ、
- 身体的/精神的に苦しいこと
- 楽しむ中で試行錯誤すること
この2つは全く違います。
「お金の大学」という書籍を出しているリベラルアーツ大学の両学長も、
- 仕事が好きすぎて没頭したり
- 「どうしたらよくなるだろうか?」と苦しい場面に直面したり
することは、スポーツやゲームに近いものだと言っています。
つまり仕事も後者のほうであるべきだということです。
スポーツやゲームの真骨頂は、
- 勝ったり
- うまくなったり
することです。
であるならば、「好き」であるだけでは不十分です。
YouTuberも動画編集やスタッフチームの編成、外注するなど仕事にしていくと大変なことはたくさんあります。
しかしそれがまた、「楽しさ」や「やりがい」になったりするものです。
以前に読んだ八木仁平さんの『「やりたいこと」の見つけ方』では、同じようなことが書かれていました。
「好き」だけではなく「強み/得意」など、仕事をしていく上では様々な領域があるというものです。
それらをうまく掛け合わせて、自分の「やりたいこと」を見つけていくのだそうです。
つまり「英語やダンスが好きであるだけ」では、なかなか食っていけません。
そこにある程度のスキルや、ちょっとした掛け算が必要になってくるわけですね。
「好き」なことを続けていくことは土台として間違ってはいませんが、ただの趣味である限りは、どんなにその分野でスキルフルな人でも、仕事にはならないことがあります。
せっかくなら、好きなことを少しズラしてでも仕事にしたいですよね。
それなら、
と考える必要があります。
その話をすると深くなってしまいますので笑、まずは自分の「好き」を貫くことを今日のテーマにしておきます。
- キライな働き方
- 何かが違うと感じる場所
で仕事をすることは、スポーツやゲームのようなワクワク感を感じることができませんからね。
「好き」は本心にダイレクトに響きますし、仕事や仕事に近いものとして据え置いてもムダにはならないのです。
情熱を持って続けていることは、人の胸を打つ
僕は今でも、
- 好きで仕方のないこと
- 自分が情熱を持てること
これらを続けていることを誇りに思っていますし、これからも続けていこうと思っています。
このブログもそうですね。
先ほどは「趣味に留めないこと」とお伝えしましたが、別にそれが正解だとも思っていません。
情熱を持って愛を注いでいることは、必ず人の目を引き胸を打つからです。
僕の「好きなこと」を通して、
- すでに同じ「好きなこと」をしている人
- これから僕の「好きなこと」を始めようとしている人
にリーチすることもできます。
また「全くその分野に興味のない人」からも、その熱意や努力に拍手が送られます。
つまり結局は、いろんな人を巻き込むことができてしまうのです。
「続けること」は平凡で退屈、浮き沈みのない単調なものに見えるかもしれません。
それは、
- 熱意もなく
- 好きでもないもの
に限ります。
そこに「好き」や「情熱」を加えれば、趣味だろうが仕事だろうが続けていけますし、何らかの形で熱意が伝播し、激しい波となります。
だから僕は(暴論かもしれませんが)、
と思っています。
「ずっと」と言うのは、何ヶ月も、何年もという意味です。
それだけ続けたものは必ず誰かに届きますし、自分の人生そのもの、人生の名刺になり得るからです。
好きなものであれば、きっと続けることができるでしょう。
それがそっくりそのまま、みなさんを映し出す鏡となり、他に影響を与えていくと信じています。
おわりに
好きなことは人それぞれであるのにも関わらず、「お金や仕事にしよう」と考え始めると、需要が大きいゾーンを考えてしまいます。
個人的な意見ではありますが、僕はあまり数にこだわる必要はないと思っています。
結局は、
「人の胸を打つほどの、情熱を注げているかどうか」
が大切だと思うからです。
僕は若い頃こそ何でもできる「ジェネラリスト」を目指していたものでしたが、もうできないことは切り捨てるようになりました。
- 続かない
- 合っていない
ものは、何をしたって無理だからです。
そう言う意味では、僕は好きなことしかしていない人生なのかもしれません。
これからは「仕事として」その土台を作り上げていかなければなりませんが、それもまた楽しみのうちの1つです。
ずーっと、何年もやってきたものはいくつかあります。
それらをどう使って人のために事を成すのか。
たくさん考えていく必要がありそうですね。
それではまた!
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