こんばんは。
最近読んだORIGINALSに書いてありましたが、オリジナルな人間は時代と逆行することを試みようとするため、新たな意見を出そうものならば周りから潰されてしまいます。
革命児であるすずきとしても(え?)ヤキモキする学校の体制を変えたくて仕方がないということが多々あります。
「怒り」の感情も最たる例でして、カチンときた瞬間に怒鳴り散らしてしまってはもう自分をコントロールできなくなってしまい、大きな後悔を抱いて夜の枕を濡らすこととなりかねません。
大きな声を出すことは簡単ですが、何の解決にもならないのです。
何か新しいことにチャレンジしようとしたり旧体制を崩そうとしたりすれば、必ずそれをはばんでこようとする障壁(人たち)が出てきます。
それら障壁を、本書の言葉を借りて「しなやかに乗り切る」ためにはどうしたらよいのでしょうか。
すずきなりの考えを述べていきたいと思います。
パワープレイは無意味
大きな体制に対して何かを変えていこうというのは、平社員がやろうとしてもなかなか難しいため、地位や権力が必要になってきます。
そして変えようと努力をするも一旦難しいと感じてしまった人たちは、退職や転職をすることで自分が活躍できる場所を変えるという行動をとってしまいます。
周りをうまく味方につけることがもちろん最善策なのですが、無理矢理にでも体制を変えてしまおうというパワープレイを強行する人もいます笑。
例えば会議が紙ベースで行われているような学校で「紙なんて無駄だから明日から廃止にしましょう」とはなかなかできません。
非効率的だとか時代に取り残されているだとか実はみんなわかっているのですが、慣習に従ってしまったり、トップのいうことを聞く羽目になったり、代案が出せないと言う理由があって縮こまったりすることもあります。
実際は紙ベースの書類が手元にあったほうがいい場合も数例あり、例えば「Aに関してはPDFにしておくがBに関してはマニュアルを印刷の上配布する」など部分的に妥協しながら時間をかけるほうが効果的なこともあります。
一気に旧体制から180°転換は厳しいため、アプローチを変えてやる必要もありますよね。
特に会社や学校といった組織で何かを変えていくには地位と権力もそうですが、個人の信頼や実績などの要素が関わってくることもあり得ます。
周りの人間から支持を得ることで地位のある人に声をかけやすくなったり、多勢で権力を振りかざすこともできるからです。
結論としてはたった一人で大きな声でわめき散らしても、誰も聞いてはいないしそもそも聞いている暇はないということです。
さてどうしましょうか。
答えは本書に書いてありました。
革命の起こし方
例としてスルジャ・ポポビッチという革命運動を担った人物の話が出てきました。
彼がいうところの革命とは「大きなことを起こすといった大胆な行動ではなく、小さな嫌がらせ行為の繰り返しが大事だ」というものでした。面白いですよね笑。
例えば「オトポール!(抵抗!)」はユーゴスラビア連邦共和国で起こった青年運動で、スプレーでバンクシーさながらに握りこぶしのマークを街中に吹き付けたり、握りこぶしのチラシを貼りまくったりして独裁政権を退陣させたやり方です。
まぁ要は「嫌がらせ」ってことです笑。
でもこうすることで体制に抑圧されていた、あるいは抑圧されていたことにすら気づかなかった人たちが「あ、俺/私も立ち上がっていいんだ?」と感じて怒りが伝染します。
「赤信号みんなで渡れば恐くない」的な。
大衆とは時に政権を打倒するのに必要な地位も権力もないままに、旧体制を壊す力を得ることができます。
そうやって少しずつ根回ししていくと、なにかシステムを変えたい時にきっと役に立ちます。
長い時間をかければ、それだけ周りについてくる人や共鳴してくれる人も増えます。
一方でこの「怒り」に身をまかせる、つまり対象となる独裁者に攻撃の目を向けるのではなく、被害者に目を向けさせることが大切だそうです。
怒りの感情のままに革命の勇気が湧いてきても、それがより攻撃的になってしまっては長く続かないし革命の意味がない。
むしろ被害者を「助けたい」と思う気持ちから少しずつ小さな行動を続けていくほうが建設的で、革命のチームが冷静に一つになってゆくようです。
これには僕も驚きました。
先ほどの紙の多い会議であれば、紙が多いことに対する不満(紙・資源・時間の無駄という主張)に目を向けるよりも、それによって印刷して大変そうにしている社員や職員、結局捨てられてゆく会議資料を考えたほうが良いということです。
ではそのような「変えたい」と言う気持ちはどのように持っておくべきなのでしょうか。
感情に身を任せない
何かを変えたいと思うのであれば、それは表出すればいいというものではないと先述しました。
