こんにちは。
先日、メンタリストであるDaiGoさんの母校の話が話題となりました。
いつも楽しく見させていただいていた分、衝撃を受けましたし自分の教師としての在り方を改めて考えさせられました。
こういうトレンドには乗りたくないというあまのじゃくなすずきですが、この気持ちが熱いうちにブログに書いてしまおうと思い、筆をとりました。
よく言いますよね。
「鉄は熱いうちに打て、メシは熱いうちに食え」と。
僕もこう見えて校則についてはたくさん悩み、考え抜いてきた一教員です。
DaiGoさんの話題を話のスタートとして、整理しながら校則についての考えをお伝えしようと思います。
ことの発端
これはDaiGoさん自身が話している動画を見るほうが、誤解がないと思います。
あえて説明するのであれば、DaiGoさんはご自身の髪に「天然パーマ」を持っており、それを学生時代にある教員に注意され泣く泣くストパーをかけたら、今度は色が明るくなってしまったために黒染めを強制される、という理不尽極まりない話でした。
その後もその教師は手のひらを返して、有名人となったDaiGoさんに近づいたそうです。
教師の実名は動画上では出ていませんでした。
後日、その「理不尽な教員」に対する気持ちを表した動画に対して、DaiGoさんの母校の元担任教師からは、
「動画で実名を言ったそうだな。不適切だ。残念だ」
という旨のメールが送られ、事実確認もないまま動画の削除依頼が来たというものです。
これに対してDaiGoさんは上記の2名の教師にガッカリし、かつ母校の体質にもひどく残念がっていました。
ことのてん末はこのような感じですが、あくまで僕が動画を見てまとめたものですので、お間違いのないように。
校則とは
学生のみなさんはいまだに納得できない校則があるでしょうし、大人になった僕ら世代も理不尽極まりない経験をしてきたかと思います。
すずきは「坊主にメガネのガリ勉野郎」だったので、見てくれで校則に触れることはありませんでした。
ただただ教員に「もの足りなさ」を感じていましたので、
「俺が先生になったほうが、絶対にもっと学校を楽しくできる」
と思って教師になりました。(教師になった理由は複数ありますが、なんとも若さあふれる考え方です笑)
ゆえに反骨精神があったというか「先生なんてクソ喰らえ!」とすら思っていました笑。
これが今となって「教師」という職をやっているんだから、世の中何が起こるかわからないものですね。
校則には様々あって、結論から言えば学校や教師にゆだねられるものとそもそも理解できないものがあると思っています。早速見ていきましょう。
染髪・パーマ
いわゆる「髪を染めること」と「髪にパーマをあてること」です。
現在の学校では今だに禁止されていることがほとんどです。
ただしグローバル化してきたことで、様々な国や地域の見た目や文化が入ってきたことと、地毛がもともと巻いていたり色素が薄かったりすることから、地毛申請なるものを出せばOKという風潮になってきていると思います。
過去に大阪で「地毛が明るいから黒染めしろ」と指導した学校が大炎上したことがありました。
校則としては「わざわざ脱色して見た目を大きく変えるのは禁止だよな」と思いながら、僕は指導にあたっています。
その是非はまた後ほど。
ただ、こんなこともありました。
僕が三者面談をした時に、「地毛申請も出している、髪の毛の色素がもともと明るい」生徒とお母様に質問をしたことがあります。
「地毛申請を出されていますよね…なのにわざわざ黒染めされてくるということは、生徒様本人がみんなと一緒でありたいとか、何か気にしているからですか」
明るさが目立ってくるたびに、定期的に黒染めしてくる生徒がいたので、ふと聞いたのでした。
「なにか事情があるのかな?」「気にしてわざわざ黒染めしてるのかな?」と疑問に思っていたからです。
すると驚いたことに、前の担任からどの程度の強要だったのかはわかりませんが「黒染めしてきなさい」と言われたのだ、と話し始めるではありませんか。
「だからね、地毛申請してるのに意味ないじゃないか、お金もかかってるんです。どうしてくれるんですか?」と、結果的に僕がお叱りを頂戴することとなりました。
