30代が後悔から始めた習慣の数々【やり切る力の源泉とは?】

幸せ

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

教員をしていますと、

「あともうちょっと頑張ればいいのに…」

と思ってしまうような生徒を見かけます。

日々全力で生きている僕からすれば、「頑張りきれない生徒」はあまり良い印象を持ちません。

ただ、その頑張り切る・やり切るというマインドを、僕も最初から持ち合わせていたわけではありませんでした。

僕が経験した「怠惰な過去」から、変わっていった現在を見ていきましょう。

学生時代の代償(勉強)

僕は勉強が大好きな生徒でしたが、受験時代は意外にも頑張りきれない人間でした。

超有名大学を目指して勉強していたものの、ガリガリしっかりと勉強していたのは高校2年生まででした。

その時は確かにピークでした。

校内でトップだったと思います。

しかし受験が迫るとともに、

  • 学校の勉強をおろそかにし、
  • 数学や理科など難しい参考書を買うことに満足しては、

なかなか集中して勉強することができませんでした。

あろうことか、他人の模試の点数や志望校を意識し始め、全くと言っていいほど勉強が手につかなくなってしまい、あえなく浪人生活を送る羽目になりました。

この経験から、僕が受験生たちに最初の授業で伝えることがあります。

それは、他人の目を気にしないことです。

当時は思春期ということもあって、他人の目が気になっていました。

しかしそれが「もったいない時間である」と、生徒に伝えたいのです。

浪人した後はなんとか頑張りましたが、高校2年生の時ほどの爆発力はありませんでした。

人の目を気にして身を滅ぼすことは、どの人にもあります。

自分に集中していきましょう。

人の目を気にし始めると集中できなくなる。まずは自分の目の前のことに集中だ。

学生時代の代償(部活)

中学校の時の部活動は器械体操部で、高校も少人数ながら、継続して器械体操を続けていました。

中学校時代は素晴らしい先輩方に囲まれていたのにもかかわらず、勉強のほうに力を入れていたこともあって、真剣に練習することができませんでした

楽しかったですが、半分ふざけていました。

  • 「そもそも基礎から徹底的に練習するって何?」
  • 「小さな頃から始めた子たちには勝てない」
  • 「173㎝は体操選手として大きい」

と、「一所懸命頑張ること」から逃げていました。

他校の友人が高校から体操を始めたのに、しっかりと追い抜かれて恥ずかしい思いもしました。

何より、頑張りきれない自分に腹立たしさがこみ上げてきました。

なかなか技がうまくいかなかったことも重なり、しまいには肩を痛めて引退することとなりました。

言い訳ばかりを並べて一所懸命頑張れなかった時代はなかっただろうか。それは自分の弱さゆえだ。あとは変わるしかない。

転換期(ダンス)

考え方が変わったのは、大学時代でした。

  • 浪人するわ
  • 部活は中途半端だわ

で終わった高校時代。

そしてアキレス腱を断裂してからの大学への入学。泣きっ面に蜂、七転八倒。

しかしその期間はずっと、

「アキレス腱が完治した時に、120%やり切れるもの/燃え尽きることができるものを見つけよう」

と思って過ごしていました。

まさに高校時代の後悔が生んだ「執念」でした。

そして出会ったのがブレイクダンスでした。

当時はアクロバットも好きでしたし、

「何か音楽に合わせてできるかっこいいダンスはないか?」

と探していましたので、まさに「これだ!」と思いました。

今思えば、体操もしっかりと基本を押さえて練習できたはずですが、特に研究もせずにダラダラと練習していました。

ブレイクダンスを始めた時は、

毎日のように練習して絶対にうまくなってやる

と誓いました。

体操で燃え尽きることができなかった反動でした。

  • 基礎は先輩から学び、
  • 上手い人からワザも盗み、
  • 当時スマホが普及し始めたこともあって、動画をスロー再生して学んだりコピーしたり

と、できる限りのことをするようになりました。

体操部時代とは大違いです。

練習も激しさを極めました。

  1. 夕方の4時からサークル活動場所へと顔を出した後、
  2. 夜の11時まで練習し、
  3. その後最寄駅に移動して練習。
  4. さらに朝の始発まで練習

といった12時間練習はザラでした。

思い返せば量より質のほうが大切ではありますが、とにかく中高時代の自分を払拭したい当時の自分に打ち勝ちたいという、並々ならぬ気持ちで4年間やり切りました。

初心者にしては、本当にうまくなったと思います。

当時はダンスはチャラチャラしているイメージもあったのですが、あまりにも僕が黙々と真剣に練習するものですから、徐々に周りの人たちも支持してくれるようになりました。

ショーケースがあろうものならば、「見に行くね!」と声をかけてくれるまでになりました。

強い(あるいは強くなっていく)部活やチームを応援したいと思うのが、応援している人の純粋な気持ちですから、上手い人の演技を見たいと思うのも世の常です。

この感覚もまた、初めての手応えでした。

そう思われるまでに成長した自分は、頑張りきれなかった中高時代の自分を大きく追い越し、生涯を通してやり抜きたいと思えるものに出会うことができました。

「中高時代の後悔した経験が、エネルギー源になっている」

と断言できます。

あの時の自分を思い返し、悔しい思いを噛み締めながら頑張った4年間に、悔いはありませんでした。

そして今もダンスを続けて、はや13年が経とうとしています。

あの時よりうまくなっているのですから、人の成長は青天井ですね。

人生で悔しかったことはないか。その気持ちを燃料に、頑張ってみよう。必死でやれば、周りは自ずとついてくる。

転換期(英語)

