常に与えることを考えられるようになったわけ【いつでも相手を考える】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

本日は、韓国から来た友達に渋谷を紹介するため(ガイドではない)、

それならなんかお土産でも買っていくか

と、駅で和菓子を買ってきました。

彼は以前にも日本に来てくれて、その際は高尾山を紹介しました。

また来てくれるということで、わざわざ連絡が来たのですから、行かない理由がありません。

こうして、

誰かに何かを与えたい

と思えるようになったのは、いろんな本を読んでからでした。

それまではなかなかのTAKERだった僕。

どうやって変わり、今は何を感じているのかを書いていきます。

誰かに何かを与えることを、常に考えておこう。それだけで人生は幸せになる。

何かを与えるのがイヤだった時のマインド

僕が公務員をしていたときは、とにかく誰かに与えるのがイヤで仕方ありませんでした。

それは「投資をしていなかったこと」が大きかったのだと思います。

銀行に現金を入れていますと、増えることはありません。

それはすなわち、

  1. あまり使わないで
  2. ゆっくりと貯めていく

ということが、資産を増やしていくには必須だったということ。

このお金は俺のもんだ!

と言わんばかりでしたよ笑。

こんな性格では、貯まるものも貯まりません。

「お金持ちたちのマインド」を知る前は、まさに貧乏マインドでしたね。

それは昔から、あまり「お金のない生活」をしてきたからだと思っています。

大学院時代に非常勤講師をしていたときは、多少なりともお金がありましたが、やはり余裕のある生活とは言えませんでした。

公務員になってからは、

100万貯まったから…次は500万…、いや1,000万は持っておきたいなぁ!

というように、“貯める” というところにフォーカスをし過ぎていただけで、何も与えることのできない生活が続いていました。

その時は代わりに「倹約」を覚えていましたので、そういった意味ではよかったのかなとは思っています。

それでもやはり、公務員の前半(特にお金がなかった時)は、「誰かのために何かを買う」という行為がイヤで仕方ありませんでしたね。

お金がなかった経験から、人に与えることが苦手で仕方なかった。それは公務員になったばかりの時も、変わらなかったのだ。

何に幸せを感じるのかを考える

そこで本を読み始め、投資を始めてから自分の生活はガラリと変わることになります。

このブログを始めたこともありますが、生き方とはいつでも変えられるものでして。

ケチって貯めていたお金が功を奏し、それをほぼ全額投資に回すことができました。

それから、

どうお金を使うことがいいのか?

ということに、フォーカスを当てるようになります。

先日もお金の使い方について書きましたが、やはり僕は贅沢のできない人間のようでして、

1,000円の外食は、相当な贅沢である

と、いまだに思っているくらいです笑。

ただ、本を読み始めた2021年頃から、だんだんと、

  • 自己投資
  • 他人のためにお金を使う

ということを覚えてきます。

それはひとえに、僕が人に与えることで「幸せ」を感じていたからでした。

こんなに人に使えるお金があるのだから、使ったらいいじゃない?

別に投資で儲けていたからではありません。(ちなみに公務員は投資をしても大丈夫です)

職場や友達との会食などで、いろんな人に喜んでもらうことが、僕にとっての幸せとなったのでした。

そうやってモノで人を喜ばせようっていうんだから、せいじはたかが知れてるよ

こんなご意見もあるかもしれません。

しかし僕がそこで感じていたことは、

誰かに褒められたいとか、好きになってもらいたいからやったわけではない

ということでした。

自分が選んで買ってきたお土産を楽しんでもらうのも嬉しかったですし、何より「誰に何をあげたのか」ということは、全くと言っていいほど覚えていませんでした。

この前はありがとうございました!

と急に言われた時は、いったい何の話をしているのかさっぱりわかりませんでしたが笑、どうやら僕がその先生の机上にお土産を置いていたらしいのでした。

「与えること」とは、見え方によっては「ただ見返りを求めているだけ」にも見えます。

当然ですが、それではいけません。

その時のみなさんの笑顔を見て、僕はとても幸せを感じただけだったのです。

何に幸せを感じるのかを考えてみよう。そうすれば、「与える」ことの本当の意味に気づけるはずだ。

これからも与えていこう

さて、渋谷に向かっている僕ですが、韓国からきた彼のために、

これでも買っていくか

と思って、渡す時を考えてウキウキするのは、なかなか楽しいものでした。

でもせいじ、人のためにお金を使っていたら、どんどんお金なくなっちゃうよ?

おっしゃる通りですが、今となってはもはや、他人にお金を使うために稼いでいると言っても過言ではありません笑。

自分の生活なんて、最低限の生活でいいのです。

自分の生活を削って浮いたお金を、友人や家族、そうした人たちとの時間のために使えばいい。

そうしてようやく渋谷に到着し、韓国人の彼と会いますと、流暢な英語で、

いいですいいです!せいじ兄さん!ここは全部僕が出すから!

と、なんと旅行してきた側の彼のほうが「僕に全部おごる」という謎の現象が発生しました。(ありがとう涙&ご馳走様でした)

僕がたくさん払うつもりでいた一日でしたが、まさかの展開でしたね。

もちろん「どちらが多く与えた」とかそういうことではなくて、「気持ち」の問題ですから細かいことはいいのです。

その代わり、

  • サウナを紹介して一緒に入ったり
  • 日本らしい居酒屋に連れて行ってあげたり

しました。

「与えること」にはいろんな形があって、先述したようにお金のこともあるでしょうし、モノやサービスの形もあるかと思います。

あるいは「会いに行くだけ」でも立派なGIVEの形になるのではないでしょうかね。

いずれにせよ、どんな形でもその気持ちが常に根底にあって、

相手に対して何かしてあげたいな

と思えているかどうか。

ここが大事ですよね。

与え続けていますと、本当に感謝されることが多くなり、自分のことなんてどうでも良くなってきます。

するとまた「受け取ること」が多くなってきてしまい(今回の僕のように)、

さて、次はどうやって返したらいいだろう?

と思うようになります。

この循環を始めるためには、やはり「自分でできること」を探し、何でもいいから人のために尽くしてみることです。

僕はありがたいことに「教える」ということが天職となり、そうすることで感謝されることが増えるようになりました。

たぶん一人で死ぬほど稼いでも、それを誰かのために本気で考えて使えなければ、稼ぐ意味なんてないのかもしれません。

そこに答えはないですし、押し付ける気もありませんが、僕はそう思っています。

誰かに与えて続けてみよう。それこそが、生きる上での本質なのかもしれない。

おわりに

誰かのために与えることは、いつでも僕のテーマとなっていました。

もちろん、金銭的に苦しい時は無理をしなくていいですし、かといってお金がガッと入ってきたからと言って、

適当にお金を配りまくれ!

となるのも、それはそれでいかがなものかとも思います。

いつも根底に、

  • どう与えたいのか
  • いつも与えようとしているか

という問いがあるのかどうか、ですね。

それではまた!

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