本人が気にしているのであれば、むしろ黒染めするのはいいのかなって思っていたのですが、「そんなことは気にしていない」と言われたのでおっとこれはまずいぞと思いました。
早急に謝罪して「次回以降はわざわざ黒染めしなくていいですから」ということをお伝えし、「他の先生に言われたら『すずきがイイって言ってた』と言いなさい」とお伝えしました。
だってそのために学校が地毛の申請を頼んでいるのですから。
実はこの染髪の件は、2件目だったのです。
つまり少なくとも2人の教師が、黒染めを強要してしまっていたのです。
1件目の生徒の保護者とは、結果2時間くらい電話をしました。(以上の件は管理職にも判断してもらっています)
そういう本人のありのままのものを否定するのってどうなのだろうか、と教師の僕ですら思うのですから、まだまだそういう考え方の人がいるのは間違いありませんね。
化粧・ピアス・カラコン
いわゆる「メイク」や「装飾品」です。
これも禁止されている学校がほとんどです。
化粧している生徒はよく街中で見かけることもありますので、世間的には緩くなってきたのかなと思います。
なかなかに謎なルールだよなと思いますよね笑。
ただ、僕はちょっと微妙な争点だなと思っています。
例として「社会人になるとメイクをしないほうが失礼なのだから、高校生から練習させてやるべきだ」という意見を耳にすることがあります。
高校生からメイクをしたりピアスの穴開けたりするのは、校則に引っかからなければ(あるいは校則が緩くなってしまえば)僕も賛成です。
しかし社会人はメイクをしないほうが失礼という言葉には、引っかかりを覚えます。
もちろん世の多くの女性たちはメイクという「美貌を最大限に引き出す技術」を磨いてくださり、僕の目を引いてくださるだけで存在が尊いわけなのですが、社会人でメイクを強要するのもまた逆に、変な社会的な校則(拘束)なんじゃないかなとも思います。
僕は中高生でメイクを禁止するのは謎の校則だと思っていますし、興味のある人はやればいいと思います。
ただし「社会人でどうせメイクするのが礼儀になるのだから」という言葉には、気をつけたほうがいいと思います。
いずれにせよ現代は男性も女性も多くの人が化粧をしますから、この校則は変わっていくのかなとは思っています。
校則は「あってないようなもの」
ざっと書いてきましたが、他にも「スカートの丈」やら「髪の毛の長さ」やら、いろいろとあるようです。
実は校則というもの自体は、かなりグレーなものであるという気質を持ち合わせています。
それはなぜかと言いますと、実情は先生たちの裁量によることが多く、先ほどの例でも分かる通り、ルールよりも個人のものさしで物事を測ってしまうことが多いからです。
個々人の先生方が「暴走」した場合、大事になれば管理職行きですが、小事(こごと)だと生徒が我慢を強いられることがあります。
逆も然りで、強く言えない先生や「そもそも校則なんていいから。化粧もピアスも自分は指導しない」と決めている先生もいて、生徒が逃げ得をしているパターンなんかも見受けられます。
誰が正解ということはなく、いずれにせよ一貫性がないためシステムが破綻していることは、非常に残念ですが間違いありません。
もちろん「一貫した厳しい校則」あるいは「自由な校風」を謳っている学校も数多く存在します。
一方で、その場その場でマニュアルやルールに沿って動けないことも多いのが実情です。
しかしこれが校則の良い部分でもあります。
ほどよく柔軟だからこそ教師と生徒間で「線の引き合い」があり、各生徒の実情に合わせて教員たちも指導を行なうことができるからです。
結局のところ、とても難しいトピックなんですよね。
法律でもないし基本的に罰則があるわけでもない。
そこで調子に乗ってしまう生徒もいますので、それを指導する教員の大変さも知っていただきたいところですね。
校則は必要か
僕は以前に校則とは果たして必要なのかと調べた時期があります。
すでに「ザ・自由」みたいな学校もあるのですが、僕はある程度必要なのかなと思っています。
極端ですが、荒れている学校を立て直して行くときは「厳しい校則」が必要だと思います。
一方いわゆる「普通の学校」でも自由を謳わないのであれば、校則は必要かなと。(ちなみに桜丘中学校という学校は校則がありません)
