こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
海外に出た当初は、どうしてもルーティン(=いつもやっていること)ができなくて、ストレスが溜まったものでした。
ここ数年である程度「生き方」の最高地点に到達した僕ですが笑、海外にきていろんな形の生活をしていく中で、
と思うようになりました。
今日は「丁寧に生きること」について書いていきます。
必死に生きてきた時間=丁寧に生きた時間
さて、去年(2022年)は必死に毎日を生きてきた僕ですが、
- 教員時代は毎朝コーヒーを淹れ
- 帰る間際 or 帰ってから運動をし
- 夜には授業をして瞑想をして寝る
というルーティンを作っていました。
たまの休みに行くサウナに行っては、食べる定食がとてもおいしかったことを覚えています。
というつもりはありませんが、必死に生きながらも、同時に、
と感じていました。
それまでの人生が、あまりにも暴飲暴食の乱れた生活リズムでしたので、よりいっそう感動したものです。
必死に生きてきた時間というのは、
「まるで何も見えておらず、がむしゃらに生きている」
と思われがちです。
実際その面もありますが、同時に毎日を大切にしているとも言えます。
特に教員として働いていた最後の年は、本当に毎日が有意義でしたし、同僚や友人たちと議論を交わしながら過ごしていた時間は、幸せ以外の何物でもありませんでした。
海外に来てからも、少しずつ同じような環境に近づけるように心がけました。
ボストンの兄貴宅にいた時は最たるものでして、まるで日本にいた時と同じような生活をしていました。
現在は「仕事をしていない」という点だけいかがなものかと思われますが、人生の休暇だと思えば、オンラインで英語講師をやっているだけでも我ながら偉いものだと思います笑。(おい)
海外に来ても、必死に生きることの連続でした。
しかしその時間こそが、今の「旅(=人生)」をよくしていますし、僕はどのホステルにいても、「丁寧に生きること」を心がけているようです。
- できればコーヒーを飲み
- 新しく始めたファスティングをし
- たまに筋トレをしたり街を歩き回ったり
と、できる範囲で毎日をより大切にするようになりました。
そんな風に思えた、海外での生活となっております。
丁寧に一日を生きること
海外にいるため、できないこともありますが、僕が日本に帰ったとしたら、今まで以上に毎日を必死に(=丁寧に)生きると思います。
どこかの時点と比べる必要はないのですけれど、兄貴宅でゆったりと過ごした時間が、また僕に新たな視点をくれましたので、
と思いました。
丁寧に生きるということは、
- 食生活
- 体づくり
- 精神的な豊かさ
など抽象的な表現ですが、「総合的な生き方」を意味しています。
こんな生き方なのかもしれませんね。
特に旅を始めた当初は「移動がメイン」となることが多く、ホステルにゆったりとステイすることはありませんでした。
一方でオーストラリアやヨーロッパ、カナダやアメリカで友人や家族と過ごした時間は、どこか「丁寧な暮らし」を意識していたと思います。
どちらがいいとか悪いとか、そういうことを言いたいわけではありません。
アメリカの生活を経てみて、
そう感じられるようになったのでした。
旅の序盤はどうしても急ぎ足になっていたことは否めなくて、今はもう旅の終盤ということもあってか、落ち着いて各国を見て回ろうと思えています。
ある意味最初のほうの「怒涛の流れ」が、今の僕に気づきを与えてくれたのかもしれませんね笑。
先述した通り、必死に回っていたあの時間もまた、自分にとっては必要な時間だったと思っています。
誰でも最初は苦労するものですしね。
今は旅に慣れてきたからこそ、ゆっくりできるもの。
改めて丁寧に生きていけそうですね。
丁寧な暮らしの前のしんどい経験は必須
「丁寧に生きる」と言っても、いろんな形があります。
僕は「ゆったりと過ごす時間」に幸せを感じるようになっていました。
だからこそ旅の最初はストレスフルでしたけど、たくさん動き回ることもまた好きな形ですし、じっとしていられないのもまた僕の「性(さが)」です笑。
この旅では、その両方を経験しながら、荒波の中で生活をしてきました。
- ゆったりとしつつ
- たまに動いて新しいものを見つつ
この「美味しいところ」をつまみ食いしながら旅をしたかったものでしたが笑、新しいことだらけすぎて、毎回何かにぶち当たるたびに、
と思うことばかりでした笑。
今年(2023年)は、旅行のような「ストレスフリーな時間」を求めてはいません。
思い描いていた通り、大変な生活を強いられましたが、どうしても経験しておきたかったものでしたので、この経験がいつか大きな糧となるとは思っています。
人間、時にはコンフォートゾーンを離れて、いわゆる「丁寧な暮らし」から離れなければなりません。
しかし一度でも「大変な時期」を経験してしまえば、大抵のことに対して対応が速くなってきます。
実は「丁寧な暮らし」を求めるためには、最初の「しんどい生活」が必須なのです。
僕も教師を始めた当初は、
- 経済的に余裕もなく
- 仕事も初めてのことばかりで
- あまり食べられなくて病的に痩せた
という経験がありました。
その経験があったからこそ、徐々に慣れてくることで「丁寧な暮らし」ができるようになりました。
そして「丁寧な暮らし」をずっと続けていますと、
と疑問に思うようになったのです。(なんだそりゃ笑)
こればっかりは、人それぞれの考え方によります。
ただ、
そう思えたことで、こうして世界に飛び出すことができました。
今では、
- 移動
- 滞在
- 英語講師
- ブログや動画編集
など、ある程度ゆとりを持ちながらルーティン化ができています。
これがもしかしたら、海外旅の最中の「丁寧な暮らし方」なのかもしれませんね。
これからもそんな暮らしを意識して、残りの旅を一所懸命続けたいと思います。
おわりに
旅の途中で改めて感じた、「丁寧に生きる」ということ。
それは単純に「ゆったりと生きること」だけにとどまりません。
必死に生きたり、途中で悩み苦しむ時期があったりするからこそ、丁寧に生きることが浮き彫りになってきます。
今の僕は「ハイブリッド型」ではありますが笑、自分の求める形に向かって進めているような、そんな気もしています。
正解はありませんが、それぞれの思う「暮らし」に向かって、日々歩んでいきましょう。
それではまた!
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