30代男がホワイトデーのあり方を考える【菓子折りは悪い文化?】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

今日はホワイトデーということで、息をするように横浜でお菓子を買って、職場の女性の皆様に配りました。

意外にも、僕以外の男性陣もお菓子を買ってきては、女性の先生方にお菓子を配っていたので、「いい雰囲気だなぁ」と思いました。

しかし一方で、

  • こうした「文化」を嫌う方や、
  • 疑問に思っている方

もいます。

確かにこうしたイベントごとについては、各々思うところがあるものだと思います。

今日は僕の独断と偏見によるホワイトデーの定義と、そのあり方について議論します。

ホワイトデーは女性に感謝する日

ホワイトデーとは「日本が勝手に定めた日」とされる文化だと言われていまして笑、(諸説あり)

「バレンタインデーのお返しに…」

という日を作ってしまえば、2倍とはいかなくても、ある程度スイーツが売れる期待が持てるからです。

僕は以前、この文化が嫌いで仕方ありませんでした。

  • 「どこか義務的なところがあるんだよなぁ…」
  • 「あげる人を選ぶ感じがして、ちょっとイヤなんだよなぁ…」
  • 「オカネ、カカルヨ…」

それが「紆余曲折あって」考え方が180°転換し、「お菓子を配るの大好きおじさん」になったのですから、世の中とは何が起こるかわからないものですね笑。

僕は「バレンタインデーのお返しの日」というよりも、「日々のお返し」として、ホワイトデーを勝手に「女性に感謝する日」にしています。

  • 普段から男性たちにエネルギーを与え、
  • 男性よりも辛い時期が多いのに、
  • いつも場を和ませてくれる。

世の中の野郎どもは、今一度その存在に感謝すべきなのです!(言い過ぎ)

普段から感謝してもいいくらいなのですが、「ホワイトデー」という大義名分を立てて、女性が喜ぶものや元気になるものをそっとあげることにしています。

  1. いつもありがとうございます!
  2. その存在に感謝です!

という気持ちを添えて。

「お金やモノ」で解決するわけではありませんが、それらもある種ひとつの「カタチ」です。

僕にできることはこれくらいしかありませんが、女性の皆さんの笑顔を見ることができれば、また明日からも頑張ろうと思えるものなのです。

「男なのだからこうしろ」と押し付ける気は全くもってありませんが、自分ができることを探して「わずかながらですが…」という気持ちを、僕は送りたいのです。

ホワイトデーなどのイベントごとは、1つのきっかけに過ぎません。

それぞれが思う「あり方」を自分なりに定義して、

  • 自分に無理のないよう
  • 相手に気を遣わせないよう

うまく使ってみましょう。

ホワイトデーと聞いて、何も考えなくてもいいし、自分なりにうまく使ってもいい。感謝の気持ちを表すことが大切だ。

一方的なGIVEは押し付けか?

最近「GIVEすること」が多くなってきたことは、我ながら素晴らしいことではあったのですが、以前こんなツイートを見かけたことがありました。

「退職する時に菓子折りを置く文化…あれ、どう思いますか?」

と。

以前僕は、その手の文化に猛反対していた過激派組織の一員でしたから、当時であれば「そうだ!そうだ!」と言って、大手を振って一緒にデモに参加していたことでしょう笑。

一応、そのツイートに対するコメントを、スクロールして見てみましたところ、

  • 「それぞれが思うようにやればいい」
  • 「それを『強制する文化』がいけないだけ」
  • 「そんなの個人で考えればいいことなのでは?」

など、あまり「文化」としてみなしている人はおらず、ツイートに賛同しているような意見は見受けられませんでした。

実際のところ、今は僕もどちらかといえば「コメント欄の方々の意見」に賛成です。

これは「文化として受け取る側」に課題があると思っています。

菓子折りを置いて職場を出て行く人の中には、

  1. 「何か最後に、少しでもお世話になった感謝の気持ちを…」と思う人もいれば、
  2. 「こんな職場…こっちのほうから願い下げだ!」と去って行く人もいます笑。

「その人がどうしたいか」という気持ちに全てが委ねられるのであって、それを文化とすること自体がおかしな話です。

とはいえ、僕の以前の考え方は、

  • 「みんなこうしてお土産や、菓子折りを置いていくのか…」
  • 「自分もそうしなきゃいけないのかな?」
  • 「なんだか同調圧力みたいでイヤだなぁ…」

と、まさに「自分がどう振る舞うべきか?」を周りに委ねているような感覚でした笑。

もっと言いますと「周りにどう見られているのか」を気にしているだけでしたね。

この考え方では、確かに「やってられない」と言いますか笑、菓子折りを買ってくることを「イヤな文化」としてみなしてしまうことは、自然なことのように思えてしまいます。

しかし、「自分はどうしたいのか?」という立場に立てば、問題は一瞬で解決します。

  1. お世話になったと思うから、感謝の気持ちを置いて、去るつもりでいる。
  2. 人のやり方と合わせるのは嫌いだし、特にお世話になってもいないから、自分は菓子折りは買わない。
  3. 個人的にお世話になった人とだけ、一緒にご飯に行って深く感謝し、時間を共有する。

