30代教員が部活動を考えます【まずは現状の把握】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

先日Abema TVで部活動についての議論が取り上げられていました。

現役教師として、ここはかなり突っ込んでお話しさせてください。

原稿用紙が2億枚くらい必要なのですが、いろいろとまとめて伝えられたらなと思いますので、お付き合いください。

論点の整理

ここ数年、学校教育の議論ではあがらないことのない「部活」という必要悪。

悪と決めてしまうにはまだ早すぎますかね。

論点は以下の通りです。

  1. 部活動は強制ではない
  2. 熱量の差
  3. お金の問題?
  4. 部活動のメリット

部活動は強制ではない

私立の学校によっては強制加入をさせるところもありますが、基本的に公立の学校では聞いたことがありません。

ここに部活動のトリックがあります。

部活動を楽しみにして「この高校に入学したい」と思った人も、中にはいらっしゃるでしょう。

「ひたむきに何かに向かって、チームが一丸となって真剣に取り組む時間」は、まさに「青春」をそのまま投影したような時間です。

そんな時間が体験できてしまうのだから、若い10代のみなさんが部活に入らないわけがありません。

もちろん「帰宅部でもOK」という自由意志に依存している状態です。

「基本的に強制加入ではない」と聞いてしまいますと「部活動って一体どのような存在なのか?」という疑問が湧いてくるのは当然のことです。

「部活なんか要らないよ」という立場の人たちは、全くもって間違っていないのです。

しかし生徒の自由意志を尊重しすぎますと、

  1. 生徒が「部活動をやりたい」と手を上げてしまえば、
  2. 部活動が新設されて存続

してしまいます。

「部活動はやらなくてもいいはずだ」という教員の意見はあれよあれよと追いやられ、周りの人たちは、

「まぁいいじゃないか。子どもたちの意志を尊重して、部活動の面倒くらい見てあげなよ」

という話になり、なぜかそちらの意見が優先されてしまいます。

つまり部活動は、

強制的ではないけれど、やりたければできてしまう

これが現状なのです。

だからみんな、「部活動の存在」に疑問すら持たないのです。

そして結局「顧問をあてがう必要性」が出てきてしまうのです。

文部科学省は2020年に改革を掲げており、公立の中学校から変えていくそうなのですが(すでに教師の負担を指摘済み)、やはり「教育活動の一環である」という文言はそのままに、なんとか部活動は存続させたいという方向です。

結論:部活動という存在はこの先もパッと急に消えることはない

残念ですが、部活動にはメリットもありますからね。

日本の七不思議である部活動。

これだけ問題があるのに、なぜか存在し続けるその実態とは一体なんなのでしょうか。

熱量の差

実は部活動を負担に思っている先生たちが、後を絶ちません。

ここで何が正しいとは結論づけませんが、以下の2つの例を見るだけでも、部活動に対する熱量が異なることがわかります。

その差から見えてくることを考えてみましょう。

  1. 部活動をやりたくて先生になった「勘違い」顧問
  2. 経験も何もない部活に「あてがわれた」顧問

まずは1つ目の「勘違い野郎」からです笑。

野球部やサッカー部のようなメジャーな部活のことを悪く言いたくはないのですが、なぜか「俺が監督だ。みな従え!」のような「勘違い顧問」が既にいることも、問題としてあげられます。

