結局言い訳をしたいのならやらないこと【何かと出る「苦手」論】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

生徒さんと話していますと、

先生、英検を受けようと思うのですが、ちょっとアカデミックな内容だと難しくて…どうすればいいんですかね?

という相談をよく受けます。

結論、

  • ビジネスだろうが
  • アカデミックだろうが

やるしかない」のです。

みなさん、なんとか言い訳をしようとするのですが笑、無理なものは無理。

ただただ、そういうものに慣れていく(=勉強していく)しかないのです。

今日は「苦手もやってゆくこと」について書いていきます。

成し遂げたいことがあるのであれば、やるしかないのだ。その気迫が大事なのだ。

苦手なことからは逃げていい?

僕の持論として、

苦手なことは無理してやらなくていい

という論があります。

以前にも書いたことがある通りでして、苦手なことなんて無理してやる必要はありません。

例えば僕は泳げませんが笑、

僕は泳げないですし泳ぎたくないんですけど、プールに行って何をしたらいいですかね?

と聞かれたら、みなさんはどう感じるでしょうか。

だったら無理して泳がなくていいよ笑

当然、そう言いますよね。

では次に、

  1. 英検に受かりたい
  2. でもアカデミックなものは苦手

と言われたら、みなさんはどう返しますか。

いや、だったら勉強するしかないんじゃない?アカデミックな本でも読んでみたら?

と言うことでしょう笑。

この2つには大きな「違い」がありますよね。

本人に「受かりたい」という目標があるかどうかということ。

このように「成し遂げなければならないこと」が目の前にあるのであれば、もうなりふり構わずにやるしかないのです。

どうしてもやりたくなくて、英検やTOEICにいちゃもんをつけたいのであれば、“やらなければいい” だけの話。

至ってシンプルじゃないですかね。

  • 苦手なのでどうしたいのか
  • どういう方法を試してみたのか

こうした議論に落とし込めれば、僕だって「苦手」なことに対してどうしたらいいかという具体的な方法を伝えます。

方法を教えて欲しいのであればそれでいいのですが、一方で、

俺/私は苦手なんです。だから難しいんですよねー

と、ただ「テストが悪い/相性が合わない」と言っているだけであれば、

とにかく頑張れよ。それしかないよ

としか言えません。

逃げずに立ち向かい、ターゲットとなる文や語彙の周辺を徹底的に勉強して慣れてゆく以外、方法がないんですよね。

せいじは論理的な話とか、アカデミックな話が好きだもんねー

じゃないのです。

英検に通るということは、そういう過程を通るということなのです。

苦手は人に頼ったり、やらなかったりしてもいいが、自分の成し遂げたいことがあるのならば頑張る他ない。

言い訳する = やりたくないだけ

大体「声色(こわいろ)」と言いますか、態度でわかりますが、

あぁ、この人はやりたくないだけなのだな

という風に感じてしまうこともあります。

人間、できないことがあってもいいですし、苦手は他人に任せたらいいです。

一方で、自分が成し遂げたければ、その道は茨(いばら)の道であって、

  1. 時間もかかれば
  2. 労力もかかること

これらを意識しておかなければなりません。

僕だって初心者として5言語を学習していますし、政治や経済も勉強し始めましたが、

ここが苦手でー

なんて言ってられません笑。

投資の時もそうでした。

相談をすることそれ自体は否定しませんが、要はもう「やれ/勉強しろ」としか言えないのです。

多少なりとも効率的な方法はあるかもしれませんが、まだ取り掛かっていなければやらなければ始まりませんし、どんだけやってダメだったとしても、成し遂げるまで(わかるまで)地道に続けてゆくしかありません。

このように、みなさんいつも「確証(確信)」を得たがります。

この方法しかないんですよね?そうですよね?

と。

そんな方法、この世に存在しません。

「苦手なんですよね」という言葉の中には、少なからず、

自分にできないのは、仕方ないですよね?

