教師に必要なのは伝達能力?プレゼン能力?【それとも人柄?】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

本日、元同僚とテントサウナをしに神奈川の野呂ロッジキャンプ場に行ってきました。

ここは2回目でして、天気も最高でBBQもめちゃウマでした笑。

さて、友人の先生と教育について話をしていますと、

離任式・退任式で、話が面白いなぁと思った先生はいなかったなぁ

という話になりました。

僕も同感でしたが、何も「自分のスピーチが素晴らしかった」と言いたいわけではありません。

そこには必ず「行動」が伴っていて、各先生の「話」に情熱が乗っていたかどうかという話をしただけでした。

今日は「人間味があふれる人」について書いていきます。

教師に必要なのは「人間味」だ。そこに深さがあるかどうかが、問題なのだ。

上っ面で言ってもダメ

離任式・退任式とは特殊な環境でして、

  1. 生徒は体育館に座り
  2. 我慢しながら先生たちの話を聞く

という状況です。(我慢しながら聞かせる意味とは…)

それなら、やはり面白い話を聞きたいですよね。

しかし残念ながら、あまり面白いスピーチをした人はいなかったため、僕は早々に、

もういいや

と思って体育館を後にしました。

その学校の最後のスピーチですので、先生たちは、

  • 良いこと
  • かっこいいこと

を言おうとします笑。

僕も初任の時は英語でスピーチしましたが、イマイチ伝わらなかったようでした笑。

当時は5年間の勤務を終えて、

やっとの思いで初任校を終えた

という感じでしたから、生徒たちに届ける情熱も足りていなかったと感じています。

もちろん、スピーチはしなければなりませんから、「話をしたくない先生」もしなければなりません。

ただ、それが長ったらしくてつまらなくて、さらに内容と行動が一致していないのであれば、

なんだか薄っぺらい

と思われてしまいます。

特に学校や生徒に思い入れのない先生は、早々に話を切り上げてしまいます。

僕は最後の勤務校を去る時に、

人生は一度きりしかない。だから僕は世界を見にいく

と、体育館で言い放ちました笑。

その前からも日本各国を回っていましたので、生徒たちには僕の「想い」が伝わっていたように感じています。

結局、

この人にそんなこと言われてもなぁ笑

と思われてしまうということは、それまで積み上げてきたものが「ない」というだけこと。

登壇したところだけカッコつけていては、伝わらないのです。

普段からいかに行動しているか。

そしていかに生徒と深く関わっているか。

ここが大切なのです。

大きな舞台でかっこいい演説をしても、上っ面だけのスピーチには魅力がないのだ。

人格だけではなく行動が伴っているか

僕は「その人となり」とは、「人格によるもの」だと定義づけています。

ただし人格と言っても抽象的ですよね。

だから僕は、

その人の言動と行動が一致しているか

という「言行一致」こそが、その人の人格を決めると思っています。

粘り強く生きろ

と言われても、その先生がいつも諦めているような人でしたら、聞いている生徒たちもピンときません笑。

無理とか言うな

と言われても、普段から挑戦していないような先生には言われたくないですよね笑。

  • 優しいかどうか
  • 親身になってくれるかどうか

などの要素も大切ですが、それ以上に「その人が行動しているかどうか」は、とても大切な要素だと思っています。

かく言う僕も、以前は「口だけの世間知らず」だったものでした笑。

生徒に指導するからには、

  • 先生がそれ相応の経験をしていて
  • 生徒が納得できるような行動をしているか

が大事なのです。

これは先生に限らないと思っています。

その人がいかにして行動しているのか。

僕の周りには「すごい友人たち」が数多くいますが、その人たちは有言実行をしていますし、常に頑張っています。

そんな人たちのスピーチと、漫然と学校で授業をしているような先生とのスピーチであれば、

もっと魅力的な人に登壇してほしい

と思ってしまうものです。

もちろん素晴らしい先生たちもいますし、感動するような先生とはそもそも人として努力していて、尊敬に値(あたい)します。

「面白くない」と思わせてしまうのは非常に残念なことであり、それは決してプレゼン能力の問題ではないのです。

人格、つまり「優しいかどうか」とかそれ以上に、

この人の話なら絶対に聞きたい

と思わせられる人であるのか。

毎日を、そんな風に生きている人なのかということ。

僕は/私はそんな風に生きていないし、無理無理!

