こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
こうして毎日のようにブログを書き続け、3年以上が経ちました。
他にも、毎日やっている朝活英会話が(ほぼ連続)100日を迎えようとしていて、
と思っています笑。
僕が毎日のように打席に立ち続けるには、ちゃんと理由があります。
今日は「なぜ僕が毎日続けるのか」について書いていきます。
後悔だらけの人生
何度か書いてきましたが、僕の人生なんて何一つ秀でたものがありませんでした。
と言ってくれる人もいますが、
- トガっていて
- 斜に構えていて
- プライドだけ高い
という、救いようのない「バカ」でした笑。
どんな若者でもそうだったように、僕もただ一人の「しょうもない若者」でしかありませんでしたからね。
今となっては、その後悔の上に、
と思うようになりました。
- 本を読み
- 人と出会い
- 世界を回った
ことで、今の自分がいかに小さな存在であったかを実感しました。
でも今でも思うのは、
ということです。
それに気づかないまま終わるのもまた一つの人生ではありますが、今思えば気づいて本当によかったと思っています。
そのきっかけとなった「これ」というものはありませんが、徐々に変わり始め、コロナと離婚をきっかけに僕の人生は大きく動き始めました。
それからは毎日がまるで花火のようにパッと輝き、すぐに散るような、そんな毎日となりました。
それまでは、「毎日全力で生きること」がイヤで仕方なかったのです。
と、オンとオフがしっかりと分かれていて、それはそれでよかったのですが、何か漠然とした「物足りなさ」を感じていました。
自分で「ここまで」という限界を設けていたんですよね。
日本の働き方としても、ある意味「正解」ではありましたが。
でも僕は、
と、心の中でそう危惧していたのです。
生きる理由なんてない
そもそも、僕らに「生きる理由」なんてありません。
飯食って寝て、活動して子どもつくって…
そんな原始的な生き方をしても、別にいいわけですからね。
でも僕は、本当の意味で「何も考えない生活」を送っていました。
それが望みならそれでもいいのですが、僕自身がそれを許せなかったんですよね。
そこで自分の時間を使って、「人に与えること」を始めたのです。
これがすごくよかったんですよね。
自分の命を削っている感があって。
と。
教育機関で、生徒たちに全力で教えることもまた喜びでしたが、
- 自由に動き回って
- 好きな人にたくさん教える
ということは、今まで自分がしてこなかったことでした。
家に帰ってからやる授業を不思議と「ツラい」と思ったこともなく、ある意味僕の中での「人生の意味」みたいなものに出くわしたような、そんな感じでした。
毎日こうして忙しくするのは、僕の中で「悪」だと思っていました。
でも本当は違ったのです。
- 毎日誰かと顔を合わせ
- 毎日誰かのために与えること
これが僕なりの、「生きる意味」だったのです。
すると「毎日打席に立つこと」をやめられなくなります笑。
それは、
- 連続の記録を途絶えさせたくないからでも
- 毎日やることが大事なんだと思い込んでいたからでも
ありませんでした。
単純に、毎日を「必死に」生きたかったのです。
と、そう思い直したのです。
僕が毎日打席に立つのは、そんな自分の人生を、もっと輝く花火のようにしたかったのです。
それは「泥臭いことをしたくない」ということではなくて、むしろ「全力で生きて散りたい」という、そんな願いでした。
- 過去の自分がいてくれたから
- そんな自分の体(てい)たらくに気づけたから
今の僕に繋がっています。
毎日打席に立ち続けることは、誰かのために生きること。
その行動が僕の人生をより輝かせ、
と言える終わりに向かっていかせてくれるのだと思います。
とにかく毎日を全力で過ごす
みなさんはこの1日が当たり前だと思っていますか。
僕は最近、自分の最期を感じるようになってきました。
別に死期が近いというわけではないのですが、
と思っています。
当たり前のように生きてきた35年間も、実は当たり前ではないのだと、世界を回ってみて感じたからです。
僕らがこうしてYouTubeを見て笑っている間にも、世界ではツラい思いをしている人がいます。
いえ、
という意味でもないですし、
と言いたいわけでもありません。
生き方は自由ですし、こうして幸せに過ごせているだけでもいいんじゃないですかね。
ただ僕は、
と、そう思っただけなのです。
この考え方の変化は、僕の人生をガラリと変えました。
いろんなところで前を走っている人たちというのは、僕の「このマインド」をもっと前から持っていたのだと思います。
人生は一回しかないから、
- リスクを取るし
- 行動しているし
- 誰かのために身を切るし
- 自分のやりたいことをやる
のです。
今までの僕は言い訳ばかり。
と、我ながら思いましたね。
今は、誰よりも自由に生きることで、毎日を幸せに生きられるようになりました。
毎日打席に立ち続けることは、一見するとしんどいです。
でも僕にとっては、
という思いから、そうしているのです。
だから打席に立ち続けない方が、よりずっと激しい後悔に襲われることになる。
そう思っています。
と、本気でそう思っている人はどれくらいいるでしょうか。
僕は最近、そう思って生きています。
だからこそ、
- 美しい景色
- 温かい友達
- 美味しいご飯
に感動したり、
って、そう思うのです。
大袈裟なことかもしれませんが、そういうことです。
でもそうやって生きている毎日のほうが、数年前の僕に比べればよっぽど輝いています。
みなさんは今日を、どう生きたいですか。
- 僕は僕のために
- そして誰かのために
- 与えられた命のために
全力で生きようと思っていますよ。
おわりに
毎日打席に立ち続ける男、せいじ。
周りからみたら恥ずかしいかもしれないし、笑われてしまうかもしれない。
例えそうであったとしても、それでいい。
そうやって自分の人生を、自分なりに描いている今の自分の方が、よっぽど誇りを持って生きられているからです。
今日もまた僕は全力で生きていく。
みなさんに負けないように。
それではまた!
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