こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、生徒さんと英語のコミュニケーションについて話をしていました。
英語のスピーキングとはいわば総合格闘技みたいなものでして、
- 文法
- 発音
- 語彙
- リスニング
など、すべての力が必要になってきます。
僕は実は日本語においても、「相手の理解」を大切にするようにしています。
元々はプロの教師でしたからね笑。
今日は、僕がコミュニケーションにおいて大切にしていることについて書いていきます。
コミュニケーションは面倒くさい
僕が常日頃、先生として思うのは、
ということです。
一から英語の文法を説明したり、発音の仕方を練習したり、
と言われるくらい、同じことを延々と繰り返し何年も教えています。
それでも僕が「教師」を続けているのは、その「面倒くささ」を好いているからです。
それこそ、最初の「初めまして」から始めれば、
- 先生だったこと
- 世界一周をしていたこと
- どうやって英語を勉強していたか
など、今まで何千何百と伝えてきたことを、また一から説明しなければなりません。
でもそれも含めて、僕は「好き」なんだと思っています。
つまり、その「面倒くささ」を超えることができなければ、教師は務まらないということですね。
日本語ならまだしも、英語となるとコミュニケーションは複雑さを極めます。
先述した通り、英会話は「総合格闘技」のようなもので、少しでもズレますとなかなか伝わりません。
そこは経験でなんとかしながらも、先に導いてあげること。
これが教師として必要な力ですね。
- コミュニケーションは面倒くさくて
- 英語を教えるともなると専門的な仕事
と言えるくらい、人との会話には何段階か面倒くささがあります笑。
改めてそう思いましたね笑。
しかしコミュニケーションを丁寧にしてくれる先生だからこそ、
と思われるようになります。
みなさんも、子育てやら後輩教育などで、「面倒だな」と思ったことはいくらでもあることでしょう。
でもその分、相手は受けたことを覚えています。
僕はその「過程」が好きだから、教師を続けてしまうんですよね。
誰でもわかるように話す
英語に限らず、僕は日本語でも大切にしていることがあります。
それは「相手の理解を大切にすること」です。
何回か、相手が知らない前提で話すことについての記事を書いていますので、
と思っています。
長いこと教師をやっていますと、
- 相手が理解しているか
- わからないことはないか
について考えつつ、自分で時間をコントロールしながら授業を進めるだけでなく、普段の私生活での会話でも気を使うことがあります。
気を使うと言っても、別に疲弊しているわけではありません。
単純に気が回ってしまうのです笑。
でもこれは、コミュニケーションにおいてとても大切なことだと思っています。
人と話していますと、
- とにかく自分の話したいことだけ話す
- 全くもって相手の理解なんて考えていない
- 難しい語彙ばかりを使って伝える気がない
なんて人はザラにいます笑。
「会話」とは知識の披露大会でもなければ、相手を打ち負かす場でもありません。
大切なのは「相手に理解してもらうこと」であり、この「情報格差」(=インフォメーション・ギャップ)を埋めることが、会話というプロセスなのです。
かの有名なひろゆきさんも言っていますが、
という言葉を聞いて、なるほどなと思いました。
いかに簡単な語彙を使い、わかりやすく説明することができるのか。
このブログもそうですが、
と、常に意識していますね。
そうしないと、結局は “遠回り” なのです。
授業でもそうですが、後から質問が来ると言うことは、それだけ「わからない部分があった」ということ。
これはもちろん、限られた時間の中での授業ですので、後から質問されたからと言ってその教師が全部悪いわけではありません。
ただそれがあまりにも多いと、それは教師による伝え方の問題でもあるということになります。
そう思わせられるよう、今日もいろんな人と話してレベルを上げています。
相手の理解が一番
僕が教師として一番面白いと感じる時は、「うまい授業(=プレゼン)」をした時ではありません。
結局、相手が「分かったかどうか」が大事なので、
と言われた時が、一番嬉しい時ですかね。
コミュニケーションとは時間がかかるものですが、醸成していくからこそ面白いものだと思っています。
相手が理解してくれた時、つまり、
と言ってくれた時が、教師冥利に尽きるというものです。
特に「わからないこと」があれば、それを突き詰めて徹底的に教えることも僕らの仕事ですね。
これは当然のことながら、普段のコミュニケーションにも生きてきます。
と、具体性を持たせながら、丁寧に教えることにしています。
と言ってしまうのは、相手があまりにも「教えてくれ」しか言わないのならばいいですが、基本的に優しくないと思っています。
情報格差を埋めるのが、『会話』だからです。
- 最近どうしていたかを知りたい
- お互いにわからないことがある
こんな情報の差があるからこそ、カフェで会って話すんじゃないですか。
それを一蹴して、
と言うのであれば、その人は会話に向いていません笑。
わからないことを普段から、
- 丁寧に
- 簡単に
- 具体的に
- 言葉を変えながら
伝える工夫をしておくことです。
この意識がある人というのは、そもそも相手に理解してもらうことを前提にしています。
こういう人と話していたいですよね。
僕が教師だから言うのではなくて、コミュニケーションとはそれが一番大切なことだから言うのです。
- 時間がかかるという前提条件に立ち
- 相手の理解を確認しながら話を進めること
特にお互いのバックグラウンドが違うもの同士で集まるのならば、より注意すべきですね。
それができれば、立派な「コミュニケーションマスター」です笑。
おわりに
コミュニケーションをとるって、本当に面倒なんですよ笑。
それでも僕は、新しい人と話しますし、相手のことを聞き出したり自分の話をしたりします。
そのプロセスを楽しめる人は、今後も問題なく “会話” ができると思いますね。
- 簡潔に
- 理解を確認して
話を進めていきましょう。
それではまた!
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