これも大学時代の経験です。

「勉強の化身」とさえ言われた僕ですが、出鼻をくじかれたのは大学の友人たちのおかげでした笑。

今でも尊敬してやまない友人たちなのですが、英語力が高いことこの上なかったのです。

“I like tennis.” ー “Really? I like tennis, too.”

これくらいが僕の限界でした笑。

本当に悔しくて、

見返せるようになるくらい英語のスピーキングを勉強しよう

と、ひとり胸に誓いました。

そして英語もままならないまま、英語オンリーの合宿(ITC)に参加することを決断。

これが今の僕の全てを形成してくれたと言っても良いでしょう。

大学受験というハードな勉強時間を終えた僕は、「これ以上勉強することはない」と思っていた一方で、どこかで受験のやりきれなかった想いを消化できたらいいなと思っていました。

その思いがあったからこそ、また基本から丁寧にやり直すことができました。

“r”と”l”の発音を使い分けている友人を真似することから始めて、

「どうしたらスピーキングがうまくなるのだろうか?」

と研究して、勉強し始めました。

帰国子女ではない「純ジャパ」でしたので、英語がうまい人たちの感覚が全くと言っていいほどわかりませんでした。

しかし、やるしかありません。

  • 単語帳は「DUO3.0」や「でる順パス単1級」
  • 音声教材はシャドーイング用に門田修平さんの本
  • すぐに言葉を発せられるように「瞬間英作文シャッフルトレーニング」を購入
  • Podcastを聞く
  • 友人が進めてくれた、海外のニュース番組のYouTube動画を見る

など、あらゆる教材を、手当たり次第に試して勉強しました。

受験勉強のようなペーパーでの勉強とは大きく異なっていたため、なかなか最適解が分かっていなかったため、手探り状態でした。

また実践での英語だけに完全シフトはせず、論文や読解なども粘り強く続けていました。

浪人した時の「中途半端な勉強をしていた自分」を見返すために、一所懸命できたのだと断言できます。

何も「自慢」や「頑張った証」を見せたいわけではありません。

とにかくガムシャラに勉強して、過去の自分と決別したかったのです。

もうあんな後悔は、二度としたくない。

この思いだけが、僕を前へ前へと押し続けてくれたと思っています。

もちろん、英語は今でも勉強中です。

まだまだ未熟者ですが、日々勉強と練習ですね。

過去の自分を否定する必要はない。もっともっと前に進むための、活力にすればいいのだ。

頑張りきれない人は悪か?

結論から言いますと、そんな人であっても全く問題はないと思っています。

むしろ、

  • 学生時代から
  • 若い頃から

「頑張ること」を経験している人たちは、すごいと思っています。

僕は若い時はイキっていましたし、「一所懸命頑張る」ということの意味を履き違えていました。

そもそも「頑張るとはなんなのか?」を、理解できていなかったのです。

その頑張りきれなかった後悔が勉強部活でした。

後悔があったからこそ、昔の自分の何倍も「基本に忠実」で、何倍も「努力できている」今の自分がいます。

だから今頑張りきれていないのであれば、また人生のどこかで本気になって頑張ればいいだけなのです。

人生は長いのですから。

失敗や後悔を繰り返して行く中で成長できれば、確実に良い方向にへと人生は進んでいきます。

もちろん大切なのは、過去の自分を超えていくことでもあります。

続けるだけでなく、成長もしていきましょう。

人には頑張りきれない時がある。そんな自分を客観視できたら、起爆剤にしてしまおう。いつだってやり直すチャンスはあるのだ。

おわりに

頑張りきれない、投げ出してしまう生徒を見て、怒ったりケツを叩いたりしても、あまり効果はないと思っています。

自分の人生にしっかりと向き合い、自分の目指すゴールに気付けるのは、最終的には自分しかいません

僕が先生としてできることは、過去の自分のような生き方を見せないということだけです。

今の僕の「頑張る姿」を見て、良し悪しを判断するのは生徒ですが、僕はとにかく頑張り続けていかなければなりません。

古臭いかもしれませんが、

「基本からしっかりと、着実に勉強と練習を重ねていくことが大切だ

ということを、生徒に伝えていきたいのです。

僕もまだまだ未熟な30代です。

これからも「成長がとどまることを知らない30代」として挑戦し続け、後悔のない人生を歩んでいきたいと思います。

それではまた!

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