「あなたが甲子園経験者だかプロだか知りませんけど、教えるプロではないだろ

と突っ込みたくなることがありますよね笑。

僕もプロダンサーやインストラクターの経歴はありませんが、こうして顧問をすることができています。

果たしてそんなのでいいのかとも思ってしまいますので、「顧問」とはその程度なのです。

また若い教員は特に「時間的制約がない」ため、部活動指導を後押ししてしまっています。

「部活動顧問ですか?私がやります!」

となるわけです。

悲しいかな僕も若い頃はそうでしたね。

あるいはご結婚されてお子さんも大きい場合は、「時間もあるし、部活動でも見てやるか」と趣味として部活指導をすることもあります。

さらには生徒から支持されて、尊敬されてしまってその顧問としての地位を築いてしまうこともあるでしょう。

いずれにせよ、勘違いをして部活動顧問をやらないでほしいのです。

基本的には「専門教科で先生になっていること」を忘れてはいけません。

部活動に対する熱量があることはいいことですが、誰もが好きでやっているわけではないということも知っておきましょう。

顧問はあくまでファシリテーター(促進者)として生徒たちを見守っていくべきです。

次に2つ目の例です。「あてがわれた」顧問ですね。

顧問を頑張る以前に、そもそも「専門外の部活動顧問」になってしまった教員のパターンですね。

「もう苦痛でしかない」という声しか聞いたことがありません。

  • 詳しくもない部活動のために、
  • 夕方は18時半〜19時まで残り、
  • 土日を返上し、
  • 大会引率をし、
  • 怪我をしたら救急車を呼ぶ。
  • 監督責任が問われ、
  • 注意され、
  • もう散々

です笑。

今でこそ「顧問を拒否すること」もできなくはないのですが、生徒や同僚に対する義理と人情が半端ではない「良い先生たち」が多いです。

彼らはどこかの顧問に所属することが決められ、結果的に多くの時間を「知りもしない部活動」に費やすこととなるのです。

このように、

  1. 部活を趣味ととらえて「勘違いしている顧問」もいれば、
  2. 知らない部活にあてがわれて、ブラックな毎日を送る「疲弊した教員」もいる

という事実を知っておくことが大切です。

他にも上の2例に当たらないような、

専門だから頑張って顧問をやってはいるけれど、部活動を負担に感じてしまっている先生」

もいます。

彼らがどこかで「勘違い」してしまいますと、「部活至上主義」になることもあり得ます。

このように顧問1人をとってみても、

  • 勘違いしていたり
  • 負担に感じていたり

と様々な感情が入り混ざった、まさにカオスな状態となっているのです。

この熱量の違いが、部活動の考え方に「歪(ひず)み」を作り出してしまっています。

お金の問題?

報酬の問題も大切なポイントです。

そもそも先生たちは、

  1. 休日部活動指導で出勤したところで数千円
  2. 平日に至っては夜の7時まで残っても数百円

というのが現状です。

同僚たちと「部活動の副業化」の話になった時は、それはそれで面白いのかなとも思いました。

地域に外注する案ではなく、そもそもの「部活動に対する手当を上げる」という方法ですね。

しかし根本から考え直してみますと、

先生たちが顧問をやる必要性が、そもそも理解できないのだ」

という点が議論の出発点でしたよね。

無理に先生たちのモチベーションを高めるような案なら、立案しなくてもいいのかなと感じています。

確かに「お金さえ高く払ってしまえば、先生も喜んでやるのでは?」という感覚はあります。

しかし教員の時間確保を考えのベースとするのであれば、

「手当を上げることで、顧問をやらせてしまうこと」

にあまり賛同できませんね。

いくら手当の額が上がっても、「すでに苦しいと感じている部活動顧問」を担当したいと思う先生は、かなり少ないと思います。(額によるかもしれませんが)

どちらであっても「顧問をするかしないかの選択の自由」が、しっかりと担保されていることが大切なのです。

外部委託の話ですと、文科省が「地域との連携」を唱え始めていますので、今後地域の人々の手助けも出てくるかもしれません。

正直なところ、地域の方々は報酬がなくても休日くらいなら好きでやってくれるということも考えられます。

野球やサッカーなどメジャーなスポーツのほうが外部からも呼びやすいですが、ダンスのようなマイナースポーツなども、ストリートが好きな若者たちが学校に押し寄せてきて練習会を開いてくれそうですよね。