ゆえに心の奥底でその感情や気持ちを燃やすことが大切です。表出しすぎないと心に「ストップ」がかかってしまいますので、全く出さないことはよろしくないです。
何かを変えたいと思うのであれば、その気持ちは絶やさずに胸にしまっておきつつ、少しずつ行動に変えていけばいいのです。
その時に不平・不満にハマってしまうと自身の感情も泥沼化してしまいます。
そうではなく現状の体制によってどれだけ被害があって、どれだけ苦しんでいる人がいるかにフォーカスを当てるとより冷静になることができるため、怒りや不満という感情のエネルギーと冷静で客観的な論理的思考が同時に居合わすことになるのです。
学校でも会社でも、組織にいるときは自身に裁量権がない事例の方が多いため、何かを変えようと思うならばそうした「怒りと冷静の共存」はとても効果的だと思います。
これはなかなか倒せない大きな体制だけでなく、嫌いな人物に対しても(というか本書は独裁者に対する革命が例に上がっていたのですが)効果的だと思いました。
誰かにカチンと来たらその「怒り」という燃料は一度胸にしまっておき、それによって被害を受けている自分や迷惑を被っている友人・家族に目を向け、想像する。
その環境を変えたいという思いから出発することで、冷静さと並走しながら現状打破に向かう行動を起こすことができます。
嫌いな人に対して自身の友人と情報を共有して周りから仲間を固めて、時にはユーモアを交えながら対象を嘲笑いつつ周りの堀から埋めていき、最終的にそいつの鼻を明かしてやる…
とまぁ言い方が悪くて陰湿みたいなのですが、やるときはほどよく手加減してあげてください笑。
体制でも嫌いな人物でも、一人で立ち向かおうとするとロクなことがないです。
冷静に小さなことから始めて牙城を崩していきましょう。
おわりに
大切なことは、まず現状で困っていることや理不尽なこと、被害を受けている人ややりきれない人を洗い出すことであり、何でもかんでも自分が望むような形を力任せに要求するのは違うということです。
実はこうして長い年月続いている体制やシステムにも良いところはたくさんあって、例年通りにすればコトが進みやすかったり、慣れてきたことで余裕が生まれて新しいことにトライできたりといったメリットもあります。
それでも不平不満が見つかった際、それらを変えたいと思っている人はどれだけいるのか、そしてその人たちをどうやったら燃え上がらせることができるのか。
これらを考えているだけでもより戦略的に、冷静になって落ち着くことができます。
そうしたら行動に移し、小さな嫌がらせを決行していきましょう笑。
先ほどの「紙を印刷してしまいがちな会議」ですが、実は僕の学校の事例です笑。
結局はコロナで会議室が「密」扱いされたために使えなくなり、パソコンで会議を進めることでだいぶ変わりました。
戦略もクソもありませんでしたw
それでもやはりムダに紙を印刷する人はだいぶ減りましたね。
なぜかといえば、紙をムダに印刷したくない、あるいはPDFのほうがコスパがいいと思っている多くの人たち(すずき含む)が、会議冒頭で「必要ならPDFファイルは〇〇のフォルダに入っていますのでご参照ください」と言い始めたからです。
効果はテキメンでしたね。まさに革命の灯火が周りから徐々に旧体制を崩していった事例でした。(言い方がかっこいいな)
皮肉にもコロナのおかげでもありましたが、誰も傷つかないまま無血革命が成功したわけです。
すずきは時に感情的になってしまうこともありますが、本当に何かを変えたいのであれば賢いやり方をするに越したことはありません。(聞いてるか?すずきよ)
今読んでいる雨宮処凛さんの学校、行かなきゃいけないの?これからの不登校ガイドにも世田谷区立桜丘中学校の校長先生が10年かけて校則をなくした事例が載っていまして、校長先生は多くの職員と会話し、保護者を交えたり生徒とやりとりしていく中で、旧体制を変えていました。
時間はかかりましたが、校長のパワープレイなんてものは見受けられず、淡々と周りの堀から埋めていった様子が描かれていました。
コロナによるテレワークの増加やハンコ文化の衰退のように、時代や人とともに移り変わる部分も確かにありますが、旧体制に対する不満が出た際は無理を通そうとして一人で消耗せず、一度冷静になって周りから崩していくことに努めようと思っています。
そうやって少しずつでも自身の環境を変えていこうとする姿勢は大切です。
今後も革命の灯火は水面下で燃やしつつ、表層では冷静に行動に移していきましょう。
それではまた!
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