僕らの命は他の命の犠牲の上に成り立っている【動物系の動画を見る理由】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕はアウトドアアクティビティがとにかく苦手でして笑、

  • 釣り
  • BBQ
  • キャンプ

などの経験が全くと言っていいほどありません。

僕の最大の弱点と言いますか、

雑草魂はあるが、温室育ちみたいなもの

と自負しているくらいです笑。(泣けてくる)

ゆえに、最近では狩猟系の動画を見たり、哺乳類をさばく動画を見るようになりました。(なぜ笑)

元々「捕食の動画」もよく見ていて、サバイバル系の動画も好きです。

それはひとえに、

自分ができないから

でもあります。

今日は「命」について書いていきます。

僕らの食卓に並んでいる「肉」は、誰かが加工してくれているものだ。日々の命に感謝しよう。

なぜ動物の動画を見るのか

僕が普段見ているのは、捕食や野生の動画であり、

  • トカゲが虫を捕まえて食べたり
  • 肉食動物がマウスやヒヨコを食べていたり
  • 動物や魚を捕まえてはさばいて料理していたり

といった、地上波ではなかなか見られない動画ばかりです笑。

先述した通り、僕にはそうしたアウトドアなことが「できない」からでもあります。

やはり男に生まれた以上、

このワイルドな感じ、カッケー!

と、うらやましく思ってしまうんですよね。

  • 弱肉強食
  • 食物連鎖

などは、自然界では当たり前のことであり、

俺はもしかして、めちゃめちゃ弱い男なんじゃないか…?

と心底、自分にガッカリしたこともあります涙。

もちろん、そんなサバイバルをする必要はないのですが笑、やはりそういった人たちのことは尊敬してしまいますね。

ペットを飼っているわけでもありませんしね。

僕は本当に「動物」が苦手なのかもしれません。

でも、毎日のように卵を食べたりチキンを食べたりしているなぁ…やはり、そうした現実と向き合う必要があるんじゃないか?

そう思ったわけですね。

だから自然界の「追って/食われて」みたいな、命のやり取りも見ておきたいと思ったのです。

普段からそうした方面に意識のない人が、食べ物に感謝できるわけないのではないか?

自分が実際に肉や魚をさばいたわけではないですし、たかだか動画で見ただけですけどね。

しかし、普段見られないシーンをしっかりと見ることで、

この生き物たちも、ギリギリまで生きてたんだよな

と、深々と理解と感謝をすることができます。

実際に狩猟されたり、畜産をやられたりしている人からしたら、ただの「日常」なのかもしれません。

それでも、少しでも情報がもらえるだけで、勉強になりますね。

普段から自分がいただいている「お肉」の実態について、知っておくことだ。すると日々の食に感謝することができる。

常に「肉=命」と考える

僕は毎日、何かしらの「」を食べています。

グロテスクな部分(肉をさばいたり血が見えたり)は、確かに無理して見るものではありません。

中には、

  • ビーガン
  • ベジタリアン

の方などもいるでしょうから、

なんて残酷な!

と思う人もいるかもしれません。

どう感じるかは人それぞれでいいですが、「人間」である以上は、原始時代から狩猟をして肉を食べていたという歴史と、受け継がれてきた遺伝子があります。

もちろん、食べなくて済むのであれば、他の食べ物から動物的タンパク質を摂取することもいいでしょうけれど、

肉を食べないことで体調を崩した

と言う人もいるくらいですから、やはり人間の体には必須なものなのかもしれません。

僕はただ、そうした「命」とちゃんと向き合っておく必要があるのかなとは思っています。

屠殺場に行って子どもに見せろ

と言うのはちょっとやりすぎかなとも思いますが、「自分で選択して見ること」は今の時代であれば可能です。

だったら僕は、見ておくべきだと思う

そう思ったのですね。

実際そうした、

  • 肉をさばいたり
  • ペット(あるいは食用)を飼ったり

している動画のコメント欄には、

  • 勉強になった
  • 家が畜産業だから嬉しい
  • もっと自分の人生を頑張ろうと思った

など、意外にも批判的なコメントはありませんでした。

そうした動画投稿者の方々は、誰よりも命の大切さを知っているからこそ、人気があるのだと思います。

ただただ命を粗末にしている人たちではありませんし、適当に注文してご飯を残している人たちよりは、よっぽど命の重さを理解しているのでしょう。

では僕にそうした生き方ができるかと言われますと、当然のことながらできません笑。

それぞれ「得手/不得手」がありますしね。

ただ、「知っておくこと」はいいことなのかなと。

それだけで、毎食に感謝できるのではないかなと思っています。

常に命をいただいていることを意識すること。それだけでも、毎食に感謝することができるのだ。

でもあまり考えすぎない

一方で、

毎度毎度感謝しなければ!

と強く思いすぎてしまうのも、それはまた違うのかなと思っています。

いや、今感謝しろって言ったじゃん笑

と、確かに突っ込まれそうです。

矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、僕が言いたいこととは、

感謝をすることは前提であって、それでも「肉を食べる」という行為は生活に溶け込んでいるものなのだ

ということです。

日本語に「いただきます」という言葉があるように、何かの犠牲の上に自分の命があると知っておくこと。

それだけでいいのかなって。

それがわかっていない人ほど、食べ物を粗末にします。

もちろん、野菜や米だって同じです。

じゃあ、その命をどう使おうか?

そうやって、いただいた命を自分の命の糧にして、次に繋いでゆくのですね。

そもそも、周りに生き物がいる。

その生き物をさばいて肉塊にしてくれる人たちがいて、その流通の先(=末端)に、僕みたいな消費者がいるということです。

だから一次産業を担う方々には頭が上がりませんし、それを輸送してくれている人に対しても、お金を払うことは当然のことなのです。

それを知った上で、普段からご飯をいただいていれば、それでいいのかなと。

それ以上、

涙を流しながら食べろ!

と言われましても、

そうやって僕らは生きてきたのだから

としか言いようがありません。

でも確かに、その「ありがたみ」に感謝できていない現代人が多いのは事実です。

僕も含めてね。

「命を安易に考えてもいい」とか「いちいち気にしなくていい」と言いたいわけではないのは、もうみなさんならお分かりですよね。

  1. 生活に馴染んでいるからこそ
  2. 普段から感謝をして食べればそれでいい

と思うのです。

だからこそ僕は、命をいただいている動画を見ますし、

所詮動画かもしれないけれど、その食物連鎖を間近で見られる時代や環境なのだから、僕は見ようと思う

と思うのです。

深く考えすぎてしまいますと(そういう動画を見た後ですと)、逆に肉が食べられなくなってしまいますよね。

もちろん、そういう時があってもいいと思います。

一度考えておくことは大事ですからね。

みなさんに強制するわけではないですが、現場で働いている人からしたら、僕以上にもっと言いたいことがあるのかもしれませんね。

僕は僕なりに理解をしようとしていますし、感謝するようにはしています。

「口だけだろ」と言われてもいい。

ちゃんと “自分なりに” 向き合っておきたいのです。

あまり深く考えすぎると、今度は命の重さを真に受け止めすぎてしまう。だから生活に馴染ませながら、感謝して生きていこう。

おわりに

仰々しく書くつもりはありませんでしたが、やはりこういう動画が見られる現代では、避けずに見ることも大事なのかなと(個人的には)思っています。

他の命の上に、成り立っている「自分」なわけですからね。

知っておくことも大事なのかなと。

それではまた!

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