と思う人はいらっしゃるかもしれません。(全ての人に強要はしません)

ただ「先生」とは最後のスピーチだけではなく、普段から教壇に立って話をするということを忘れてはいけないのです。

最初は僕みたいに失敗してもいいですが、ぶつかっていけば必ず生徒たちは評価してくれます。

だったら、自分の生き様を生徒たちに伝えていくことです。

そうすれば最後の瞬間に、

この先生の話だけは聞いておきたい

と思わせることができるのです。

先生とは人格者であろうとするよりも、行動をしているかどうかがカギなのだ。

最終的には「人間味」があるか

元同僚の先生と熱く語っていた時に出てきたキーワードは、「人間味」でした。

僕も若い頃は、

自分の弱さを見せまい。舐められてはいけないんだ

と強がっていたものでした。

これも先生に限ったことではないのですが、

  1. 自分をオープンにして
  2. 人間味を出していくこと

これだけで、多くの人から信頼を得られましたし、生徒との関係も良好になりました。

「人間味」とは、その人が持っている「本来の魅力」なのだと思っています。

人間味が滲(にじ)み出ている人とは、

この人って人間らしいな

と思わせるような人です。

  1. 間違うこともあるけれど
  2. 全てをさらけ出せるような人

であり、そのためにいつも全力で生きているような、そんな人です。

「人間味がある」という状態を定義づけることは難しいのですが、そうして一所懸命生きている人は、誰からも魅力的に映るものです。

特に生徒たちは、

先生は一体、どんな世界を知っているのだろう?
先生は一体いつも、どんなことを学んで生きているのだろう?

と、常に僕たち教員の「後ろ/先」を見ようとしています。

普通の大人よりも、よりじっと見られていと思っておいたほうがいいです。

向き合う時間も長いですからね。

そんな先生たちに「人間味」があれば、

僕も/私もこうなりたい

と思われるはずですし、

この人の話は魅力的なのだ

とも思われます。

唯一、離任式のスピーチを聞きたかった元同僚の英語の先生は、

  1. 不器用ながらも
  2. 必死で生徒の面倒を見ていた

ような、優しい先生でした。

何より、苦手なパソコンについてたくさん努力をして、授業もパワポを使っていました。

それが生徒に伝わっていたからこそ、その先生の能力以上に魅力が発揮されていたのだと思っています。

そう、彼女は人間味あふれる人だったのです。

知識や経験だけではない「魅力」とは、人間味(=人間らしさ)があるかどうかということ。

教師に限ったことではなくて、人として一番大切なことなのかもしれません。

その上で、指導力や授業力、傾聴力や面倒見など、周辺の能力が求められるのでしょうね。

僕もこれからもっと魅力的な人間になれるよう、人間味あふれる人でいようと思っています。

行動が伴っていることに加えて、その人には人間味があるかどうか。これで魅力は何倍にも増すのだ。

おわりに

離任式・退任式のスピーチとは、あくまで先生たちの一面にしかすぎませんが、とても大切な場面であり、そこで生徒たちの反応をはっきりと見てとることができます。

普段からどう生徒たちと接し、何を話し、自分なりに何を伝えているのか。

そこに行動があり、人間味あふれる人であるのか。

とてもシンプルなことであり、高度なテクニックは必要ありません。

ざっくりと「一所懸命頑張っている人」は魅力的なのです。

だから僕は今日も頑張ります。

もっと魅力的な人でいるために。

それではまた!

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