といった意味合いが込められていると言ってもいいでしょう。

  1. 苦手だけど挑戦し
  2. それを乗り越えたからこその今

があるものです。

どうしても時間がかかるのも、理解はできます。

ではその長い時間、本気の本気で取り組んだのですか。

厳しい言い方かもしれませんが、人間本気になればできるものです。

みなさんにも「成し遂げてきたもの」が少なからずあるはず。

その時は妥協なんて一切許さなかったはず。

たるんでいる仲間がいたら、

お前になんて負けるはずがない

と思っていたはず。

その事実を思い出せば、

そうだよな。言い訳してる場合じゃないよな

と思えるものなのです。

言い訳や弱音も、先生の前で吐いていい。しかしずっとそういう状態が続くのであれば、いつまでも変われない。思いっきり本気になってぶつからないと、成し遂げられないのだ。

なんでもいいからやる

結論、英語に限らず勉強においては、とにかく「やる」しかありません。

ビジネス英語が苦手でもTOEICはやらなければなりませんし、アカデミックな内容が苦手であっても英検はやらなければなりません。

もちろん、必要なければやらなくていいです。

しかし、自分の中で矛盾が生じているのであれば、それは精神論的に「気合いが足りないだけ」です笑。

思い返せば、僕はアドバイスを求めることはあっても、あまりできないことを「悩み」として聞いたことはありませんでした。

ここがわからないんですけど、どうやったらいいですかね?
この技がうまくいかないんですけど、どうやったらできますかね?

と、「将来できるはずだ」という理想を掲げながら、勉強したりダンスの練習をしたりしていました。

こういうことを言いますと必ず、

せいじだからできたのだ

と言い始める人がいます。

僕が思うに、誰だって最初はできなかったものであって、そこからいかに「成し遂げたいか」を自分に問うてきた人たちが、今の地位を築き上げたのだと思っています。

正直、僕なんてまだまだ努力が足りなくて、

もっともっと勉強しなきゃなぁ

と思いながら生きていますよ笑。

でも別に自分を卑下しているわけではありません。

  • 誰かと比べたり
  • 自分にはできやしないと思ったり

していないということです。

自分には自分の特性があって、自分なりに自分の人生を生きてゆくこと。

これしかないのです。

男性と女性でも違いますし、その人の「好き/嫌い」「得意/不得意」でもできることは変わってきます。

僕は人一倍勉強が好きで、

これなら凡人より、少しはできるはずだ!

と思って、小中学生の頃からずっと勉強してきました。

もう言い訳なんてしてられません。

テストで点数が獲れなかった時は、ただただ悔しくて泣きましたし、言い訳せずに己の努力不足を恥じただけでした。

ある意味、言い訳がましく「できない」を連呼する人とは、「傲慢」なのかもしれません。

  • 努力はしたくない
  • 結構頑張ったつもりだった
  • 自分にはできるはずだと思っていた

と。

もう、できるまでやるしかない。

これ以外に答えはありません。

今ではあらゆる情報も手に入りますし、手段だってたくさんあります。

ノウハウだってYouTubeやWebサイトに載っています。

一人でできない人は、僕みたいな英語コーチングやパーソナルトレーナーに全力で頼ったらいいです。

頼ってでもいいから、とにかくやること。

どんな形でも「成し遂げたい!」と強く思うことですね。

精神論かもしれませんが笑、正直この気持ちを変えられない限りは、何をやっても言い訳に逃げたくなってしまうのです。

どんな形でもいい。とにかくやるしかないのだ。人間、できるまでやればできるようになるのだ。

おわりに

「学び」を教えていますと、必ずこういう人とは現れます。

別に否定しているわけではありません。

ただ僕は、この勉強という分野にあまりにも長くいたからこそ、

何を言ってるんだ?いいからやれ!

と思ってしまうのですよね笑。

これは自分自身にも言えることであり、妥協したくなる誘惑はいつでも襲ってきます。

それでも体は鍛えたいし、言語だってしゃべれるようになりたい。

一生、続けてゆくのですね。

ずっとずっと、戦い続けていきましょう。

それではまた!

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