こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
ありがたいことに、オンラインの講師をやっていますと素晴らしい生徒たちと出会うことができます。
基本的には素晴らしくて、僕の涙腺を熱くする生徒たちが99.9%なのですが、たまに変な生徒がいます笑。
僕は「仏」になりましたが、教員としての経験は残っていますから、やる気のない生徒にはビシッと言います。
今日は「先生として、人間としての関わり方」について書いてきます。
先生を舐めている生徒
オンラインの講師を始めて、実は小学生か中学生の男の子を3人ほど、厳しく指導したことがありました。
どいつも同じ手口なのですが笑、こちらが英文を読んでくれと言っているのに少しラグ(=間)があったり、しかも僕が読んだところの前を読んだりと、
と、明らかに別のサイトでも見たりしているような、そんな状況がありました。
僕は「仏」ですので3度くらいは、
と見逃してあげますが、何度か繰り返されますと、
と注意をします笑。
たぶん、親から「やれ」と言われているだけであり、とりあえず、
という事実だけを作り上げたいがために、僕の授業をとっていたのだと思います。
僕も長く先生をやっていましたので、普段は鈍感でも笑、授業中の少しの違和感にはすぐに気がつきます。
別に僕は怒っているわけではありません。
ただ「仏」である僕も、なんでもかんでも許すわけではないということ。
それは、
- 僕にとっても
- 彼にとっても
ムダな時間となってしまうからです。
という生徒のために僕は講師をやっているのであって、そんな時間潰しのために授業を取られてしまっては、たまったものではありません。
一方で、
- 世間話をしたり
- 悩みの相談に乗ったり
することは全く別の話であり、それは “先生” としてケアすべき事項だと思っていますから、問題ないのです。
要は、そこに「居心地の悪さ」があるかどうかなのです。
彼らが「バレてないな」と思ってやっているのが問題ですし、それは先生に対する「侮辱」です。
と笑。
先生だって人間です。
だなんて、僕はこれっぽっちも思っていません。
キレイごとではなくて、本当にその人のために時間を使うから、お金をもらえるのだと思っているのです。
お金が欲しければ、僕は教員に戻っています。
そうしないのは、
- 楽しく英語を学んだり
- 人生の悩みについて相談したり
する時間が楽しくて、自由に授業ができるからです。
それができないお子さんには出ていってもらう。
これは僕が厳しいというわけではなく、彼らのためでもあるのです。
分かり合えない生徒
これはちょっとした面白いエピソードなのですが、僕が講師をしていますとよく「そこそこ英語を話せる人」が入ってきます。
たまたまそれは海外の方で、僕も以下の経験をしたのは初めてでした。
その方は2回目だったのですが、第二言語にしては英語が流暢で「話せる」ほうでした。
前回の授業はなんとか最後までやったのですが、今回は途中で「は?」と聞き返してくることが多く、
と心の中で思っていました笑。
僕もネイティブではありませんから、決して自分の英語のほうが上だと言いたいわけではありません。
でもなぜか伝わらないですし、こっちにも届かない(ちょっと聞きづらかった)。
そしたら、
と言われて、抜けられてしまいました。
その時は「自分の至らなさ」に(ちょびっと)落胆しましたが、同時に「生徒」としてあの態度はないだろうとも思いました。
これは世界を周遊していた時にも「よく起こったこと」でした。
お互い英語は第二言語ですので、やはり「伝わらない/わからない」時のほうが圧倒的に多いわけです。
その時に諦めてしまうのか。
僕がわからないときはしつこくも聞いたものです笑。
ただ、逆もまた然りで、どうしても伝わらない時、急いでいる時は僕も諦めることもありました。
そこで落胆する必要はなくて、
と割り切ることです。
どれだけ上手に英語を話せても、無理なものは無理。
と思ったら(思われたら)、離れるのはお互いのためのことなのです。
世界は広いから気にしないこと
僕はとてもラッキーでして、先生をやっていて実はそこまで不愉快な気持ちになったことはありませんでした。
- 現場でも
- オンラインでも
とてもいい人たちばかりで、あまりうまくコミュニケーションが取れないのは、一握りの生徒だけでした。
昔の僕だったら、どうしてもその「悪い一面(経験)」だけを切り取って、
と、グチをこぼしに飲みに行っていたことでしょう笑。
でも大切なことは、そんな人を気にしないことです。
僕は9年間の教員と1,500回以上の授業をしてきて、たまたまそんな「イヤな生徒たち」に当たったのは、本当に片手で数えるくらいでした。
先生だって人間ですから、「イヤだ」とか「合わない」と言われることだってありまして、言われたらグサッと来てしまいます。
ただ、そこまで多くなければそれでいいですし、それでも授業を受けてくれる、そんな生徒さんを大事にした方がいいです。
自分がもし生徒だったら、
と、無意識的に評価することだってありますからね。
自分がそう思われた時だけ落ち込むなんて、わがままになってしまいます。
別に厳しいことを言っているのではなくて、先生に限らず「そういうものだ」と割り切ることが大事なのです。
例えば僕がその男の子から悪い評価を受けても、僕は全く気にせず叱ります。
僕の時間のためでもあるからです。
あるいはその外国の方から、「せいじとは意思疎通が取れない」と思われても仕方のないことです。
世界は広く、その「合う/合わない」だけで一喜一憂していたら気が持ちません。
僕は多くの生徒たちから助けられて「先生」を続けてきたことは、間違いのないことだと信じています。
その数のほうが、圧倒的に多い。
自分の時間を削ってくるような人とは、関わらないほうがいいです。
- 数日後には忘れ
- 好きな人とまた時間を過ごす
ことで、自分の気持ちは戻ってくるものですからね。
いろんな人と出会っていく中で、僕も関係を切ったり切られたりしてきているわけです。
タイミングや性格の不一致など、アナログの世界では読めないことなんてたくさんあります。
だから僕はもう、怒ることはありません。
感情的になって、
と落ち込むこともありません。
それ以上に素晴らしい人たちと出会っているから、
- そうではない人
- 僕のことを受け入れられない人
がいたら仕方ないですし、そこに時間をかけなくてもいい。
そう思うようになったのですね。
おわりに
こういうことが起こりますと、ちょっとだけ考えます。
でも3日後には忘れていますし笑、好きな人と出会っていく時間を増やしていくことで、そんなちょっとしたことは記憶から抹消されます。
「仏」となった僕は、攻撃してくる人やイヤな顔をしてくる人にも、
と思うだけであり、その人自身を否定することはありませんし、こちらから攻撃することもありません。
ただ、合わないのならば離れること。
これが一番なのです。
また好きな人たちとの時間を過ごしていきましょう。
それではまた!
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