こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
いよいよ2つ目のホスティルを出発することになり、前日の夜にまた数人からコメントを書いてもらいました。
このハチマキは(こう見えてハチマキです笑)、日本の友人たちが僕にくれたものです。
そうだったそうだった。
それを忘れまいと、ホスティルのみんなに書いてもらったとき、正直泣きそうになったことはウソではありません笑。
ただただ数日を一緒に過ごしただけなのに、なぜこうも感極まってしまうのか。
今日は「それぞれの時間」について書いていきます。
それぞれの世界が進んでいること
海外に来て1番最初に思ったこと。
それは、
「それぞれの時間がちゃんと進んでいること」
でした。
と思う人もいるかもしれません。
こうして日本を離れても、今なお日本で頑張っている人たちがいて、僕は僕でこうして世界のどこかを放浪している。
一見すると当たり前のことのようですが、僕は世界に出るまでその事実が全くわかっていませんでした。
いえ、頭ではわかっていたのかもしれません。
ただ、経験を持っていなかったからなのか、ちゃんと実体を伴っていなかったのでした。
韓国に降りたって、
- 韓国語表記を見て
- 韓国語でしゃべっている人たちを見て
初めて、
と思ったのです。
実体を伴っていなかった時は、「世界は止まっている」という感覚がありました。
不思議に思うかもしれませんが、「目で見たことのないもの」には、思いを寄せることができていなかったのです。
何度でも言いますが、これは日本においても同じでした。
行ったこともない場所に行けば、
と思いましたし、
と感じたことすらありました笑。
しかし、
- 自分が行って
- 自分の目で見た
瞬間に、他人事ではなくなりましたね。
そう思えた瞬間でした。
僕が一番衝撃受けた瞬間は「この事実があった」ということよりも、「そこに気づいた自分」を見た瞬間でしたね。
別れてもそれぞれが進んでいるということ
そして、こうしてホスティルで会った面々と、
- ご飯に行ったり
- クラブに行ったり
- たくさん話したり
しますと、よりその人の国のことを知りたいと思うようになります。
今まで勉強はしてきた方ですが、全くと言っていいほど、世界の事情や文化を把握していなかった自分がいたことに気づかされました。
彼らと会って話せば話すほど、彼らのことが好きになりますし、僕も彼らも、
「お互いが人を求めている」
ということが直観でわかりました。
一緒に過ごした時間がいかに短くても、その濃度が濃ければ濃いほど、別れはツラいものとなります。
去年の2022年に僕は、
「いかに濃い時間を友人たちと過ごすか」
について知ることになりました。
今回の旅はもっともっと短い時間であり、相部屋になって少し話したら、もう次の日にはいないということもあるように、それぞれが「自分のペース」で歩んでいました。
僕らは会っては別れてを繰り返す存在かもしれませんが、世界そのものが止まることのないように、僕らも「それぞれの時間軸」で動いています。
その事実を忘れないようにしておきますと、
- 日本で頑張っている仲間たち
- 僕が出会ったパックパッカーたち
に思いを寄せることができるようになります。
その出会いは眩しく輝く一瞬であり、その後は僕も彼らも「それぞれがそれぞれの道」を歩んでいきます。
そう考えれば「別れ」は1つのスタートですし、また僕は僕の道を歩いていけば良いだけなのです。
偶然が偶然を呼び、こうして出会った人たち。
そこには特別な感情もなければ、難しく考える内容もありません。
ただ、僕らは出会い別れ、それぞれの道を進んでいくこと。
この事実に気づけたのもまた、僕が世界の旅を始めたからであり、同じように世界を旅する人たちと出会うことができたからでしたね。
だからこそ自分が一所懸命頑張ること
僕が海外に出る時に決めていたことがあります。
それは、
- 去年の自分よりも頑張り
- 今年誰よりも頑張ること
でした。
だなんてカッコつけて言っていますが笑、それも半分ありますけど、何より「別れ」を経験したから、このような思いが出たのだと思います。
別れた後に、いかに自分が成長することができるのか。
僕が一体何を学んで帰ってくるのか。
この旅は僕にとって、「ただの休暇」ではありません。
かといって「自分探しの旅」でもありません。
ただ毎日を精一杯生きて、
- 自分にも
- 仲間たちにも
誇れる1年にしたいと思っただけです。
そして何より、世界を回っているバックパッカーたちと別れたからこそ、僕も僕の人生を精一杯生きていかなければいけないと思ったのです。
それぞれがそれぞれの道を歩んでいるのであれば、僕だって僕の道を一所懸命歩かないわけにはいきません。
- 日本の人々との別れ
- バックパッカーたちとの別れ
これらがあったからこそ、今の僕は前に進めるのです。
毎回来る別れは寂しくもありますが、その別れはより一層視野を広くし、世界に「また会いたい」と思える友人たちを作るきっかけとなりました。
ずっと狭い世界で生きていた僕だからこそ、この感覚が新鮮であり、それゆえに別れがツラいものでしたが、
そう思えたのは、別れがあったからに他なりません。
僕には僕の道が、前に続いています。
その道を一歩一歩踏みしめて行くことが、今の僕にできる最大限のことなのです。
おわりに
- 世界に出る時
- 世界に出た後
まさかその両方で「別れ」を経験するとは思ってもみませんでした。
でもどこに行っても、「人は人」であるという事実は変わることがなく、みな愛にあふれ、自国の文化から世界の文化まで、幅広く感じているようです。
僕もいつか、彼らのようにいろんな場所を知り、各国について語ることができたらいいなと思っています。
それではまた!
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