頑張っても報われない人たちがやるべきこと【運や環境を引き寄せる】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人たちとzoomで雑談をしました。

その中で、Nobless Oblige(仏語)という言葉が出てきました。

これは、

「高い地位にいる人は、それなりに責任や義務を負う」

という言葉ですね。

上にいる人たちは、その力を勝ち抜くために使わないというものです。

その富や権力を、力のない人たちのために使うというもの。

この世の中は理不尽かつ不公平で、この豊かな日本でさえ、その存在や努力を否定されてきた人たちがいます。

果たして僕はどうだったろうか?

現在でも渦巻く大きな課題。

今日は「頑張ること」について書いていきます。

頑張っても報われなかった人がいる。「頑張ること」は大事だが、環境もまた大切なのだ。

前提として日本は豊かである

こうして世界各地を回ることができたことで、僕は改めて日本の豊かさに気付かされました。

逆にホームレスに成り下がっている人というのは、「選択してそうしている」としか思えない、つまり「怠惰だ」と感じたことさえありました。

それだけ、世界各国ではもっと厳しい現実が待っているからです。

いろんな理由があるとしても、日本であれば、

ある程度行動に移せれば、どうとでもなる

という状況は間違っていません。

業種や雇用形態を度外視すれば、それなりに働ける場所があるからです。

厳しい言い方なのかもしれませんし、それは後述する「自分が生きてきた環境」にも関係があると思っています。

しかし大前提として、日本はそれだけ「豊かな暮らしができている」と感じています。

その中で自分には何ができるか。

行動をすれば全てが解決するとは言いませんが、ではその人たちに、

行動しなくてもどうにかなる

と言うでしょうか。

彼らが受け入れるかどうかはさておいて、やはり「自分が動くかどうか」にかかっていると伝えることは間違いではないのです。

ガムシャラに頑張れとは言いませんが、何かを変えたければまずは自分でどうにかすること。

誰かが助けてくれるわけではありませんし、何度も書いた通り日本では「なんとかできる環境」が整っています。

その「整った環境」があることに、まずは感謝すること。

その上で自分がどうするかは、極論まで広げてしまえば、その人にかかっているとしか言いようがないのです。

日本は前提として環境が整っている。あとはやるかどうかだけなのは間違いないのだ。

それでも僕は報われてきたほうだと思う

さて、

日本では行動すればいい

と思ってはいるのですが、一方で「Nobless Oblige」が僕の頭を過ぎります。

僕は別に社会的地位が高いわけでもなく笑、ただの一般市民ではありますが、

  1. 勉強をして
  2. 公務員になって
  3. 安定した給料がもらえた

という経験を考えれば、

努力したことが報われてきたほうだな

とは感じています。

個人的には「勉強=報われやすい」とは思っていますが、いろんな運も重なって、そうした状況まで行き着くことができたとは感じています。

ここで難しいのは、

俺も一所懸命頑張ってきたのだから、できてないやつは行動しろ!

という声がけをしていいかということ。

まさに僕が先述した通り、「頑張ればいいのだ」という根性論ですね笑。

これに関しましては、

  • ある意味合っているし
  • ある意味間違っている

と思っています。

頑張ることは良いことですが、それが報われるかどうかは、それぞれの置かれた環境やスペック、運などの「外的要因」もあるからです。

僕自身も「自分なりにもがいてきたほう」だと思いますが、そこには人との繋がりがあって、助けられてきたこともありました。

全てが運だった

とまでは言いませんが、

  1. 日本に生まれ
  2. さらに人に恵まれた

と思えば、「頑張ればどうにかなる」はちょっと極論じみてもいます。

ただ「ある意味合っている」と思うのは、やはり頑張らなければ「運」を引き寄せることもまた難しいからです。

頑張らなければ何も始まりませんし、たとえ日本であっても「頑張らなくてもいい」といった甘いものではありません。

  1. 日本という恵まれた環境の中で
  2. 自分なりにできることをやってみて
  3. 運や環境に恵まれればうまくいく

といった感じでしょうか。

こればかりは人によって様々な要素がありますので、個人にかかっているとしか言いようがありません。

しかしいろんな要素を考えてみても、僕は「かなり恵まれてきた」と思っていますし、運も良かったほうだと思っています。

だから根性論にも賛成しつつ、環境にも感謝しつつ、一方で「報われない人」に「頑張ることを強制すること」はありません。

運要素と努力の要素。

ここには絶妙なバランスが存在しているため、個人差が出てきてしまうのです。

日本にいる限り、頑張れる環境は整っている。一方でその頑張りが報われない人もいる。運要素もあるから、根性論が全てではないのだ。

ともに歩んでいくこと

「報われない人」に対して、

  • 運が良かった人
  • 報われてきた人

は何ができるのか。

僕の1つの答えとしては、「一緒にいること」だと思っています。

なにせ僕自身、教員を辞めて今はフリーの状態ですから、また違った努力の仕方をして、成果を積み上げていかなければならないのです。

そういった意味では、「これから頑張らなければならない側」であり、公務員になれたところまでの運や環境の要素を一旦排除して、また違う道を1から歩き始めています。

「頑張ったらある程度報われた人」でしたから、頑張っても報われなかった人とともに応援し合いながら、ともに頑張っていくことが、僕にできることだと思っています。

僕もこの道で「頑張れば報われること」を経験しているわけではないですしね。

だからこそ思うのは、「ともに頑張れる仲間がいること」はとても大切なことだということ。

一人で頑張っていますと、どうしてもどこかで煮詰まってしまいますし、壁にぶち当たってしまうことがあります。

以前の僕は、「ともに歩んでいる」という感覚はなくて、他人の成功を羨(うらや)んでいる人間でした。

しかしこうして教員を辞めるまで、いろんな経験をしてきますと、

成功している人はどうやっているのだろう?

と、純粋な疑問を持てるようになりました。

つまり僕は今、「頑張っても報われない可能性」のある人なのです笑。

公務員になるためのロードマップは頭の中にあっても、それ以外のことに関してはただの初心者ですからね。

そういう人こそ、お互い切磋琢磨できるような「環境」に行って、「運」や「人」を引き寄せることが大切です。

僕自身も、英語の先生としてお伝えできる部分はいろんな人にお伝えしてきました。

この「GIVE&TAKE」の中で、今度は自分がもらえるものに感謝することですね。

  1. 環境に飛び込みつつ
  2. 自分なりに一所懸命努力してみる

それでもうまくいかなければ、運や方向性、環境や人間関係など、他の要因が影響している可能性もあります。

根性論で片付かないこともありますからね。

成功している人は運が良かった可能性もあります。

一方で努力も怠っていません。

どこか1つの要素に目を向けるのではなく、

「様々な要因が複雑に絡み合った上で現状がある」

ということを感じることが大切ですね。

頑張っても報われない。そんな人こそともに歩める仲間がいる環境に飛び込んでみよう。努力と運と環境と…。様々な要因が絡んでいることを考えて、いろんなアプローチを試しながらひた向きに頑張っていこう。

おわりに

頑張っても報われない人のために、地位の高い人が何かする。

これは難しい現実であり、個人的には「お互いの歩みより」が大切だと思っています。

やはり「本人の努力」はとても大切なことですし、一方でそうした環境があることもまた必要なことだからです。

僕自身、また0からのスタートをしていますので、積極的に「頑張れる環境」を求めるようになりました。

  1. 自分で頑張りつつ
  2. 運や環境も味方につける

これが必要なのかなと。

根性論に終始せず、様々な要素を考えていきたいですね。

それではまた!

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