こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、7年ぶりくらいに僕が教えていたダンス部の子たちと会うことになりました。
彼らももう社会人となっており、働いていたりいなかったりしながら、それぞれの人生を生きていました。
ダンス部にはいろんな思い入れがあって、僕が持っていた学年の代は、それはそれは難しい学年でした。
彼らは当時、当たり前ですが10代であり、僕も26〜28歳という若さから、いろんな摩擦を生んだものです。
自分の学年だからこそ、際どい距離感を保つのに必死で、悩み抜いた教員生活でした。
今日は普段語らない、「教員時代に辛かった話」をしていきます。
20代にして持つ担任
大学院を卒業して晴れて教師となった僕は、浮かれていました。
イキっていた僕は、相手が「進学校の生徒」であるのにも関わらず、摩擦を起こしていました。
- 英語の能力もなく
- 部活動でも力は発揮できず
- 生徒たちのコントロールもできず
ただただ「力のない若者」でした。
今思い出しても恥ずかしいですが、一方で「若い」なりに、
と考え、家に帰っては一人悶々としており、常に頭の中は学校のことで一杯でした。
あの時は本当に辛かったものでした。
部活動でもうまくいかないことばかりで、自分の学年であるがゆえに距離が近く、「叱ること」もうまくできませんでした。
- 怒れない自分
- 生徒を甘やかす自分
がいて、自分の中での矛盾に悩みながら、自分が「威厳のない先生」であることがわかっていたので、先生としての足りなさを感じていました。
不登校の生徒のことで保護者といざこざが起き、ストレスで片目が見えなくなった時もありました。
今思えば本当に苦しい時代を、僕は教師として生き抜いていたものでした。
それでも僕が「微妙な」立ち位置で担任を続け、ダンス部の顧問を担当していたのは、そこに懸ける想いがあったからでした。
20代で持つ初めての担任と顧問。
と、その責任感一つだけで動いていたのでした。
生徒たちに伝えていた想い
その時はまだ、読書量も少なければ、人との接し方も下手クソでしたので笑、今のような余裕は当然のことながらなく、
- 生徒にも
- 先生にも
噛みついていたものでした。
しかし今思えば、それは情熱の裏返しでもありました。
特にダンスに関しては、自分が大学から大学院まで6年間かけて必死にやってきたものでしたから、とてもプライドを持っていました。
当時の彼らの要望にもできる限り答え、最終的に彼らの引退公演を迎えた時には、
という責任を果たしたという気持ちに加え、寂しさも込み上げてきたものでした。
彼らは当時16〜18歳で、彼らも「彼らなりに必死に生きていたこと」を、今になればとてもよくわかります。
僕も必死でしたから、ダンスについてはプライドと情熱を持って指導に当たっていました。
時に厳しいことも言いましたが、彼らにその想いは伝わっていたようで、先日会ってみれば、
と言われ、
とも思いました。
部活動で出るお金は、文字通り「すずめの涙」ほどでしかなく、当時はバイト以下のお金しか出ませんでしたからね笑。
それでも「彼らのやりたいこと」にはコミットしていて、できる限り実現させてあげられたようでした。
僕は勝手ながら、
と思っていましたので、今回こうしてみんなが集まってくれるとは思ってもいませんでした。
と生徒たちは言ってくれますが、僕自身は当時の「若さゆえの未熟さ」から、そうは思っていませんでした。
僕が思うに、彼らが10代の時に僕は20代で、それぞれが不器用ながら成長していたからこそ、こうして7年越しに会えたのではないかなと。
また、当時も今も「生徒に対する公平性」はずっと変わっていなかったことが、彼らには刺さっていたのかもしれません。
久しぶりに会う時にはちょっとした「気恥ずかしさ」もありましたが、彼らが、
と、「黒歴史」を蒸し返してくれるのが逆に心地よくて笑、
と、胸が温かくなったものでした。
「生徒でいてくれてありがとう」
当時の僕を思い返しても、
と、未熟だった頃の自分に対する「罪悪感」はずっと拭(ぬぐ)えないまま、実は今日まで後悔と共に生きてきました。
それでも先日、生徒たちが集まってくれたものですから、実際のところ驚きを隠せませんでした。
と笑。
それはもしかしたら、先述したように、僕はトガって生徒とぶつかっていながらも、必ず真正面から立ち向かい、不器用で未熟ながらも生徒と接することを、最後まで続けていたからだったのかなと思っています。
もう現在はこのような「今」の僕ですから、
と、恥ずかしがることもなく赤裸々に居酒屋で告白しました。
でも実は、当時の生徒たちも10代ながら、僕の20代としての「先生」の立ち位置をわかっていたようでした。
やはり僕は、いつも人に恵まれているのです。
彼らのような生徒たちと出会えたからこそ、僕もあの頃を「走り抜くこと」ができたのでした。
そんな風に言ってくれる生徒もいて、僕は心底嬉しかったです。
でも本当は違くて、僕から、
という言葉を彼らにかけるほうが、適切なのかもしれません。
あの時はとても苦しかった。
ただ彼らがいてくれたからこそ、未熟な僕は成長し、多くの傷を負いながらも経験を積むことができました。
彼らが笑って会いに来てくれた時には、
という不器用な気持ちはスッと消えていて、あの頃の部活動の時間に戻りながらも、劇的に中身が変わった「今の僕」として接することができました。
結局勝手に僕が罪悪感を抱いていただけであり、彼らは彼らなりにそんなことを気にする間もなく、必死に生き抜いていただけだったのでした。
だから今は、ずっと抱えていた「後悔」も消え、新しい自分として彼らと接することができます。
僕が「先生」でいられるのは、当然のことながら10代であるあの「生徒たち」がいてくれたからです。
その当たり前のことに、今さらながら気付かされることとなりました。
僕は生徒たちに責任がありますが、彼らも僕の「生徒」でいることは一つの「重荷」となります。
彼らには感謝しかありませんね。
おわりに
僕にも、「先生」になることを夢見た中学時代、高校時代がありました。
実際に教師になってみれば、課題にぶち当たる毎日で、現場はそんなに簡単なものではありませんでした。
しかしそれを乗り越えさせてくれたのもまた、生徒たちのパワーやエネルギーだったりするんですよね。
久しぶりに会ってみて、ちょっとした「気まずさ」みたいなのを感じる間もなく、
と、いろいろと話をふっかけてくるものですから、いつの間にかあの頃に戻ったような感覚になりましたね笑。
いつまで経っても、僕が見ていた生徒たちはずっと「僕の生徒」のままですが、僕も僕でどんどん変わっていって、胸を張れる大人になっていかなければなりません。
これからも行動で示していきます。
あの時、僕に出会ってくれてありがとう。
それではまた!
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