と、ただただ「自分で決めればいいだけ」であり、文化という大きな枠として見なさなければいいのです。

僕はホワイトデーで「男性が女性に何かを返すべき日」とは思っておらず、僕がただ女性に感謝の気持ちを伝えたいから、わずかな気持ちですが「ちょっと美味しいお菓子」をあげるだけなのです。

もし仮に、

  • 「これをしたら自分の株が上がるかな?」
  • 「お菓子を配っている俺、かっこいいかな?」

という気持ちが僕自身にあったとしたら、僕は僕を嫌いになってしまいそうです笑。

しかし、これもまた「受け取る側」に委ねられますので、残念ながら、

  • 「あぁやって、すずきはポイントを稼いでいるんだろ?」
  • 「自分の行動がかっこいいと思っているんだろ?」

と思う人が出てきても、不思議ではありません。

それでも僕は、僕がそうしたいから、そうする。

「それでいいのではないか?」と思うのです。

むしろ一番気にすべき点は、

  • お菓子をもらった側が申し訳ないと思ってしまったり、
  • 僕に対して過剰に気を使ってしまったり

することです。

そこら辺の按配は、僕自身が気をつけていかなければならないことですね。

とにかくどこまで行っても、自分がどうありたいのかが大切であり、それを勝手に「同調圧力だ」と見なすのは、安直な思考なのではないかなと思っています。

ま、以前の僕は「安直思考そのもの」でしたけどね笑。

何かをGIVEする時は「自分がどうしたいのか?」「自分がどうありたいのか?」と、自問自答してからGIVEしてみよう。

GIVEをしなければTAKEし続けることになる

それでは、GIVEとして感謝の気持ちを表さなければ、いったいどうなってしまうのでしょうか。

答えは簡単で、「もらうばかり」になってしまうのです。

もちろん、僕はお菓子やスイーツを「あげてばかり」いますので笑、

「お菓子をもらっている女性たちは、TAKEしかしてないじゃないか!

ということになってしまいそうですが、そういうことを言いたいのではありません。

僕が以前読んだ「夢をかなえるゾウ」には、

  • 自分の足りない部分
  • 自分の欠如している部分

を最初に埋めるには、まず「感謝すること」しかないのだ、と書かれていました。

つまり「何もない『0』の状態からGIVEをする」よりも前に、必ず「感謝」をすることが起点になるのです。

僕がだんだんと「菓子折りを置くこと」に反対しなくなっていったのは、人に感謝できるようになったからだと思います。

自分が今、こうして「あり続ける」ことができているのは、

  • 職場の同僚
  • 学生時代の友人
  • 様々なコミュニティの人々
  • サウナ仲間
  • ダンス仲間
  • お店の人々
  • インフラを整備してくれている人々

などのおかげです。

それらに「感謝すること」ができるようになってからは、自然とそのお返しとして自分が何かを与えようと思うようになりました。

そもそもの視点が、

  • 「何かを受け取っている相手」ではなく、
  • 「何かをずっと受け取り続けている自分

に向くようになったのです。

何かを受け取っている誰かを見て、「あいつはTAKERだ!」と批判するのではなく、

自分が足りていない部分を、自分は埋めることができているのか?

という点について見ることのほうが、よっぽど大切なことです。

これに気づくことができますと、だんだんと「ホワイトデーに女性に感謝すること」が当然のことだと思えてきます。(僕だけですね笑)

他にも、様々な場面で「何かできること」を、自分なりに考えるようになっていきます。

フワッとした、自分の心の中にある「感謝の気持ち」を、ふと外に出してみるのも、気持ちがいいものですよ。

まずはGIVEする…いや、その前に「感謝」をしよう。すると、自ずとGIVEする意味がわかってくる。

おわりに

確かに、

「〇〇の日にはこれをするのだ」

という取り決めは、行き過ぎたり誤解したりするほどに、危険性を帯びてしまい、思いもよらぬ「不愉快さ」を他人に与えてしまいます。

そんな時は「その日にどう振る舞うべきか?」に注目するのではなく、「自分のあり方」に立ち返ってみますと、強制されている感覚がなくなってきます。

別にその日を無理に特別視する必要もありません。

「山の日は山に登り、海の日は海に行くよね?」

と言っても、みなさん笑うだけでしょう?笑

所詮その程度のものなのです。

ただ、それを文化や同調圧力と捉えてしまっている人には、少し生き辛いこともあるかと思います。

そんな時は「フッ」と力を抜いて、日常に感謝してみてください

きっと、もっと大切なことに気づけるはずです。ぜひ試してみてくださいね。

さて、次はいつお菓子を買っていこうかな?

それではまた!

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