学校のWEB掲示板でも、SNSでもいいですので、組織的に公式で呼びかけてしまえば、意外とやってくれる人はいるかもしれません。

「手当の賃上げ方針」よりも、こちらのほうが先生たちの権利を守れるのではないかと思っています。

今後の部活動改革に期待です。

部活動のメリット

散々部活動のことをディスりあげてきたわけですが、部活動顧問で味わう確かな感動もそこにあります。

顧問が厳しく指導することで、

  • 団体の規律
  • 仲間との協調性
  • 社会に出てからの生き方

などを教えることができます。

ただそれは、顧問が押し付けていることに過ぎず、実際は部活動の本質とは言えません。

あくまで部活動の主体は生徒であり、「教官に従う軍隊」のようにすることが目的ではないからです。

  1. 自主性を尊重した上で、
  2. 生徒たちなりに厳しくて温かい、
  3. 良い雰囲気を作り上げさせること

が大切です。

「生徒たちの自主性」をサポートしてあげることは、厳しく指導することよりも何倍も難しいのですが、ただ一方でとても意義のあることです。

また部活動を通して、

  1. 生徒同士の縦の関係
  2. 先生と生徒の関係

に良い効果が生まれることもあります。

「先輩・後輩」という関係は、小学校ですとあまり築けないものですから、中学校以降の「部活動の雰囲気」は生徒たちにとって新鮮です。

また、

  1. 生徒指導の延長として部活動で生活面をケアしてあげられますし、
  2. 授業では普段見られない側面を見ることもできます。

そんな姿に「ホロッときてしまう」こともありますしね笑。

さらに「学校の部活」は、外部のクラブやチームほどお金をかけずに入れますし、学校でしか味わうことのできないいわゆる「青春」や「仲間」という恩恵も享受することができます。

こうして見てみますと、「部活動(顧問)を根絶すること」はまだまだ先の話なのでしょうね。

生徒がやりたいといえば、それに応えざるを得ないのです。

それでも今一度、「部活動の在り方」を考える必要はあると思っています。

生徒が主体となる部活動を目指し、先生たちの時間を確保しよう。まだまだ課題は山積みだ。

おわりに

僕自身は、顧問をしてとても良い経験をすることができました。

ありがたいことに「ダンスに関われた」ので、休日も他校の生徒やOB・OGを呼んでは、合同練習会をして楽しかったものです。

また一方で、ダンス部が弱く活動もままならない学校にいれば、それはそれで自分の時間が思いっきり確保できて、幸福度が爆上がりしたことも否めません笑。

部活動のレベルには、それぞれの良し悪しがあります。

要はバランス…

と言いたいところですが、どうもそうとは言い切れないのです。

なぜかと言いますと、「

当該部活動の経験の有無や強弱、活動頻度でアタリ/ハズレが決まるということ

は、部活動の深い闇の「根本の解決」にはなっていないということだからです。

バランスが取れるのであればそれが理想ですけれど(やりたい教員がやるなど)、今は負担の偏りが出てしまっているから問題なのです。

生徒の自主性を重んじ続けると、結局はそれに応える先生たちの自由を奪うことになります。

勤務時間外に活動を見守ることは、一見「教育者の鑑(かがみ)」なのかもしれません。

しかし教員によって、

  • 「趣味に近い楽しい時間」
  • 「苦しいボランティアの時間」

という「熱量の差が出ている現状」を考えますと、それは真の教育活動とは言えないでしょう。

生徒の自主性を尊重すると同時に、先生たちの仕事や自由、プライベートも尊重すること

これなしには、生徒の「部活動をやりたいと思う情熱」を盲目的に支持することはできません。

そもそも教員たちは、「その道(スポーツや芸術)のプロ」ではありません。

今後の部活動は、

外部委託に移行しながら、先生たちが介入していく時間を減らしていくこと

が、1つの現実的な解決策だと思います。

ただ部活動とは教育活動の一環でもありますし、僕自身が部活動で、

  • 想像以上の感動や、
  • 生徒たちとの忘れられない経験

をしましたので、全てを否定することはできません。

部活動を「即座にゼロ」にするのではなく、まずはその実態/現状を考え始めることが大切です。

生徒も教師も納得できる、幸せな着地点を探していきたいですね。

それではまた!

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