こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕の高校では本日始業式を執り行い、学校がスタートしました。
帰りに同僚の先生(同い年)と一緒に歩くこと15分程度。
そんな短い時間でも、日本の教育について議論する時間をとることができました。
今日もまた、「教育オタク」である僕の教育談義にお付き合いください。
日本の公教育の問題は平等なところ
公教育の最大の弱点は、「社会主義的なところ」にあります。
資本主義である現代の中で、これほど「努力の報われない職」はありません。
若い人や頑張る人は身を削る一方で、味をしめた「ぶらさがりおじさん/おばさん」は、何もしなくても並みの人よりお金がもらえるという状態です。
先に言っておきますが、「公務員=ダメ」と言っているわけではありません。
また、全員が全員そうだといっているわけでもありません。
便宜上、ある程度一般化して言っていますので、ご了承ください。
僕自身が「学校の先生を辞めたい」と思ってしまうように、やはりスピードの遅さから考えると日本の教育は悪い面ばかりが目立ちます。
悪い面というよりは、「変わろうとしない面」が強いような印象を受けます。
その原因は、システムにあると思っています。
一人一人の働く程度が違くても、給料に反映されないところが根本の原因です。
と、優秀な人たちが辞めていってしまうのは、本当によく理解できます。
ただ、それがまた公的に働く人たちの特権でもあり、
- 個人の背景
- 各家庭環境
など、人それぞれ事情は違いますから、全くの「悪」とはいい切れないところが、また根の深い問題でもあります。
でも考えてみれば、
というくらい、極端かもしれませんが「鼻をほじっていても」給料が入ってしまうレベルです。
- 努力しなくてもそこそこ給料がもらえる。
- 授業が適当になっても、まぁまぁやれていればOK。
- 生徒たちの能力が伸びなくても給料には反映されない。
と、教育の根本が腐ってしまう原因が、ここにあると思っています。
以前、
という記事を書いたこともありました。
予備校の先生がいいとは思わないので難しいところですが、まだ彼らのように切磋琢磨している先生や会社であるほうが、生徒にとってもいい環境なのではないかと思ってしまいます。
そうですが、高校はもう義務教育ではありません。
裕福な人ほど良い教育が受けられる。
残酷に聞こえるかもしれませんが、「微妙な教育」を与えたり受けたりできるほうが、よっぽど残酷だと思います。
いい教育や教育者には「適切な報酬」が支払われるべきであり、先生たちも安く買い叩かれてはいけないのです。
怠惰な人に多くのお金を支払い過ぎることもまた、教育のシステムをダメにしてしまいます。
資本主義的な考え方かもしれませんが、いつまでも、
という考え方をしてしまっていては、頑張ろうとしない人であふれ、頑張る人は離れていくのです。
いつか教育現場に人がいなくなる
まだまだ何十年も先の話かもしれませんが、少子化も続く中で「公教育」はこのままだといつかなくなってしまうのではないかとすら思っています。
もちろんそんな極端な事はありえないのですが、
- 現に定員割れしている学校
- 離職率の高い教員という職業
という事実から見てみても、生徒も先生も公教育から離れていっているように思えます。
私立学校の入学金や授業料に対しての補助制度も始まっており、公教育機関が今後どう振る舞っていくのかが問われています。
僕は、もしこのまま公教育機関が変わらないままなのであれば、日本の教育の未来はないと思っています。
あるいは私立や予備校に、とって食われていくことでしょう。(すでに?)
ところで北欧の教育については、目を見張るものがあります。
「北欧の教育が最高だ」というつもりはありませんが、北欧各国では税金が非常に高い分、公教育や福祉にお金が使われています。
北欧では「先生」が「なりたい職業」かつ「なるのが難しい職業」であり、
- 給料
- 休暇取得
- 自己研鑽(けんさん)
なども充実しているそうです。
その分、彼らは先生という職業にプライドを持っています。
日本では、
- 先生としてのプライド
- それに見合う対価や社会的地位
が矛盾しており、どんなに気持ちが強くても、
と、空回りしてしまいます。
公教育が変わるなら、北欧のモデルも然りですが、国をあげて変えていかないと、民間のスピードには勝てないのです。
結果的に淘汰されて、そういう結末を迎えるかもしれません。
それはそれで、いいことなのかなとも思っています。
変えるのは「現場」ではない
1年間、あるいはそれ以上、僕なりに考えた結論が、
ということでした。
- もし今の給料が2倍になっても、
- もし休みが多く取れたとしても、
教育現場がこのままである限り、僕の下した決断に変わりはないでしょう。
少し悩みました。
ただ、額は「今でも十分過ぎるくらいもらっている」と思っていたため、
とすぐに結論づけました。
僕は教育が本当に好きだからこそ、今の現場に納得いかなかったのです。
現在働かれている先生方を、否定しているわけではありません。
そう感じただけなのです。
- 優秀な先生として名をはせる。
- 管理職になって学校を統括する。
こういったことで、日本の教育それ自体を大きく変えるということは、残念ながらイメージすることができませんでした。
多くの優秀な先生たちは、「働き方や教育観が合わない」というシンプルな理由で、辞めていったのではないのかもしれません。
「変わらないこと/変えられないこと」に気づいて、もっと自由な教育や人生を目指して、辞めていったのかもしれませんね。
少し先の未来かもしれませんが、日本の公教育はどこかで行き詰まると思っています。
少しずつ変わってきている面もありますが、大枠のシステムが変わってはいませんから、劇的に変わることは難しいでしょう。
それなら僕は、「戦場を変えるべき」ですよね。
と。
おっしゃる通り。
僕は僕のした決断に、実はワクワクしています。
9年間先生をやって決めたのだから、もう迷いはないのです。
おわりに
公教育の現場に限らず、大手の会社でも同じような体質はあると思います。
と言っているわけではありませんし、現に僕自身がとても悩んだ末に出した結論なくらいですから、そんなにシンプルな話ではありません。
それでも、僕が身を置いている「公教育」の現場は、何も考えなければ、
と感じてもおかしくないくらい、そんな場面が多いです。
「スピードが速ければいい」というものでもありませんが、
- 時代に追いつけていない
- むしろ逆行している状態
なのです笑。
みなさんも、ご自身の学生時代を振り返ってみたり、お子さんの教育について考えてみたりすることで、何か見えてくるかもしれません。
ぜひ、日本の教育について思いを巡らせてみてくださいね。
それではまた!
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