何気ない朝ごはんを美味しく感じた理由【普通の生活とは?】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

海外に出てから、「食」については数回記事を書きました。

ヨーロッパに来てから、宿泊費に加えて朝食付きというまるで天国のような生活に、

あれ?朝食がなぜこんなにありがたく感じるんだ?

と、ふと思いました。

海外でも日本でやってきたことと同じように、「切り詰めた生活」を心がけている僕ですが、だからこそ朝ご飯や宿の「ありがたさ(=有り難さ)」が身に沁みています。

今日は、なかなか体験することのできない「有り難さ」について書いていきます。

海外を旅していると、今までの生活が「有り難かった」と思うようになる。それくらい、今までの生活は当たり前ではないのだ。

旅人に優しい人々

僕は去年の2022年の11月に、フルマラソンを走っています。

走ってからわかったことですが、沿道で応援してくれる人には本当に感動するものです。

僕もフルマラソンの大会があったら、沿道で応援する側になりたい

自分が走ったからこそ、その辛さやしんどさがわかりましたし、もし「フルマラソンを走る」という人がいれば、全力で応援してあげたいとも感じました。

実は「旅」もマラソンに似ており、長く続けるには、

  • 根気
  • 忍耐力

と言った、肉体的な面だけでなく「精神的な面」も必要となります。

これも旅を始めてからわかったことでした。

そうしますと、宿の人たちは(人にもよりますが)みな、僕ら旅人のことを労ってくれます。

日本?遠いところからようこそ!

日本のサービスがすごいことは言うまでもありませんが、どこの国に行ったとしても変わりはなくて、宿に着いた時に受付で笑顔で迎えてくれます。

僕も旅を続けていく中で、

もし僕がホステルを経営していたら、思いっきりサービスをしてあげたい

そう思うようになりました。

それくらい、旅を続けることとは過酷なものであり、想像以上に疲れるものでした。

彼らが旅人に優しいのは、きっとそうした「旅人のツラさ」を知っているからだと思っています。

今は「やってみてから初めてわかること」ばかりです。

こうして人の気持ちがわかるようになるんだ…

今までの僕は「ぬるま湯」に浸かっていました。

人の痛みを知ることができるのは、その痛みを知った人のみ。

なるほど。

今までの生活がいかに「有り難かったのか」を痛感しましたね。

宿の人々が旅人に優しいのは、その過酷さを知っているからだ。自分もそうなれるよう、もっと経験を積んでいきたいと感じたのだ。

朝食が出た時に感動した理由

フランスやスペイン、モロッコなどで、何かと「朝食の付いたホステル」に泊まった僕は、その都度できる限り食べるようにしました。

それくらい、旅の途中では「節制/摂生」をしていたからです。

そこで感じたのは、

なんてご飯が美味しいのだろう?

ということでした。

日本では「なんでも手に入る」という豊かさゆえに、あえて節制をしていましたが、こちらでは「手に入らないことが基本」ですので、節制せざるを得ないと言うのが本音です。

なるほど、だからこんなに美味しく感じるのか

と、日本でも普段から節制していたがゆえに、サウナ後のご飯が美味しかったものでした。

こちら海外でも、途中から「食」を見直してからというもの、炭水化物をあまり摂らないようになりました。

それから食べる朝食のパンやコーヒーが、また格別に美味しいのです笑。

どんなに軽食であっても、

こ、こんなにいただいていいんですか?!

と思うくらい、感謝することができるようになりました。

「日本でしてきた節制」とはまた違うような感覚であり、「朝ごはんに感謝する」とは、今まででは到底できないことでした。

人は本当にしんどい時こそ、自分の人生について見つめ直したり、今までの生活がいかに有り難かったのかを痛感します。

まさに僕は今、「感謝の塊」そのものです笑。

  • ご飯
  • シャワー
  • 寝る場所

そして何より、そこに「人がいる」という有り難いこと。

ホステルや宿を経営してくれる人がいるからこそ、旅が成り立っていることを、僕は忘れてはいけませんよね。

旅がどうにかなっているのは、世界各地にそうした「旅人への思い」を持っている人がいるからこそ。

ご飯1つを通してもいろんな気持ちが込み上げる、そんな旅となっています。

旅の中で食べるご飯は格別だ。豪華なものでなくても、それが提供されるという有り難さに感動を覚えるのだ。

人に優しくなれる旅

今までの僕は、決して「冷酷な人間」ではないと思っていました。

しかし「朝食」の体験を通しただけでも、その有り難さに感動したように、日本でいかに当たり前のようにサービスを受けていたのかを、身を持って知りました。

世界と比べて、もっと貧困を知れ

とか、

これだから日本人はわかっていないのだ

とか、そう言うつもりはありません。

知らなければ知らないでもいいですし、海外の全ての事情を知ることは不可能だからです。

一方で、知ったことによって今までの生活を見直すということは、今の僕にとって貴重な体験となりました。

  • 十分な資産
  • 最高級のサービス
  • 何不自由ないインフラ

日本でこれらを体験したのは、決して僕自身の力だけではありませんでした。

多くの人に助けられきたからこそ、今の自分がいる

ここに気づけたのは、コロナや離婚、去年多くの人と出会ったからでした。

だからこそ僕は「与えよう」と思い、去年は奮闘しましたが、さらに海外に来たことでまた違った「有り難さ」に気づくようになりました。

日本とは確かに違うことばかりであり、

  • 言語
  • 文化
  • 衛生
  • 考え方
  • サービス

何もかもが僕の常識を覆してきました。

でも変わらなかったのは、

  • 国の美しさ
  • 人の優しさ

でした。

日本にももちろん「それら」があって、だからこそ僕は日本が大好きで仕方ありません。

しかしだからと言って、

海外にはいいものがないのか?

と言えば、全くもってそんなことはありませんでした。

その国にはその国の美しさがあり、そこに生活している人の温かさや優しさで溢れていました。

逆に言えば「今までの34年間」でも、日本でその有り難い恩恵を受けてきたと言えます。

海外に出てから見る日本は違って見えてくる

海外に出る前に多くの人から言われた言葉でした。

少しずつですが、その意味がわかるようになってきています。

ツラいこともありますし、イライラすることだってあります。

それでも優しい人はいますし、全力で力になってくれる人もいます。

小さなことですが、その「有り難い温かさ」に気づけたことで、僕は今まで以上に人に優しくなれるのだろうと思っています。

  • 人に会うたびに
  • 宿に泊まるたびに
  • 朝食を食べるたびに

感謝を忘れないこと。

今での生活を振り返りつつも、これからも一歩一歩しっかりと感じながら、旅を続けていきたいと思っています。

旅を通して、改めて人の優しさを感じている。だから僕は今後、もっと人に優しくなれる。そう信じている。

おわりに

朝食にこんなに感動したことはありませんでした。

学生時代は母に作ってもらっていましたし、一人暮らしの最中もオートミールを置いておいてただレンチンして食べていました。

そのどれもが、いかに有り難かったのかを実感する日々です。

「旅をすればわかること」ではなく、旅の中でも気づこうとしない限り気付けないことなのです。

1つ1つのサービスや人との会話にアンテナを張って、1つ1つを噛み締めていくこと。

このブログが、そんな僕の想いで溢れていったら幸いです。

まだまだ旅は続きます。

感謝を忘れずにいきましょう。

それではまた!

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