世界のどこかで親近感を感じる旅【個人的に関係のある場所へ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、ドイツの東のほうに位置するベルリンに行ってきました。

ベルリンといえば、「ベルリンの壁」ですよね。

僕は小中学生の時、「ベルリンの壁が崩壊した年」が1989年だったことから、

いつかベルリンの壁があった場所にいくんだ

と思っていました。

結果、34歳にしてやっと歴史的な場所に来ることができました。

自分とは何ら関係のないところのはずなのに、グッと来るものがありましたね。

今日は「自分と関連する場所を訪れること」について書いていきます。

この旅でやっとベルリンの壁に来ることができた。自分に取って関係のあるところだと、勝手に思っていたからだ。そこには必ず意味がある。この経験を大切にしよう。

自分の生まれた年と関わる場所

みなさんにも「特別な数字」があるかと思います。

僕にとっては、生まれ年である1989年です。

その時に一体何が起こったのだろう?

と思っていましたが、特に学生時代の勉強で印象に残っていたのが、「ベルリンの壁崩壊」でした。

自分が生まれた頃に、歴史が変わったのだな

「1989年生まれ」と言っても、歴史に詳しい人でなければ何が起こったかなんてすぐにわかることはありません。

なんとなくわかったとしても、

そんなこともあったな

と思うくらいでしょう。

僕は「たまたま1989年に生まれた」というだけで、ベルリンに対してちょっとした親近感が湧いていました。

そして北欧からドイツに戻る旅の最中、

プラハとかスイスもあるけれど、やっぱりベルリンには寄っておきたい

と思いました。

なぜか引き寄せられるように、ベルリンへと足を運んだのです。

僕の旅の中のトップリストは、

  1. フィンランドのサウナ
  2. ボリビアのウユニ塩湖
  3. クロアチアのドゥブルブニク

であり1と2は達成しましたので、あとはボリビアにいけば個人的な目的は達成されることとなります。

一方で、ずっと頭の中を駆け巡っていた「ベルリン」。

それは小さい頃から意識していた歴史的瞬間が、僕の頭の中にいつもあったからでした。

そうした場所を訪れてみるのも悪くない

結果的に訪れることとなり、どこか達成感に満ち溢れていたのでした。

自分の生まれた年に起きた歴史的瞬間。それをこの肌で感じてみたかったのだ。

関連付けて来てみると何かを感じる

今回のベルリンでは、いつも以上に何か大きなものを感じました。

ある意味、僕の中では「ずっと訪れたかった場所」だったのかもしれません。

まさか自分がベルリンに来るとは

そんな風に思いながらも、これがマストだったということもわかりました。

僕はここに来るべきだったのです。

自分が生まれた年に、ドイツでは国内を分断する大きな壁が取り壊されていました。

記念館でもその瞬間の映像を見させていただきました。

その年に僕は生まれ、こうして30年以上生き抜いてくることができました。

自分がまだ、この世に存在しているのかどうかわからないような、そんな時にも世界は動き、時代は大きなうねりの中にあったのです。

他にも、1989年にはいろんなことが起こっています。

  • 各年に
  • 各地域で

何かしらが起こっているこの世界。

その中でも、一際(ひときわ)僕の心を掴んで離さなかったのが、この「ベルリンの壁崩壊」だったのです。

特に何かを感じる理由もないはずなのに、吸い寄せられていったのですから、自分でも驚きを隠せませんでした。

一方で、自分と無理やり関連づけたからこそ、深く感じることもありました。

プロセスは以下のように、

  1. 何かしら関係がある
  2. いつか行ってみたいなと思う
  3. 実際に行動に移して来てみる

と、長い年月をかけて潜在的に「想い」が蓄積されていました。

そんな「想い」が募っていたこともあり、それはそれは新鮮な感情を抱いたものです。

特に感じたことは、先ほど述べた通り、

自分の生まれた年に、こんなことが起こっていたのか

といった思いでした。

今回のベルリンに限らず、自分と関連づけたことには、人間何かしら特別な感情を抱くものです。

僕の場合は「数字」でしたが、それはなんであっても構いません。

というよりも関連づける必要はありませんよね笑。

ただ自分が「特別だ」と思った「場所」には、こだわってみてもいいのかもしれません。

僕はこうしてベルリンに来ることで、「自分の生まれた年」を改めて意識することができましたし、何より潜在的にずっと来たかった場所でしたので、その思いも一入(ひとしお)でした。

縁もゆかりもなく、ただ「数字」だけ意識した先にあった場所、ベルリン。

ベルリンにとっては、僕なんて「誰だお前?」レベルです笑。

でもそれでも構いません。

こうして来ることができましたので、僕は僕で満足なのです。

自分の何かと意識的に関連づけた場所は、わずかながら特別なものを感じることとなる。そんな想いがあるのであれば、その場所を訪れてみてもいいのかもしれない。

自分の人生と結びつけてみる

僕が今回、このベルリンという場所に来た理由は、「自ら関連づけたこと」がきっかけでした。

逆にいえば、この「関連づけ」がなければ、

「僕にとって、ベルリンはスルーしてもいいレベルの都市であった」

と言っても過言ではありませんでした笑。

しかし、

1989年生まれなんだよね

と言うたびに、僕の頭の中で必ずと言っていいほど、

ベルリンの壁が崩壊した年なんだ

という「付け足し」がありました。

その「付け足し」があったおかげで、今こうしてベルリンに来ることができています。

何ごとも自分ごととして考えてみること。

これは、いくつかの書籍に書いてあったことでした。

ひとたび「自分ごと」になりますと、当然のことながら「他人ごと」ではなくなります。

生まれた年を言うたびに、自然とドイツのベルリンを思い浮かべていたのですから、それなら一度でもいいからその場所に行くべきですよね笑。

どこかもわからないところを毎回思い浮かべていたって、自分ではずっと「他人ごと」でしかないからです。

自分の人生との「結びつき」を感じられるようになりますと、とても「ベルリンが全く関係のないこと」とは思えなくなります。

結びつきや関連性を無理やり作る必要はありません。

ただ、自分が「自然と何かを感じていたもの」に対しては、何かしらの「運命」があるはずです。

  • 人でも
  • 場所でも
  • 趣味でも

自分が「意識的/無意識的」に繋がりを持っているものは、必ず意味があります。

人生を大きく変えるものもあれば、そうでないものもあります。

ベルリンは1つの「訪れるべき場所」となっていましたが、だからと言ってタイミングが合わなければ来ることはありませんでした。

ということは、「ここに来た意味」は何かしらあるはずです。

そうした「繋がり」を大切にすること。

僕にとってはたった数日の滞在でしたが、来た意味は大いにありました。

人生と何かしら繋がりがあるものは、積極的に関連づけて、

  • 訪れたり
  • 出会ったり

してみるといい。

それがまた未来に繋がり、僕の人生に意味を与えてくれるのです。

自分が潜在的に関連づけているものは、何かしらの意味がある。行きたい、会いたいと思ったら行って会ってみるべきだ。そこで特別な「何か」を感じてみよう。

おわりに

たまたま経路の途中にあった「ベルリン」。

その名前を見た時に、

これは訪れるべきだ

と思うのですから、それくらい、僕の中では特別な意識があったのだと思います。

結果、目で見て肌で感じることで、やっと「ベルリンの壁」を経験に取り込むことができました。

「ずっと想いを寄せること」は大切ですね。

そんな特異な出会いも大切にしながら、また旅を続けていきたいと思います。

それではまた!

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