それはなぜかと言いますと、染髪による金髪や茶髪、ピアスや化粧などを怖いと思う人・それらに抵抗がある人も一定数いるからです。
僕自身はなんとも思いませんし、それ自体を否定するつもりはありません。
ただ、入学を考えている生徒自身が感じてしまうこともあれば、皮肉なことに保護者が感じてしまうこともあります。
名が通っている学校ならまだしも、そうでもない学校が自由を掲げて、
「金髪茶髪の染髪、ピアスにメイク、私服OKだよ」
としたとしましたら、みなさんはどう思うでしょうか。
あるいは親の立場として、その学校をどのように捉えるでしょうか。
「自由が許されていてのびのびできる学校だな」「全く校則がないココにしよう」と思うでしょうか。
その学校に実績があり、安心安全が保証されているのであれば良しとするでしょう。
しかし「ここには入りたくない」「入れたくない」と、どこか一歩踏みとどまってしまう自分もいるのではないでしょうか。
「自由がいい」と叫ぶ一方で、街で見かける人の外見や服装、髪色や印象に良し悪しをつけてしまっているのが私たちです。
他にも「入学前に校則は確認している」「入ってから駄々をこねて意見するのも、それはそれでどうなんだろう」と思うこともあります。
一般的な意見として「そもそも校則は必要なのか」と問うことは良いことですが、校則ありきで入った学校に対して声を荒らげるのは違います。
さらに皆さんは染髪や化粧、装飾品に多少なりともの許容はあっても、その程度は皆さんの中でも曖昧かつ個人的なものに過ぎません。
「あの格好は派手すぎるだろ」「その校則は厳しすぎるだろ」とそれぞれの思うレベルが違うはずです。
話を極端にすればするほど、いくらでも「許容の振り幅」は大きくなるのです。
人によって解釈の幅も様々ですからね。
だからこそ先ほどの指導の曖昧さが、意外にも学校の生徒指導では重要になってきます。
ある意味その「曖昧さの線引き」をするために、毎度会議が開かれていると言っても過言ではありません笑。
校則の曖昧さ・柔軟性とは、破綻しているようで実はうまく機能しているという面もあるのですね。
人それぞれ、教師それぞれが思う校則のあり方を協議しながら、時代に合わせて指導をしてゆくのが良いのかもしれませんね。
おわりに
明確な答えはないと思います。今回は僕なりの考えを述べました。
一番お伝えしたいことは、みなさんにも考えて欲しいということです。
- 「自分は髪を染めたいから、校則には反対」と短絡的にとらえない。
- 「自由を得ること」と引き換えに「義務も伴う」ということを知ること。
- 「なぜこの校則があるのだろうか」と多面的に情報を得ること。
もちろん、理不尽極まりない時代錯誤の校則は淘汰されるべきです。
話を校則から戻しまして、今回のDaiGoさんに対する学校側のアクションでやってはいけなかったことは、生徒のアイデンティティ、自然でありのままの体の一部を否定したことです。
僕もびっくりしてしまうのですが、均質化を図ろうとしたり個人的な価値観を押し付けようとしたりする教師がいるということも、悲しいかな事実としてあります。
僕自身も本当に気をつけないといけないことです。
繊細で敏感な10代の子たちの青春を預かっているわけですから、保護者の協力のもとで仕事が成り立っていることを忘れずに、しっかりと協議してお互いの着地点を決めておくべきですね。
校則に関しては様々な意見があっていいですし、時には話し合いや駆け引きも必要です。
ただし旧態依然とした考え方で生徒の存在を否定するようなことだけは、どんな校則であってもやってはいけないことだと思います。
時に曖昧さを利用してしまうこともありますが、生徒がのびのびと安心して過ごせればそれに越したことはありません。
生徒が行き過ぎてしまったら、教師たちが頭を寄せて判断し、そのつど指導すればよいのです。
教師たちも井の中の蛙にとどまらずにどんどん知見を広げ、それこそ社会を多面的に見なければいけませんね。
すずきが一番頑張れ笑。頑張ります。
それではまた!
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